「休業します」。コロナ禍で名古屋の人気飲み屋が選択した、その真意とは?
ワイン&イベントで人気の「ボクモ」の休業宣言
「突然ですが、休業します。」
こんなタイトルのブログが配信されたのは去る1月15日のこと。ブログの主は名古屋の人気飲食店「ボクモ」のオーナー、岩須直紀さん。愛知県も国の緊急事態宣言の対象となり、1月18日からは県内の飲食店に夜8時までの時短営業を要請する、そう発表された翌日のことでした。
「ボクモ」はオープン12年目、名古屋の繁華街・栄のやや外れのビル地階にあるダイニングバー。ワインやクラフトビールとそれに合う料理、そして不定期に開催されるトークや音楽などのイベントも大きな特色で、幅広くファンを獲得してきました。
昨春の緊急事態宣言時には、一時テイクアウト限定営業に切り替えるなどして対応。今回も営業と並行して再びテイクアウトを始め、この方法で時短営業期間を乗り切る方針かと思われた矢先、いったん店を閉めることとなりました。
岩須さんはブログでこうつづっています。「うちにとって『テイクアウト営業』というのは、自転車でぐいっと前輪を上げて、ウィリー走行をやっているようなものです。」
料理と酒が「後輪=推進力」で、店の持つ“空気感”が「前輪=進む方向を決める役割」。後輪だけに頼った営業スタイルでは結局、長続きしない。そう考えて、時短要請期間である2月7日までの3週間、思い切って「休業」という選択をとることにしたのだといいます。
この“不安定なウィリー走行”という表現は、客の立場である私たちの違和感も的確に言い表していました。お気に入りの飲食店がテイクアウトを始めたと聞き、応援がてら買いに行った人はたくさんいるでしょう。店主やスタッフと軽く言葉を交わし、パック入りの弁当やつまみを買って帰り、自宅で食べる。おいしくなくはないが、何かが決定的に物足りない。そんなもやもやした感覚の原因は、本来求めていたはずの店で過ごす楽しさがそこになかったことでした。
岩須さんは休業中に経営を支えるもうひとつの「補助輪」をつくる、とも記しています。つまり、店をしばらく閉めるのは、次の一手のための布石だということ。飲食店に限らず多くの事業者がコロナ禍に振り回されてる今、「発展的休業」を選択した岩須さんに、これまでの経緯や心情、狙いを尋ねてみることにしました。
テイクアウトや時短営業も止めた理由
― ブログで「休業宣言」した理由をまず教えてください。
岩須 「区役所に休業補償申請のための書類を取りに行くために自転車こいでる時に、“あぁ、今の営業のやり方は前輪を無理矢理上げてウィリーして走ってるようなものだよなぁ”と思ったんです。それで“このままで走り続けるのは無理だ”と気づいていったん店を休む決心をしたんですが、とりあえずお客さんに知らせなきゃと思って、ブログに気持ちをそのまま書いたんです。フェイスブックにも同じ内容で投稿したんですが、皆さん温かいコメントをたくさん書き込んでくれて、“こんなにたくさんの人たちに支えてもらっているんだなぁ”と実感しました」
― 昨春の緊急事態宣言の際にはテイクアウト営業をし、今回も当初はテイクアウトを再開していました。
岩須 「常連さんが買いに来てくれて、お客さんの温かさにふれられたことはよかったことでした。でも、売上的にはそれで経営を支えられるレベルではありません。やってみて分かったんですが、テイクアウトは専門のお店が昔からたくさんあって、レイアウトもオペレーションも確立されている。うちはそもそもお客さんを何十人と入れるのを前提につくっている店なので、テイクアウトをやるには無駄が多すぎて、本業のお店に勝てるわけがないんです」
― 時短営業でしのぐという選択はなかったのでしょうか?
岩須 「夜7時に酒類はオーダーストップして夜8時に閉店する。これだと今まで大事にしてきた“場”の提供にはなりません。それに、毎日“よし、やるぞ!”と気合を入れて店を開くんですが、その結果お客さんが1人2人だとやっぱり落ち込むんです。それが続くと立ち直るのにも時間がかかるようになってくる。こないだ、お客さんに『岩須さん、顔が暗いよ』と言われて、そんなんじゃせっかく来てくれた方に楽しく過ごせる場を提供できるわけがない。休業することにしたのは、これ以上自分が落ち込まないようにする予防策でもあるんです」
昨年の売上は例年の2/3。通常ならツブれるレベル
― 休業補償についてはどうでしょう?
岩須 「支給額が前回の1日4万円から6万円に上がって、うちのケースだと雇用調整助成金でメインスタッフの給料はまかなえますので、それについてはありがたい。ただ業態や規模にかかわらず一律なので飲食業界の中でもすごく不公平感があって、家賃が高い大きな店には全然足りないし、逆にマスター1人の小さなバーとかにとってはむしろ特需ですよね。うちのような規模の店にとっては中途半端で、これだけで落ち込んだ売上分をカバーしきれるものではありません」
― コロナ禍で、店の業績にはどれくらい影響があったのでしょう?
岩須 「平常時の1日の売上がいい時で15万円くらいだったのが、コロナショック後は数千円程度の日も珍しくなくなってしまいました。去年の売上は例年の2/3程度です。半分以下に落ち込んだという話も聞くので2/3ならまだマシな方と思われるかもしれませんが、飲食店は利益率が低いので普通ならツブれるレベル。あと1年この状態が続いたら店を閉めるしかないでしょうね」
経営を支える“第3の輪”はNZワインの通販
― そうならないために新たにつくる「補助輪」について具体的に教えてください。
岩須 「ニュージーランド(NZ)ワインの通販を始めます。NZワインは世界でも日本でもマイナーな存在ですが、実はすごくおいしくて、特に白ワインは弾けるような柑橘系の味わいがすごくキャッチー。店を始めた頃から扱ってきて、1年前には『ニュージーランドワインラバーズ』というWebサイトも開設しました。これが今、月間1万PVほど見てもらえているので、ここから販売につなげていきたい。酒類販売の免許の申請に時間がかかるので、ゴールデンウイークまでにスタートさせたいと思っています」
― 既存の前輪・後輪のメンテやマイナーチェンジもしたいとブログに書いています。
岩須 「NZワインってアウトドアにぴったりなワインなんですよ。フルーティーな味わいは外で飲むとびっくりするくらいおいしい!NZランドワイン=アウトドアワイン、その魅力を伝えるためにキャンプとからめたイベントを開いたり、店で出す料理もアウトドアをイメージできるようなメニューを開発したい。ただネットでワインを売るだけじゃなく、イベントもやって興味を持ってくれる人を増やして店にも飲みに来てもらう、そんな前輪、後輪、補助輪のサイクルをつくりたい。そのためにまず僕がソロキャンプデビューしてワインをたくさん飲もうと思っています(笑)」
― 新たな補助輪といってもこれまでやってきたことの延長線上にある取り組みですね。
岩須 「誰でもその人の人生の文脈の中で今の仕事をやっているわけですから、そこから外れて脈絡もなく新しいことをやるのはウィリー走行以上に無理があるし、きっと続きません。僕は20歳の時からFMラジオの仕事をしてきて、分かりやすく伝えることには少しは自信がある。飲食店も11年やってきて、イベントもたくさん開催してきた。NZワインも好きで現地ワイナリーにも行ったりして、店で売ってきた。思いのこもったワインの魅力を分かりやすく伝えて届けることが、今の僕が得意技を活かしてできることだと思うんです」
― 岩須さんの休業宣言から、他の飲食店が参考にできることはあるでしょうか?
岩須 「飲み屋って広い目で見れば斜陽産業で、その中でみんな頑張っているわけですが、どこかで伸びている業種に片足でもかけないと前へ進むのが難しくなっている。今はネット通販が伸びているので、そこで店を支える売上をつくるのが現実的で有効な選択肢じゃないでしょうか。でも、結局のところ飲み屋は僕らにとってもお客さんにとっても楽しい場所。楽しいことは自分でつくっていかないと!と思っています」
「うどんや太門」がコロナ被害ゼロでも店を閉めた理由
もう一軒、コロナ禍で休業を選択した名古屋の人気飲み屋があります。「うどんや太門」です。
2012年にオープンした同店は、名古屋ではそれまでなかったうどん居酒屋というスタイルで一躍“予約の取れない”大人気店になりました。ところが、昨年4月に県の緊急事態宣言が出るより先に休業。そのまま現在にいたるまで閉まったままとなっています。
店主の衣笠太門さんは讃岐でうどんの修業を積み、さらに名古屋流の手打ち麺の技術に魅了されて、両者のハイブリッドに精力的に取り組んでいました。その衣笠さんがなぜ10カ月も店を閉めたままにしているのか? 真相を尋ねました。
― 店を閉めたのはコロナウイルスの感染が広がり始めてすぐですか?
衣笠 「去年の4月頭からです。直接のきっかけはアルバイトが3月末で辞めたこと。嫁さんと2人だけになってしまうので、コロナも広がってきていたし、ほとぼりが冷めるまで1カ月くらい休もうか、と思って閉めたんです」
― 営業していた昨年3月の時点でのコロナの影響は?
衣笠 「それがまったくなくて、通常通り毎日予約がパンパンに入っている状態でした。4月以降の予約の電話もひっきりなしで、そのたびに休業の説明をしなければならず、その対応に時間を取られて普段以上に忙しいくらいでした」
― 当初はこんなに長期間休むつもりではなかった?
衣笠 「えぇ。1カ月の休業期間を使って、営業方針の見直しを図ったり、求人したりしようと思っていました。ところが4月半ばに県の緊急事態宣言が出て、当分再開しづらい空気になってきた。それで1カ月休むつもりが無期限になってしまった感じです」
開業当時からの野望実現のために動き出す
― それ以来ずっと無収入ということですか?
衣笠 「はい。今は貯金を切り崩してやりくりしています。うちの店舗は、祖父から受け継いだビルに入っている自社物件で、家賃がいらないので何とかなっています。もちろん遊んでいたわけではなくて、せっかくだからこの時間を使って、ずっとやりたかったことのために勉強しなおすことにしました」
― ずっとやりたかったこととは?
衣笠 「“きしめんを名古屋のソウルフードにする!”という野望を店を始めた頃からずっと抱いていたんです。おいしいきしめんを出す昔ながらの麺類食堂はたくさんあるんですが、一部の麺マニアしかそれを知らない。もっと町のあちこちに気軽に入れるおいしいきしめんの店があれば、名古屋に来た若い人も食べようと思ってくれるはずです。僕自身もともと麺マニアで、全国各地にいろんなご当地の麺があってみんなに親しまれ、食べられているのが理想。かつては讃岐うどんを全国に広めたいと思って讃岐で修業したんですが、自分がやる前にあっという間に全国に広まって、むしろ今は広がりすぎたくらい。名古屋の麺マニアの人も、讃岐のうまい店ばかり探しているんですよね」
新しい製麺工房兼アンテナショップのオープンが間近
― 「うどんや太門」をきしめん専門店にするのですか?
衣笠 「いえ。スガキヤ感覚で入れるようなきしめんチェーンをつくりたいんです。そのために、どうすれば高品質で大量に生産できて簡単に調理できるきしめんがつくれるかと考えて、安い製麺機を探し回るなどしていたんですが、なかなかいい方法が見つからない。ずっと悩んでいたんですが、去年の夏にその問題が一気に解決したんです!」
― どんな方法が見つかったのでしょう?
衣笠 「急速冷凍です。知人に誘われて実験してみたらこれがびっくりするほどおいしいんです。僕と名古屋の手打ちの名店『高砂』店主の堀江高広さんがそれぞれ麺を持ち寄って、冷凍した上で解凍・調理したんですが、生の打ち立てを使うのとまったくそん色がない。これなら僕らが納得のいく麺をつくって冷凍配送すれば、現場での調理も簡単で間違いのないきしめんをたくさんの店で提供できる。その事業のための新会社を高砂・堀江さんと共同で設立しました」
― きしめんチェーンの本部になるということですか?
衣笠 「それを前提に、まずは製麺所兼イートイン&販売のアンテナショップをつくって、冷凍きしめんのおいしさを体験してもらおうと思っています。それを5月にオープンする予定で進めています」
選択肢を増やして“名古屋の麺食文化の景色”を残したい!
― 「うどんや太門」の店舗はどうするんですか?
衣笠 「製麺所を始めたらそちらにつきっきりになるので、しばらくは店に出られない。その間、誰か任せられる人がいないかと思っていたところ、ちょうどこの問題もつい先日解決策が見つかったところです。まだ詳しくはいえませんが、これまでとは違う麺の店としてリニューアルする予定です。もちろん製麺所が軌道に乗って余裕ができたら、『うどんや太門』を復活させる予定です」
― 何か企んでいるのだろうな、とは思っていたんですが、想像をはるかに超えるスケールの大きな話で驚きました。
衣笠 「まだスタートもしていない新事業なのであまり大きなことは言えませんが、“名古屋の麺文化の景色を残したい”と思っているんです。町の麺類食堂は店主の高齢化と後継者不足で減る一方です。息子さんが後を継ごうと思っても、それだと1店舗で2世帯分の生活費を稼がなければならない。そんな時に低コストでできるチェーンという選択肢があれば、お父さんが元気な間は息子さんはそちらに加盟して姉妹店としてやることもできる。そのためにもだしは元のお店のモノを使ってもよしとするなど、フランチャイズでも加盟店の自由度が高い仕組みをつくろうと考えています」
◆◆◆
コロナ禍において「休業」を選択した2軒の個性派飲み屋。両者はいずれも次の展開に向けて、きわめて前向きに、かつ具体的に動き始めているのでした。印象的だったのは両オーナーとも、自分が飲食店として最も情熱を注いでいるものをさらに発展させようと取り組んでいること。ピンチの時こそ自分のストロングポイントに磨きをかける、それこそが最強の生き残り戦略といえるのかもしれません。
両者が休業を終えて再スタートを切った後、その選択が正しかったと証明してくれることを大いに期待したいところ。それは誰しもにとって、苦しい時や迷った時、進むべき方向を照らしてくれる光明になるのではないでしょうか。
(写真撮影/すべて筆者。一部の写真は筆者の著書『名古屋の酒場』より転載)