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【光る君へ】前代未聞・兄弟皇子2人に愛された「貴公子キラー」和泉式部の波乱の生涯(相関図/家系図)

陽菜ひよ子歴史コラムニスト・イラストレーター

NHK大河ドラマ『光る君へ』。世界最古の小説『源氏物語』の作者・紫式部(まひろ)(演:吉高由里子)と、平安時代に藤原氏全盛を築いた藤原道長(演:柄本佑)との愛の軌跡を描きます。

美しすぎる主上(おかみ)こと、一条天皇(演:塩野瑛久)が崩御。天皇のために漢詩を学んできた中宮彰子(演:見上愛)の想いに気づき、喜んだのもつかの間でした。ううう、寂しすぎる!

さて、今日のテーマは彰子後宮に新しく仲間入りした「あかね」こと和泉式部(演:泉里香)について。

光源氏と藤壺の禁断の恋について「不実の恋は必ずおのれに返ってまいりますゆえ」という道長に向かって「されど左大臣さま、罪のない恋なぞつまりませんわ」と堂々と言ってのける恋多き歌人です。

ドラマの中の描写でわかるのは、どうやら和泉式部は親王など身分の高い男性と恋愛関係にあったらしいことと、元夫が和泉守だということのみ。

非常にモテモテで魅惑的な女性、和泉式部について、もう少し詳しく書いてみたいと思います。

◆紫式部が遺した和泉式部への見解

ドラマの中では、あかね(和泉式部)を彰子後宮に呼んだのはまひろ(紫式部)ということになっていますが、実際には和泉式部が彰子に仕えた理由は不明だとされています。

紫式部は和泉式部のことを『紫式部日記』に書き残しています。

「和泉式部は素敵な恋文を書く人です。素行については感心できませんが、走り書きなど即興での文才があり、何気ない言葉が香り立つように見事。和歌の知識や理論はあまり知らず本格派ではないけれど、人をはっとさせる言葉が口をついて出る天才型の歌人です」

あまりほめているように思えませんが、これが清少納言相手だと、紫式部はもっと辛辣な物言いをしているので、これでも十分ほめているのだと思われます。

(参考記事:【光る君へ】紫式部は本当は清少納言が嫌いだった?実際にはどんな関係?(相関図・家系図)・6/1(土))

陰キャだとされる紫式部は陽キャの清少納言に反感を持っていました。

和泉式部もどちらかといえば陽キャ。しかし、インテリ陽キャな清少納言とは異なり、和泉式部は自分の学識をひけらかすようなことはしないタイプだったようです。

紫式部の夫の宣孝(演:佐々木蔵之介)も陽キャでモテるひとでした。あっけらかんとして周りを楽しくさせるところが、ちょっと和泉式部とタイプが似ているかもしれません。

(参考記事:【光る君へ】正反対だから惹かれあった?陰キャな紫式部の結婚生活とは?(相関図・家系図))・5/19(日))

友人関係はタイプが似すぎているとライバル関係に陥りがちです。紫式部はむしろタイプが違うからこそ和泉式部を認め、仲良くできたのかもしれませんね。

◆和泉式部の出自とは?

◎大江氏の出身で赤染衛門の義理の姪という説あり

和泉式部の生没年は当時のほとんどの中流貴族女性同様、はっきりとわかっていません。生まれたのは978年頃とされているので、紫式部とは同世代か少し年下だったと考えられます。

和泉式部は越前守・大江雅致の娘です。大江雅致は、赤染衛門(演:凰稀かなめ)の夫である大江匡衡の兄という説があり、その説をとると赤染衛門は和泉式部の義理の叔母。

前述の和泉式部「されど左大臣さま、罪のない恋なぞつまりませんわ」発言に、赤染衛門は、「人は、道険しき恋にこそ、燃えるのでございます」と続けました。

道長を前に息の合った応酬は、親族の親しい仲だからできたこと、なのかもですね!

ここで家系図をお見せします!

◎一家を挙げて太皇太后宮・昌子内親王に仕える

和泉式部は999年ごろまでに和泉守・橘道貞と結婚。和泉式部の女房名はこの時の夫の官職から来ています。2人は娘・小式部内侍に恵まれますが、のちに結婚生活は破綻してしまいます。

ドラマの中では彼女は宮の宣旨(演:小林きな子)に「別れた夫の官職など嫌です」と抵抗していましたね。いや、これはごもっとも。自分が彼女だったとしても嫌だと思います。

和泉式部の母は太皇太后・昌子内親王(家系図緑)付きの女房で介内侍と呼ばれていました。(昌子内親王は冷泉天皇の后で中宮)

母だけでなく父の雅致も夫・橘道貞も昌子内親王に仕えていた時期があることから、和泉式部も昌子内親王付の女童(めのわらわ=女房見習)だったとする説もあります。しかし資料に乏しく詳細は不明です。

◆なぜ彼女はスキャンダル女王になったのか

◎為尊親王との熱愛で勘当される

1000年頃、和泉式部は冷泉天皇の第三皇子・為尊(ためたか)親王との熱愛が世に知れるところとなります。冷泉天皇の皇子といっても、昌子内親王の子ではありません。母は道長の姉の藤原超子で、三条天皇(演:木村達成)の同母弟です。

この恋の代償は大きく、和泉式部は結婚生活が破綻しただけでなく、親からも勘当されてしまいました。

しかし、彼女がスキャンダル女王になったのは、彼女の奔放な恋愛がこれだけで終わらなかったからです。

◎為尊親王との恋愛については描かれていない『和泉式部日記』

為尊親王は977年生まれで和泉式部とはほぼ同世代。若い2人は恋に落ちたものの、1002年には為尊親王は流行り病であっけなく薨去してしまいました。享年26歳。

ところで和泉式部は『和泉式部日記』を残していますが、この日記には、為尊親王との恋愛については描かれていないのです。

実はこの日記は為尊親王の死後の1003年、喪に服し嘆き悲しむ和泉式部に、為尊の弟・敦道親王から花が届くところからはじまります。

『和泉式部日記』には、敦道親王との恋の駆け引きから、ついに2人が恋に落ちる様子が和歌のやり取りを通じて赤裸々に描かれます。

有名なのが和泉式部のこの歌

————かほる香に よそふるよりは ほととぎす きかばや おなじ聲やしたると

この歌にはいくつかの解釈があります。

「花の香りを懐かしみながら亡くなった方(為尊親王)を想うより、あなた(敦道親王)の声が聴きたい」

つまり、「亡くなった為尊親王はどうでもいいから敦道親王に会いたい」という解釈。

もう一つは

「花の香りを懐かしみながら、亡くなった方(為尊親王)と同じ声を持つ弟のあなた(敦道親王)の声が聴きたい」

こちらは、「弟の敦道親王を通じて恋しい為尊親王の声を聴きたい」という解釈。

どちらで解釈するかによって、和泉式部への印象は大きく変わりそうです。「魔性の女性」ととらえるか、「一途な女性」と感じるか。

◎宮仕えを経て再婚した和泉式部の「かぐや姫のような」エピソード

しかし、彼女とのやり取りにすっかり燃え上がった敦道親王は和泉式部を自邸に迎えます。その結果、親王の正妻は出ていき、和泉式部は恋の勝者となります。2人の間には男子も生まれました。

ところが2人を突然の悲劇が引き裂きます。4年後の1007年に敦道親王も薨去してしまうのです。敦道親王27歳、和泉式部30歳ごろの話。

その1年ほどのちの1008年に、和泉式部は中宮彰子の女房として宮仕えをはじめました。『和泉式部日記』を書き始めたのもこのころだとされています。

なんといっても、若き貴公子2人を和歌で虜にした和泉式部。和歌の代筆を頼まれることも多かったそうです。中宮彰子にも一条天皇の気を引く和歌を指南したかもしれません。

その後、道長の家司で武勇に優れ「道長四天王」の一人といわれる藤原保昌と再婚。

和泉式部を見初めた保昌が猛アタックしたといわれます。

和泉式部は彼の真意を試すために「天皇の住まいである内裏の庭に咲く紅梅を一枝折って持ってきて欲しい」ととんでもない要求をします。

まるで、「蓬莱の玉の枝」を求婚者にねだったかぐや姫のようなエピソード!やはりモテる女性はスケールが違います。

なんとか梅の枝を持ってきた保昌と和泉式部は結婚。しかし和泉式部の奔放エピソードはここまで。

◆恋多き女の哀しき最期?

◎貴公子キラーもうまく行かない恋に悩んだ?

和泉式部が京都の貴船神社に参拝して読んだといわれる歌が伝わります。

————もの思へば 沢の蛍も 我が身より あくがれいづる 魂かとぞ見る

「物思いをしていると、沢を飛び交っている蛍の火も、自分の身から離れ、さまよい出た魂ではないかと見えたことだ」

和泉式部は、「蛍がまるで、悩み苦しんで自分の体から離れてしまった魂のようだ」と詠んでいます。ここから、和泉式部は保昌との仲がうまく行っていないことに悩んでいたと考えられていますが、はっきりとしたことはわかっていません。

貴公子を2人も射止め、夫からは熱烈な求愛をされた和泉式部でも、このように男性との関係に悩んだこともあったのですね。

◎誰のことを歌った?病床の和泉式部が詠んだ歌

百人一首に選ばれた和泉式部の歌は

————あらざらむ この世のほかの思い出に 今一度の逢ふこともがな

この歌、モテモテだった和泉式部がつくったとは思えない、とても悲しい歌です。

「もうすぐ私は死んでしまいます。あの世へもっていく想い出に、もう一度だけお会いしたいものです」

この歌の「会いたかった相手」はいったい誰だったのでしょう。夫保昌?それとも秘密の恋の相手?

その相手は、病に臥せった和泉式部に会いに来てもくれないというのでしょうか。

実はこの和歌は和泉式部が比較的若いときに詠まれたもので、彼女はこのあと回復したと伝わります。その後彼女がこの歌の相手とどうなったのかは、謎に包まれたまま。

けれど彼女が必死に愛し、生きた記録は、1000年後のわたしたちの心も打ち続けるのです。

(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)


◆主要参考文献

和泉式部日記(角川文庫)

紫式部日記(山本淳子編)(角川文庫)

歴史コラムニスト・イラストレーター

名古屋出身・在住。博物館ポータルサイトやビジネス系メディアで歴史ライターとして執筆。歴史上の人物や事件を現代に置き換えてわかりやすく解説します。学生時代より歴史や寺社巡りが好きで、京都や鎌倉などを中心に100以上の寺社を訪問。仏像ぬり絵本『やさしい写仏ぬり絵帖』出版、埼玉県の寺院の御朱印にイラストが採用されました。新刊『ナゴヤ愛』では、ナゴヤ(=ナゴヤ圏=愛知県)を歴史・経済など多方面から分析。現在は主に新聞やテレビ系媒体で取材やコラムを担当。ひよことネコとプリンが好き。

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