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[甲子園]勝敗の分水嶺/第1日 1回に強いはずの樹徳が、逆にエラーから……

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

 30年ぶり出場の樹徳(群馬)。県内の3強を撃破したのは、1回の先制攻撃が大きかったという。なるほど、前橋育英との準々決勝は1回表に2点、桐生第一との準決勝は1回裏に1点、そして健大高崎との決勝は1回裏になんと5点だ。6試合中、4試合で初回に得点。

 だが甲子園では、その初回が明暗を分けた。昨年のセンバツで準優勝している明豊(大分)との1回戦である。

 群馬大会では、準々決勝で前橋育英を完封するなど、4試合でわずか自責点1(準決勝以降は、疲労から失点がかさんだが)だったエース・亀田颯玖が先頭打者の高木真心に四球を与えるも、二番のポテンヒットで三塁を狙った高木を封殺する。

 だが、一死二塁からのセカンドゴロを、キャプテン・阿久津佑太が一塁に悪送球して二走の生還を許した。群馬大会では阿久津はノーエラーだし、チームでも6試合で1失策と堅い守りが持ち味だったが……さらに五番、六番に連続適時打され、3点を失った。

 それでも、まだ序盤。1回に強い樹徳はまさにその裏、すかさず無死一、二塁のチャンスをつかんだ。だが、前橋育英戦でランニング本塁打している今野が三塁併殺打。二死二塁から、四番の阿久津もボテボテの投手ゴロに倒れた。阿久津は群馬大会からこれで、20打数ノーヒットである。

明暗を分けた初回

 初回こそ点が入らなかったが、

「入りがむずかしかったですが、それ以降よく立ち直ってくれた」

 と井達誠監督が振り返るように、亀井が明豊打線を封じていた5回だ。樹徳は、明豊の敵失に乗じて野村颯太をとらえ、3安打で同点とする。ことに、空振りしてカウント2-2と亀井が追い込まれ、ベンチの井達監督がすかさずタイムを取った場面。伝令は、亀井にこう告げた。

「狙い球を絞って、しっかり叩いていこう」

 すると、ものの見事に。その直後に追撃の三塁打が飛び出す。群馬3強を沈めた、バスター攻撃が生きた。樹徳はさらに、一番の林日陽のタイムリーで同点に追いついた。

 だが6回、明豊は1点を勝ち越すと、その裏2死一、三塁のピンチに森山塁をマウンドに。すると大分大会ではベンチ外だった森山が、以降の打者12人を1安打と樹徳の反撃を封じる。明豊・川崎絢平監督はいう。

「5回、エラーから追いつかれて流れは悪かったですが、追い越されなかったので次の1点を取ればまた流れがくる、と。森山が度胸よく投げてくれました」

 6回の明豊の1点と、森山の好投が勝敗を分けたといえそうだが、そもそもは、やはり初回だろう。

 3点先制されたとはいえ、樹徳も無死一、二塁だったのだ。そこからゲッツーと四番・阿久津の凡退……結果的に、無安打で最後の夏を終えた阿久津はいう。

「チームに迷惑をかけてばかりで……でも、地域の方やいろいろな方に支えられてここまできたことには感謝です」

 そう。なにしろ、30年ぶりの出場なのだ。当時現役として甲子園の土を踏んだ井達監督はむしろ、君たちに感謝している。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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