【来日直前インタビュー前編】プリティ・メイズ、北欧ハード・ロック名盤『フューチャー・ワールド』を語る
北欧ハード・ロック/ヘヴィ・メタルのベテラン強豪バンド、プリティ・メイズが2018年11月、“Back To The Future World- 30th Special Maid In Japan”と題された来日公演を行う。
川崎CLUB CITTA'で行われる2夜連続ライヴは、1987年の名盤アルバム『フューチャー・ワールド』を完全再現するというもの。それに加えて17日(土)は“Greatest Hits & The Band's Favorites”、18日(日)は“Rare Songs & Fans' Favorites”と銘打って、それぞれ異なったセットリストで臨むことになる。
日本上陸を目前にして、シンガーのロニー・アトキンスが『フューチャー・ワールド』を語るインタビューを全2回でお届けする。
まずは前編。ロニーは日本公演に向けて、熱い口調で話してくれた。
<新しいエクスペリエンス。スリルを感じている>
●日本でのライヴに向けて準備はOKですか?
うん、みっちりリハーサルして、ベストな状態で日本行きの飛行機に乗るよ。『フューチャー・ワールド』完全再現ライヴは既にヨーロッパで何度かやったけど、今回はそれに加えてファンからのリクエスト曲、そしてレア・ソングスも演奏するんだ。昔のアルバム発表当時のツアーでしかプレイしなかった曲、ライヴでやったことのない曲のリクエストもあって、日本のファン達のマニアックぶりにすごく驚いたよ。俺たちにとって新しいエクスペリエンスだし、スリルを感じている。
●『フューチャー・ワールド』完全再現ライヴを行うことにした経緯を教えて下さい。
『フューチャー・ワールド』はプリティ・メイズというバンドを世界に知らしめたアルバムだった。アーティスティック面でもセールス面でも成功した作品で、1987年に発表して、2017年に30周年を迎えた。それでアニヴァーサリー・ショーをやることにしたんだ。当初コペンハーゲンでのショーを撮影にして映像作品にするつもりだったけど、技術的な問題があって、うまく行かなかった。それで今年(2018年)、ドイツ『バング・ユア・ヘッド』フェスティバルでのショーを撮影したんだ。だから30周年ではなく、31周年になったけど、あまり気にしないで欲しい(笑)。実はCLUB CITTA'でのショーも撮影する。プリティ・メイズと日本のLOVEは長年続いてきたけど、日本でライヴ・レコーディングをしたのは『アライヴ・アット・リースト』(2003)ぐらいだった。映像を撮るのはこれが初めてなんだ。まだ、どういう形でリリースするか決めていないけど、ドイツと日本の映像のカップリングになるかも知れない。だから日本のファンにはドイツのファン以上にラウドでクレイジーになって欲しいね。
●アルバム完全再現ライヴといっても、「フューチャー・ワールド」や「ラヴ・ゲームス」は通常のライヴでもプレイしていますよね。
うん、「フューチャー・ワールド」は1987年以来、おそらくすべてのライヴでプレイしてきた。「ラヴ・ゲームス」はすべてではないけど、かなりの回数をプレイしてきたよ。「イエロー・レイン」や「ロデオ」、「ウィ・ケイム・トゥ・ロック」もプレイするたびに、世界中のファンから大きな声援が湧き上がる。ただ、「ニードルズ・イン・ザ・ダーク」や「ロング・ウェイ・トゥ・ゴー」はレア曲だよ。特に「ロング・ウェイ・トゥ・ゴー」は『フューチャー・ワールド』発表当時のツアーでもプレイしなかった。完全再現ライヴで初めてプレイしたんだ。それは俺たちにとってチャレンジだったし、楽しい経験だったよ。
●発表当時と今では、『フューチャー・ワールド』からの曲を演奏するときのエモーションは異なりますか?
アルバムを出してから30年が経ったし、ソングライターとして、そして人間としてかなりの変化があった。当時はまだ20歳そこそこで若かったし、「俺たちはロックする!」みたいなナイーヴな歌詞も書いていた。「...本当に俺が書いたの?」というものもあるよ(笑)。『フューチャー・ワールド』は誇りにしているアルバムだけど、日本でプレイするのが最後となる曲もあると思う。だから今回のチャンスを逃さないで欲しいね。
<『フューチャー・ワールド』は俺たちの代表作のひとつだ>
●『フューチャー・ワールド』で特にお気に入りの曲はありますか?
プリティ・メイズは30年以上のキャリアにおいて良い曲をいくつも書いてきたけど、オールタイム・フェイヴァリットを選ぶとしたら「フューチャー・ワールド」だ。今でもライヴでプレイするのが楽しい。オジー・オズボーンも「パラノイド」を毎晩歌っても飽きないと言っていたけど、それと同じ気分じゃないかな。プリティ・メイズ・サウンドを定義した曲で、最高のギター・リフとキーボード、ヴォーカル・メロディも気に入っている。俺にとって特別な意味を持つ曲だよ。
●その「フューチャー・ワールド」を発表した翌月にハロウィンが同じタイトルの「フューチャー・ワールド」をリリースしましたが、どんな気分でしたか?
特に傷ついたり、ムッとしたりはしなかった。奇妙な偶然だと思ったよ。3年ぐらい前、アヴァンテイジアのツアーで当時ハロウィンのシンガーだったマイケル・キスクと一緒になったんだ。そのときマイケルは「プリティ・メイズからタイトルをいただいた」と話していたけど、よく考えればそれは不可能だよな。俺たちが『フューチャー・ワールド』を出したのは4月で、ハロウィンが「フューチャー・ワールド」の入った『守護神伝 第一章』を出したのはその翌月だから、絶対に間に合う筈がないからね。マイケルがジョークで言ったのか、何か誤解していたのかは判らない。とにかく偶然なのは明らかだったし、気にしたことはなかった。
●「ラヴ・ゲームス」を書いたときのことを覚えていますか?
「ラヴ・ゲームス」はアルバムで最初に書いた曲だった。アルバム『レッド・ホット&ヘヴィ』がまだ発売される前、1984年10月に書いたんだ。その次に書いたのが「ロデオ」だった。それから『レッド・ホット&ヘヴィ』が出て、ヨーロッパをツアーした。サクソンのサポートを務めたりしたよ。ツアーの間、しばらく曲作りは休んでいたけど、1985年の終わりに次のアルバムに向けて再開したんだ。最初に作ったデモには「イエロー・レイン」と「ロデオ」、そして「フューチャー・ワールド」になる前の「アフターワールド」の3曲が入っていた。あと曲作りの初期には「トゥ・マッチ・トゥ・ファースト」という曲もあったけど、『フューチャー・ワールド』には収録されず、『ジャンプ・ザ・ガン』(1990)の「ヤング・ブラッド」になった。そうして1986年の春に残りの曲を書いて、レコーディングに入ったんだ。
●『フューチャー・ワールド』のレコーディングはどのようなものでしたか?
1986年10月にニューヨーク州北部のベアズヴィル・スタジオで作業を開始したんだ。今でも昨日のように思い出すよ。みんな生まれて初めてアメリカに行くことに、すごくエキサイトしていた。レコーディングで、ほぼ半年のあいだ滞在することになった。『レッド・ホット&ヘヴィ』が高評価を得たことで、正直プレッシャーがあったよ。もっと成功しなければならないってね。とにかく時間がかかったんだ。レコーディングを始めて、プロデューサーのエディ・クレイマーの代わりを探して... レコード会社のバックアップがあったから出来たことだよ。『フューチャー・ワールド』はデンマークの音楽史上、最も制作費がかかったアルバムだったんだ。その記録を破ったのが『ジャンプ・ザ・ガン』だった。レコーディングが完成するとテープをデンマークに持ち帰って、『レッド・ホット&ヘヴィ』を手がけたトミー・ハンセンにミックスを頼んだんだ。ただサウンドを気に入らなかったこともあって、もう一度ミックスをやり直すことにした。いろいろ大変だったけど、その価値はあったよ。『フューチャー・ワールド』は俺たちの代表作のひとつになったからね。
後編ではロニーにさらに深く幅広く『フューチャー・ワールド』を掘り下げてもらおう。
【公演日程】
PRETTY MAIDS
“Back To The Future World - 30th Special Maid In Japan”
川崎CLUB CITTA'
2018年11月17日(土)
『Future World』完全再現
+ Greatest Hits & The Band's favorites
2018年11月18日(日)
『Future World』完全再現
+ Rare Songs & Fans' Favorites
日本公演特設サイト
【2017年の来日ライヴ・レポート】