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【仏教】その過酷さは世界一?今の世にも続く究極の修行『千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)』とは

原田ゆきひろ歴史・文化ライター

皆さんは僧侶の修行と言えば、どのような内容が思い浮かぶでしょうか。冷たい滝に打たれたり、ひたすら座禅をしたり、また都会でもお経を唱えて托鉢を行うお坊さんを、見かけることもあります。

これらだけでも常人の生活に比べれば、はるかにストイックな修行と言えますが、この日本には心も身体も限界の限界を追求し、もはや死と隣り合わせの領域と言える究極の荒行が、存在しています。

その一つが歴史的にも有名な、滋賀と京都にまたがる天台宗の本山、比叡山延暦寺で行われるのですが、その名を『千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)』と言います。平安時代から続く伝統と由緒ある修行なのですが、ひとたび始めたならば何があっても中断は許されず、もし続けられなくなった時には、みずから命を絶つべしとされる、厳しい決まりがあります。

そのため修行中は自害用の短剣を持ち歩いて臨み、万がいち力尽きてしまった時には、出来る限り人様の迷惑とならないよう、自身の埋葬料も持ち歩くと言われ、まさに命がけの覚悟をもって行われる荒行なのです。

比叡山を巡る日々

さて、その修行内容ですが、まず第一段階としては何年間もかけ、累計してほぼ1000日に近い日数、修行場である比叡山の山道30キロほどを、踏破しなければなりません。それもただの山歩きでなく出発は深夜の2時頃なので、当然あたりはまっ暗です。

また道中200か所以上の決められた場所に立ち寄り、お経を唱えて礼拝して回ります。これは一般人の感覚であれば、たとえ少々体力に自信がある人であっても、足が棒になり疲れ果ててしまいそうです。

しかしこの回峰行を終えて朝7~8時頃にお寺へ戻った僧侶は、そこから通常の日々がスタートします。寝っ転がって休むことなどは出来ず、お料理や掃除・洗濯などの作務(さむ)に始まり、お寺のお勤めをこなさなければなりません。また、どれだけ天気の悪い日であっても、身体に疲れや痛みがあろうと、決められた期間は回峰行への出発は絶対となります。

以前NHKのドキュメンタリー番組で、実際にこの修行を行った僧侶への取材がありましたが、こうした日々を重ねると、物事に対する感覚が一変すると言います。普通の人であれば「うわあ、今日は雨が降っている。嫌だなあ」などと思うところ、そういうものだから仕方ないと、受け入れる境地になると言います。

やがてはそうした次元をも超え、全身を濡らす雨が「いずれこの水も巡りめぐって、川や湖へ流れて行くのだな」と、自然と一体となっている感覚になるとも言います。やがて日々が辛い苦行ではなく、むしろ回峰行に行くたびに違った風景や感触と出会い、それらが楽しいとさえ感じると、答えていました。

一般人の感覚では、やると決めたら絶対に貫く精神に始まり、そこに喜びさえ見出す心境は、どこか悟りの境地に近いのではとも感じられてきます。

生命の限界を超える

さて、この千日回峰行ですが始まって5年目を過ぎると、もっとも苛酷と言われる『堂入り』と呼ばれる修行に臨みます。

名前の通りお堂に籠るのですが、その間の1週間と半分ほど「食べてはならない」「飲んではならない」「寝てはならない」「横になってはならない」という、4つの条件が課されます。

まず人間は1滴も水を飲まない場合、2~3日で生命の危機、4~5日も経てば死んでしまうと言われますので、あきらかにその生命線を超えています。このような状況下で、睡眠も横になって休むことも許されず、ひたすらお経を唱え続けるという、まさに次元を超えた荒行と言えます。

ドキュメンタリーの映像では堂入りの最中、僧侶ご本人の頬は痩せこけ、まったく食べず身体が熱を生み出さなくなる影響からか、寒さで手が震えていました。

しかし目だけはどこか澄み切り、すべての余分なものが削ぎ落されたような表情で「生きていることに、感謝の想いです」と語られていた姿が、たいへん印象的でした。思わず「人間は、こんなことが達成できるのか」と感じずにはいられません。

なお、この堂入りを終えた後は、回峰行で歩く毎日の距離が倍近くに増えます。そして7年目も修行をやり通したとき達成が認められ、模範として人々を導く存在である「阿闍梨(あじゃり)」の称号が授けられるのです。

究極の修行を終えた境地

さて、この千日回峰行ですが、生涯に2回も達成した僧侶がいます。2013年まで比叡山で住職をされていた、酒井雄哉(ゆうさい)さんという方で、メディアのインタビューも受けられているほか、“一日一生”“この世に命を授かり申して”といったタイトルで、書籍も執筆されています。

ここで恐らく多くの方が感じる疑問、何故これほどまでの荒行へ2回も臨んだのかという質問に対し、酒井さんはこのように答えられていました。

「私は小さい頃から勉強も出来なかったし、何か新しい事をはじめてもボロが出ちゃうから。でも昔から歩くのは好きでしたから、“これだ”と思ったことを、くり返しやった方がいいと思いまして」。

また、これほどの偉業を達成すれば、その日から見える世界が大きく変わりそうですが、そのような事はないとも言います。むしろ日々の積み重ねこそが尊く、「まいにち生まれ変わった気持ちで過ごせば、たとえイヤな事があったときも、その自分は今日でおしまいだから、心穏やかに生きられます」と、話されていました。

酒井さんはかつて、東京の荻窪でラーメン屋をやっていたそうです。早朝に起きて、食材を仕込んで、お店を開く。大勢にラーメンを作り、夜中に閉めて寝る。くるくる、くるくる、同じことをくり返す毎日だったそうですが、お寺の生活や千日回峰行の最中であっても、すべての本質は変わらないと言います。

「もし、ここにお店があったら、私はラーメン屋のおやじですね」。気さくに、こう語る酒井さんの映像は、威厳に満ちて近づきがたいオーラはなく、すべてが自然体。穏やかで優しい雰囲気に、満ちていました。

うつくしいお寺の中で

比叡山は多くの方が知る、京都の人気観光スポットでもあります。他にも日本には素晴らしい寺院がいくつもあり、その多くは誰でも参拝できることから、うつくしい境内で癒しを得たり、歴史を学べたりと様々なものが得られ、筆者もお寺巡りは大好きです。

しかし一方で、どのお寺も僧侶の方にとっては、仏道修行の『道場』でもあります。それぞれがお坊さんになった動機や、また宗派によってやり方の違いもありますが、日々悟りの境地を目指して修行しているという事実。

一般人にとって目にする機会は少ないですが、寺院を訪れたときにはそうしたことにも思いを馳せ、ぜひ敬意を抱いて参拝したいと思います。

歴史・文化ライター

■東京都在住■文化・歴史ライター/取材記者■社会福祉士■古今東西のあらゆる人・モノ・コトを読み解き、分かりやすい表現で書き綴る。趣味は環境音や、世界中の音楽データを集めて聴くこと。

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