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7回主君を変えた戦国武将・藤堂高虎は実は一途な人物だった?

陽菜ひよ子歴史コラムニスト・イラストレーター

戦国時代のような過酷な世を生き抜いた武将の人生には、現代の我々のキャリアにおいても学べる点があるのではないか。そのような考えからビジネスメディアで連載していた「武将に学ぶキャリア」シリーズ。

連載本体はやや長尺なため、ここではコンパクトにまとめてご紹介したいと思う。

第一回は、築城名人として名高い藤堂高虎。主君を7回も変えた不忠義者としても知られる。

しかしここではあえて、本当に高虎は不忠義者だったのか?を考えてみたい。そして彼の生き方から、現代の我々が学ぶべき点について考察してみることにする。

◎仕えた主君が若くして亡くなる

1556年近江国(滋賀県)の小豪族に生まれた高虎は、14歳で家督を継承。

彼が最初の主君は近江の戦国大名・浅井長政。長政のもとで活躍するも、1573年、浅井家は織田信長によって滅亡。長政29歳、高虎17歳。

その後3年間で3人主君を変える。

1576年、20歳で豊臣秀吉の弟、秀長の家臣に。秀長は高虎の才能を見抜いて重用し、高虎は秀長の側近となる。

ところが1591年、高虎35歳のときに秀長が50代の若さで病死、子の秀保も17歳で早世してしまう。高虎は主君2人を弔うため39歳で出家するのである。

ここまでむしろ高虎は、「この人」と決めた主君のためには出家するほど「忠義者」だったのではないか。しかし残念ながら、最初の主君・浅井長政も豊臣秀長も若くして亡くなってしまった。

高虎が「不忠義者」といわれるのは、むしろここから先である。

◎豊臣恩顧の大名として復帰

一度は出家した高虎だが、その才能を惜しんだ秀吉の説得で還俗。1595年、伊予国板島(愛媛県宇和島市)8万石の大名として取り立てられた。

ところが、3年後に秀吉が死去し、1600年に関ヶ原の戦いが勃発。

ここでなんと高虎は、豊臣に敵対する徳川方として戦うのである。関ヶ原後は徳川家臣となり大坂の陣も徳川方として参戦。

徳川が勝利して天下泰平の世となり、歴戦の名将たちが活躍の場を失う中で、高虎は家康の側近となっていく。二代秀忠・三代家光の信頼も絶大だったとされる。

反高虎派の言い分はこうである。「豊臣恩顧の大名でありながら、秀吉が亡くなった途端に徳川方へつくとは、何たる不忠義」

しかし、高虎は本当に不忠義者だったのだろうか。

◎高虎が求めたものは「出世」なのか

高虎は確かに7回主君を変えたが、高虎は主君を裏切ったことはない。少なくとも彼自身には「裏切った」という意識はなかったのではないか。

「主君を7回変えた不忠義者」の言葉からは、出世を望む野心家の姿が浮かぶ。しかし、高虎は本当に出世を望んでいたのか?

出世したかったならなぜ、秀長親子が亡くなった際に出家したのか?出世を望むなら、自ら秀吉の元へ仕官したのではないだろうか?

こうは考えられないだろうか。

高虎にとって大切だったのは「家名」ではなく「人」だった。つまり、彼にとって大切な主君は「秀長」個人であって、「豊臣家」ではなかった。

大名として家康に接するうちに、高虎は家康の人柄や器の大きさに惚れ込んだと考えられる。しかし大名に取り立ててくれた秀吉には恩を感じていたから、高虎は秀吉のことは裏切らなかった。

秀吉の死後、彼にとって豊臣家は、すでに「主家」ではなくなっていたのではないだろうか。

◎「入れ物」ではなく「人」

ここまでの視点で見た高虎の生き方を、現代のわたしたちに置き換えて考えてみると、「家名」=会社、「人」=社長や上司と仮定できるだろう。

就職や転職する際には、「会社の知名度や規模(=入れ物)」で選びがちだということ。

しかし高虎のように、「人」で選ぶのも大切な視点ではないか。

もちろん勤務条件や待遇は大切だ。大企業ならではの手厚い福利厚生は魅力的ではある。

とはいえ、「働く」こととは「お金を稼ぐ」ためだけのものではない。

退職理由の不動の1位は「人間関係」であるといわれる。人間関係を理由に心を病む人も少なくない。

勤務先を選ぶ際には、「人との関係」の重要性を見失わないことが大切だ。企業理念への共感や上司に認められることはときに、金銭以上の原動力になりうる。

現代では、経営者や社員の声を、SNSの発信やインタビューなどで知る機会に恵まれている。企業の社会的な取り組みや理念に共感したり、「この人と一緒に働きたい」と感じたりすることは、働く上でのモチベーションに大きく作用するのだ。

会社も主家も大海原に漕ぎ出す船のようなもの。巨大で強固に見える船でも漕ぎ手(経営者・主君)次第で沈むこともある。

現代のように先行き不透明な時代では、選択を間違えば戦国時代同様に危険をともなう。

「経営者の視点を知ること」「相性の悪い上司のもとで無理をせず、潔く次へ行くこと」は、乱世を生き抜くうえで必至といえるかもしれない。

◎詳細はこちらから

「武将に学ぶキャリア戦略~藤堂高虎編」

https://ttj.paiza.jp/archives/2023/03/12/3986/

(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)

歴史コラムニスト・イラストレーター

名古屋出身・在住。博物館ポータルサイトやビジネス系メディアで歴史ライターとして執筆。歴史上の人物や事件を現代に置き換えてわかりやすく解説します。学生時代より歴史や寺社巡りが好きで、京都や鎌倉などを中心に100以上の寺社を訪問。仏像ぬり絵本『やさしい写仏ぬり絵帖』出版、埼玉県の寺院の御朱印にイラストが採用されました。新刊『ナゴヤ愛』では、ナゴヤ(=ナゴヤ圏=愛知県)を歴史・経済など多方面から分析。現在は主に新聞やテレビ系媒体で取材やコラムを担当。ひよことネコとプリンが好き。

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