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上映中止に緊急手術、2度の危機を乗り越えて再上映へ。学生に逆ギレして何も知らずに監督の道へ

水上賢治映画ライター
「アリア」より  (C)坪川拓史

 コスパやタイパが否応なく求められるいまの時代に抗う。そのような時流に逆行する気持ちはおそらく本人にはさらさらない。

 ただ、場合によっては作品が完成を迎えるまで9年。ここまで手間暇を惜しむことなく、細部にわたってこだわり、なにか目覚める瞬間を待つように熟成させて、ようやく1本の映画を生み出す、彼のような映画作家はほかには見当たらない。

 坪川拓史。本人が意図したかどうかは定かではないが、彼はじっくりとじっくりと時間をかけて、しっかり自身の心血を注いで映画をここまで作り続けてきた。

 なにも時間をかければいいものではない。

 だが、長き年月を経て、時に中断やトラブルに耐えて生まれた彼の作品は、映像のもつ「美」と俳優本人の「人間力」が刻まれ、不思議な命が宿る。

 現在全国順次公開中の<孤高の映画作家 坪川拓史全作品>は、タイトル通り、坪川が制作してきた全作品を網羅した特集上映だ。

 だが、彼自身の映画作りと同様に、この特集上映自体もいくつかの危機を乗り越え、数年という時間を経て全国公開を迎えることになった。

 ようやく念願だった特集上映にこぎつけた坪川監督に訊く。全七回/第四回

<孤高の映画作家 坪川拓史全作品>が全国公開中の坪川拓史監督  筆者撮影
<孤高の映画作家 坪川拓史全作品>が全国公開中の坪川拓史監督  筆者撮影

映画を見るようになったのは東京に出てきてから

 前回(第三回はこちら)、監督として歩み始めたきっかけについて明かしてくれた坪川監督。

 ただ、映画に子どものころから馴れ親しんできたわけではなかった。

「映画を見るようになったのは東京に出てきてから。これまで観てこなかったのを取り返すかのように映画館に通いました。当時はミニシアターブームでしたし、まだ名画座も多くありましたから。

 上京前に映画館で観た映画は3本だけでした。あとはテレビで『チャップリンの独裁者』や『第三の男』を観たことがあったぐらいでした。

 それから、上京してまもないころに、美術系の学校に通う友人がたくさんできたんです。今はもう無いんですが『文化学院』という素敵な学校が御茶ノ水にあって、僕はそこの学生じゃないのにキャンパスに入り浸っていました。

 その文化学院で出会った学生たちが、田舎者の僕をいろいろなところに連れて行ってくれて様々なアートやカルチャーを教えてくれたんです。

 で、前回お話ししました『だったらお前が撮れよ』と言われたことを本気にして映画を作ろうと思い立ち、オンシアター自由劇場の同期や諸先輩などに協力してもらって作った初監督作品が無声映画『十二月の三輪車』でした。

 25分の短編にもかかわらず、完成まで1年以上かかったんです。振り返ると、キャリアのスタートから1作品が完成するまで時間のかかるタイプでした。

 ようやく完成して試写会をやったんです。多摩川の河原で(笑)。発電機と小さなスクリーンを運んで、生演奏付きで上映しました」

地元の残っていた思い出の映画館「長万部劇場」の取り壊しを前に

 その「十二月の三輪車」を経て、実に完成まで9年の月日を要すことになる初の長編「美式天然」を手掛けることになる。

 この初長編もまた不思議な巡り合いが始まりだったという。

「『十二月の三輪車』を完成させた翌年の1996年に北海道・長万部町に里帰りしたんです。そのときに、『長万部劇場』という地元の映画館が近々取り壊されるという話を耳にしました。

 長万部劇場は僕が生まれる2カ月前の1971年12月で閉館していました。でも、閉館後もずっと建物自体は取り壊されないで残っていた。

 僕自身はそこで映画を観たことはない。ただ、映画館の周りではよく遊んでいました。

 すると都市伝説的に、子どもたちの間で怖い噂話が広まるわけです(笑)。夜になると女の人の顔が浮かぶとか、目が光るとか。

 怖いもの見たさで夜にいったら、ほんとうに女の人の顔がみえてびっくりしたことがあったんですけどね。

 とにかく僕にとってはなじみ深い場所でした。

 だから、取り壊されると聞いたときに思ったんです。『映画に残したい』と。

 早速、調べたら劇場の裏に住んでいるおばあさんが持ち主ということがわかりました。

 ただ、地元の人に尋ねると『テレビ局が取材をお願いしに行ったが門前払いされた』とか、『有名な俳優さんが来て中を見せてほしいと頼んだが断られた』とか聞かされて。だから撮影なんて無理だろうと言われたんです。

 でも、僕としては諦めきれない。そうしたら、そのおばあさんの娘さんが、僕が幼いときに通っていた保育園の園長先生だということ知ったんです。

 これは糸口になるかもしれないと保育園に20年ぶりぐらいに行ったら、園長先生がまだいらっしゃって、僕のことを憶えてくれていた。

 僕は伝説に残るほどやんちゃな子どもでして……。園の火災報知器を一日に二度も鳴らしたり、長机に友だちをのせて突進して壁に大穴をあけたり、とにかくインパクトが強すぎて憶えていてくれた。

 で、話を切り出しました。『映画館の中を見たいんです』と。

 園長先生は『とりあえず母には伝えておくけど、あそこには人を入れたがらないから、見られるかは確約できない』と言われました。

 翌日、緊張しながら伺うと、園長先生のお母さんが出てこられて、鍵を渡されてひと言『入れるなら一人で入ってみなさい』と言われたんです。

 それで劇場の南京錠をあけて、バッテンに板が張られていたところをどうにかすり抜けて、『失礼します』と言いながら中に入り、25年ぶりの客としておじゃましました。

 そうしたら立派な緞帳があって、そこに描かれていた鳳凰と目が合いました。そのほかにもいろいろなものが当時のまま残っていました。

 ちなみに僕がかつて見た女の人の顔の正体もわかりました。それは映画『キューポラのある街』のポスターが色あせてさかさまになっていて、そこに映っている吉永小百合さんでした(笑)。

 もう瞬時に『ここで映画を撮りたい』と思って、断られるのを覚悟しながら持ち主のおばあさんにお願いしました。『映画を撮らせてほしい』と。

 すると、なぜか承知してくださったんです。『あんまり町の騒ぎにならないようにこっそりやるならいいですよ』と。

 それが1996年の8月のことだったんですけど、すぐに東京に戻って、またオンシアター自由劇場の諸先輩方に『解体されてしまう映画館があるのでそこで映画が撮りたい』と伝えたら、『やろうやろう』と盛り上がってくれて、すぐに脚本を書き上げて、その年の11月から撮影に入りました」

「美式天然」より  (C)坪川拓史
「美式天然」より  (C)坪川拓史

映画監督というのは美術もロケ場所探しもキャスティングも

お弁当の手配もなにからなにまで一人でやると思いこんでいました

 当時、まだ映画監督のノウハウもほとんどなかったそうだ。

「短編の『十二月の三輪車』を撮りましたけど、ほとんど見様見真似で。オンシアター自由劇場の同期だった早藤まきさんとの共同監督でもありました。

 そんな感じだったので『美式天然』クランクインの時点でも、監督の役割はほとんどわかっていませんでした(笑)。

 わかってないというか、映画監督というのは美術もロケ場所探しもキャスティングもお弁当の手配もなにからなにまで一人でやると思いこんでいました。

 本来の制作現場はしっかり分業されていて、制作部や演出部などそれぞれの部署が各パートを担うということはのちに知っていきました。

 撮影については、前にお話をした僕のフィルム作品のすべてのカメラマンを務めてくれた板垣幸秀氏の力を借りて。

 1996年11月末に、電気も暖房もない映画館の中でクランクインしました。スタッフ3人、キャスト7人の総勢十名。劇場の隣にあった民宿を借りて、女優さんもいるのに全員雑魚寝のような状態でまず2週間の撮影をしました。

 でも、これは始まりに過ぎなかったんです」

(※第五回に続く)

【<孤高の映画作家 坪川拓史全作品>坪川拓史監督インタビュー第一回】

【<孤高の映画作家 坪川拓史全作品>坪川拓史監督インタビュー第二回】

【<孤高の映画作家 坪川拓史全作品>坪川拓史監督インタビュー第三回】

<孤高の映画作家 坪川拓史全作品>ポスタービジュアル  提供:坪川拓史
<孤高の映画作家 坪川拓史全作品>ポスタービジュアル  提供:坪川拓史

<孤高の映画作家 坪川拓史全作品>

『美式天然』『アリア』『ハーメルン』『モルエラニの霧の中』4作品を上映

名古屋シネマスコーレにて9月14日(土)から、横浜シネマリンにて9月21日(土)から、大分・別府ブルーバード劇場にて10月11日(金)から上映、以後全国順次公開予定

<横浜シネマリン上映イベント決定>

坪川拓史監督は毎回登壇予定

9/21(土)【トーク】

『モルエラニの霧の中』14:15回上映後

ゲスト:香川京子、菜葉菜、草野康太(以上出演)

9/22(日)【トーク】

『アリア』16:10回上映後

ゲスト:塩野谷正幸(出演)

9/23(月・祝)【演奏と活弁付きライブ上映】

『十二月の三輪車』16:40回/【投げ銭制ミニライブ】短編2作品16:40回上映後/各演奏:くものすカルテット

9/25(水)【トーク】

『アリア』16:10回上映後

ゲスト:塩野谷正幸、髙橋喜久代、DAN(以上出演)

9/27(金)【トーク】

『モルエラニの霧の中』14:15回上映後

ゲスト:大月秀幸、片岡正二郎、草野康太(以上出演)

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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