『鬼滅の刃 遊郭編』宇髄天元のルーツ“忍び”について現役の忍者に聞いてみた
アニメ『鬼滅の刃 遊郭編』が話題だ。劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』から1年近くの制作期間を経て公開された原作の続編ということもあり、待ちきれなかったファンも多いだろう。
アニメ『鬼滅の刃 遊郭編』は、主人公である炭治郎たちと元・忍びの柱である宇髄天元の共闘が見どころのひとつにもなっている。
今回は、『忍道』陰忍評定衆 師範でもあり、現役の忍者として活躍されている「忍者 習志野」さんに宇髄天元のルーツである「忍び」とはそもそも何かをお聞きした。
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大正時代には「忍者」ではなく「忍び」と呼ばれていた
ーーまずは「忍び」とは何なのかについてお聞きしたいです。
はっきり決まっているわけではないのですが、一番古い資料は「太平記」です。それによると、南北朝時代には「忍び」と呼ばれる者が存在していたようです。
そこから室町・戦国・江戸時代に暗躍していた技能の集団を「忍び」と呼んでいます。
ーー具体的にはどういうことをしていたのでしょうか?
時代や地域によりますが、基本的には敵地に近づいて情報を得たり、火計や夜討ち、ときには物や人質を持ち帰ったりしていました。
いまでいうスパイに近い存在で、忍術傳書「万川集海」には「音もなく匂いもなく智名もなく勇名もなし、その功、天地造化の如し」と書かれています。
つまり、誰にも気づかれないような者がうまい忍びだというわけです。
ーー実際の忍びはどういう人が多かったのでしょうか?
ひとことでは言えませんが、甲賀のあたりでは古士(こし)と言って、いわゆる「侍」と呼ばれるような武士が忍びを従えていたようです。
また、もともと窃盗や悪党だった者が、戦のときに忍びとして働くことがありました。敵地に潜入するような危険な任務のときは、身分の低い忍び達を雇うことも多かった様です。
ーーどの地域も忍びを抱えていたのでしょうか?
地域や時代によりますが、もっとも栄えたのは伊賀と甲賀といえます。
それ以外の地域にも忍びはおり、「乱波(らっぱ)」「透波(すっぱ)」といった様々な名で呼ばれていたようです。
ちなみに『鬼滅の刃』は大正時代が舞台とのことですが、「忍者」ではなく「忍び」と呼んでいますか?
ーー作中では基本的に「忍び」と呼ばれています。
それは史実に沿っていますね。
忍者(にんじゃ)という読み方は、昭和30年以降に一般化したと言われる読み方です。大正時代なら「忍び」や「忍者(しのびのもの)」と呼ばれていたはずです。
ーー言葉ひとつにも歴史があるんですね!
忍びの「忍」は残忍の「忍」
ーー『鬼滅の刃』の宇髄天元についてもお聞きしたいのですが、作中では忍びは基本的に冷徹で人の心を持たない存在として描かれています。
忍びの「忍」は残忍の「忍」ともいわれます。
たとえば「芝隠れ」という教えがあるのですが、5名ぐらいで敵地に忍び込み、4名で戻ってくるんですね。
でも1人減ると怪しいので、関所で「もう1人はどこに行った?」と問われます。
なので、近くの村の人を1人殺めて死体をつくり、「体調を崩してこんな風に死んでしまった」というんですよ。
そうすると、敵地に1人残っていることがバレずに済むので、敵地を調査することができます。こういう技が伝書に書かれているので、けっこう残忍なところはあったと思います。
ーーかなり衝撃の強いお話ですね。
そもそも中世の話なので、いまとは考えが違うんですね。
なので、忍びのことに限らず残忍なことは結構あります。
ーー作中に登場する宇髄天元も、忍び時代には過酷な修行をしています。
私自身も忍びとして修行をしているんですが、命を落とすような修行は本当にあったと思います。
もちろん、優秀な忍びを育てるのは大変なので、軽々しく命を落とさせるとは考えにくいですが、「苦行」と呼ばれるような苦しい修行はあります。
私自身も修行として、他の忍びの仲間と夜の山を一晩中歩いたり、水以外なにも摂らない断食生活をしたりしましたが、やはり命がけですね。
ーーご経験上、もっともつらい忍びの修行はなんですか?
長期間の断食が一番きつかったです。
ずっと断食をしていると、だんだん明日の朝、自分が生きて起きられるのか心配しながら寝るようになるんですよ。それで朝起きて「今日も生きている」って思うんです。
絶対にマネしないで欲しいですし、人におすすめもしないですね。
ーー重みのあるお言葉ですね……!宇髄天元は戦闘の修行も多いのですが、そういった修行もされるのでしょうか?
「忍術=戦闘の術」と思われることは多いんですが、実際は忍術書に戦闘に関することってほとんど書かれていないんですよ。
すごく分厚い本なのに「(武術は)日頃から鍛錬すべし」くらいしか書いていないんです。
ーー意外ですね。
逆にいうと「武術をやる」というのは当たり前で、忍術書に書くようなことではなかったんだと思います。なので、私自身も武術の修行はやりますね。
実際にやってみるとわかるんですが、戦場は体育館と違って足場が悪く、ぬかるみや傾斜もあるような場所なんですよ。
だから、山の中で戦闘の稽古をやると、武術伝書に書かれている構えや歩き方の理由がわかりますね。
ーー『鬼滅の刃』では忍びの戦闘道具としてクナイが登場しますが、実際でもクナイは使用されていたのでしょうか?
クナイって武器としても使えますが、実は武器じゃないんですね。
工具のように使うことが多くて、鍵を壊してこじ開けたり、岩の隙間に刺して登る足場にしたりして使います。
ーークナイをあまり使わないとすると、実際はどんな武器を使っていたのでしょうか?
状況によりますが、忍びが使うのは、大脇差(おおわきざし)という、刀より少し短い刀です。
あと、鉤縄なども使います。敵を生け捕りにするときは「刺股(さすまた)」や「袖絡(そでがらみ)」という捕物の道具も使います。
ーーどちらかというと、生け捕りにするための武器が多かったんですね。
そうですね。忍びの仕事は敵を捕まえて人質にしたり、生け捕りにしたりすることも多かったので、敵を生かして捕える道具の教えは数多く残されています。
あとは、(戦国時代が終わって)戦での仕事がなくなってからは、立てこもった犯人を捕まえる捕り物の仕事を任されたという経緯もあります。
ーーたとえばこの記事を読んだ読者が「自分も忍びになりたい」と思った場合、どうすればよいのでしょうか?
忍びになるなら、師匠はいた方がいいと思います。
経験者の話を聞かないと危ないことも多いですし、独学で忍びになるのは難しいです。
師範の資格を持った忍びの指導者もいるので、そういった先生に習うのがよいと思います。
ーー現代で忍びになろうと思うと、何年ぐらいかかるのでしょうか?
私自身は、忍者界に入ってから12〜13年ぐらいで師範になりました。
だいたいそれくらいで忍びになれるかもしれませんね。
ーー大変おもしろかったです。貴重なお話をありがとうございました!