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クルド人の「独立」の意思表示は魔法の杖か?

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2017年9月25日、イラク北部のクルド自治区と、同自治区の軍事部隊が制圧する地域で、「イラクからのクルディスタン独立」を問う住民投票が行われた。筆者はこの問題については門外漢同然であり、筆者自身の無知や疑問を解消する分析や論考を待つ立場である。とはいえ、無知や疑問を簡単に解消できる都合の良い分析や論考が打ち出の小槌を振るように都合よく出てくるわけではない。本稿では、あくまで外野としての筆者の見方と、筆者自身がより高度な解説が欲しいと考えている点を挙げてみたい。

住民投票の結果と周辺国などの反応

 住民投票自体は、約72%の投票率で、圧倒的な多数が「独立」に賛成した(賛成:約92%、反対:約7%)。圧倒的多数の賛意という投票結果そのものは、中東諸国(特にアラブ諸国)の選挙結果の観察に慣れ親しんだ人々から見れば不思議な数字ではないし、今般の住民投票の場合は問いの立て方から見て結果は予想の通りといえよう。

 クルド自治区による住民投票実施の動きに対し、イラク内外の諸当事者の多くは反対、もしくは実施延期を求める立場を表明した。アメリカ、ロシア、EU、国連などはイラクの統一を支持する立場からクルド側の「一方的な措置」に否定的で、アメリカ政府は住民投票実施に失望感を表明した。ただし、これらの当事者やそれに類する立場を表明した諸国は、クルド自治区に派遣した外交団の引き上げのような強硬措置を取ってはない。「民族自決権」との兼ね合いから、域外の諸国・機関が口出し・手出しするのは難しい問題である。そうした中、首相が「クルドの独立を支持する」と表明したイスラエルの立場が、非常に目立っていた。

 一方、イラク連邦政府、イラン、トルコは住民投票実施に反対し、実施前から国境付近での軍事演習やクルドの報道機関・代表団の締め出しなど様々な手段を講じてきた。住民投票の結果が出ると、クルド自治区に対する陸路・空路の「封鎖」に向けた措置が取られており、複数の航空会社が、イラク連邦政府がクルド自治政府に対して陸・空の外国への出入り口の管轄権引き渡し期限と設定して、9月29日以降のクルド自治区への航空便の運航停止を発表した。クルド自治区の立地に鑑みれば、イラク連邦政府、トルコ、イランが「封鎖」を真剣に実施した場合は、同地区に在住する邦人を含む外国人の活動に影響が出るだろうし、それ以前に地区内の経済活動や日常生活に深刻な打撃を与えかねない。

なぜこの時期に?

 ところで、一連の経緯を見るだけでは、なぜこの時期に住民投票が実施されたのかがわからない。クルドとイラク連邦政府との関係については、石油の産出地であるキルクークの帰属が対立点となっており、現在のイラクの憲法(2005年制定、2006年施行)では同地の帰属についての住民投票を2007年に実施する旨規定されていた(第140条)。これはクルド人の独立を問う投票ではないが、クルド自治区の範囲や、石油収入や予算の配分のような権益の問題は、イラクに現在の政治体制が樹立されて以来、クルド自治区と連邦政府の間の争点となっていた。

 このようなイラクの政治問題に影響を与えたのが、2014年夏に「イスラーム国」がイラク領のうちモスルを含む広大な面積を占拠したことだ。クルド自治政府は、「イスラーム国」の台頭に乗じてキルクークなど「帰属についての係争地」を占拠した。現在、「イスラーム国」の敗勢は明らかであり、この問題の諸当事者はいずれも「イスラーム国」の掃討を、事後の政治的な権益の確保と連動させて行動している。そうなると、イラクにおいても、各当事者は「イスラーム国」の台頭以前の権益争いやそこから生じる諸問題で優位に立つべく様々な行動を起こすことになる。住民投票の実施は、こうした状況を反映しているように思われる。

 もう一つ見逃すことができないのは、当のクルド自治区自身が政治・行政面で混乱・麻痺状態にあるとともに、財政や経済に深刻な危機に瀕していることだ。これにより、公務員給与の遅配・減配とそれに対する抗議行動が相次いでいる。給与の詐取を目的とした「幽霊兵士・公務員」も数十万人規模で存在する。また、バルザーニー大統領自身の任期も実は2015年に満了しており、それ以後は超法規的に「居座っている」も同然の状態である。一応2017年11月1日に大統領選挙、議会選挙が行われる予定のようだが、議会は政治勢力間の対立により2015年秋ごろから事実上機能していない。現時点では、住民投票と外部の諸当事者との関係に焦点が当たり、クルド内部の諸問題にはフタがされた格好になっている。住民投票には、民族主義を高揚させてクルドの政治や社会の矛盾から内外の注意を逸らす効果もある。

これからどうなる?

今般の住民投票を受け、今後のイラク、或いはクルド人の行く末はどのようになるのだろうか。住民投票を支持・評価する立場からは、「サイクス・ピコ体制の解体」、「ベルリンの壁崩壊並みの大事」と評する論評も見られる。ただ、筆者と指摘になるのは、「イスラーム国」が引き起こした騒乱のため、中東については(クルド人を除く)内外の諸当事者がこの種の「挑戦」にうんざりしているように思われることだ。イラクのクルド人にしても、「独立」への意志や現在の制圧地域を既成事実として内外に認めさせるには、克服すべき課題が多いと思われる。

それ故、クルド自治区が直ちに「独立」へと邁進するよりも、当座は投票結果を背景に連邦政府と交渉し、権益や予算の配分でより良い条件を引き出そうとする可能性も高い。また、クルド人の独立どころか「自治」の強化・拡大も嫌うトルコ、イラン、シリアに対しても、既成事実に基づいて立場を固めることに努めることになろう。これらの諸国にしても、イラクのクルド自治区に対し直ちに大規模な軍事行動に出るのは、各々の能力や軍事行動か生じる負担やリスクに鑑みれば簡単ではないだろう。イラク連邦政府にしても、陸路国境通過地点や国際空港の管轄権引き渡しや、キルクークの「回復」のためにクルド自治区に軍事力を行使する能力があるかは疑わしい。長年クルド自治区の運営やその軍事力が「まとも」に見えていたのは、比較の対象であるイラク連邦政府が「もっとダメ」だったからに他ならない。この状態が今後大きく変わる見込みは乏しい。イラク連邦政府や周辺諸国が本当にクルド人やクルド自治区に圧力をかけるか否かは、これらの当事者が住民投票を受けて発表した陸・空の封鎖を真剣に実施するかで判断できよう。

しかしながら、自治区の権益の拡大や、「独立という悲願」の実現を担うのは、クルド人自身である。上で指摘したとおり、イラクのクルド自治区が抱える政治・経済問題は非常に深刻である。財政・経済危機については、「イスラーム国」との戦い、原油価格の低迷、そして連邦政府との間の予算や石油収入配分交渉の不調も原因だろう。ただし、2016年1月の時点で、クルド自治区は人口約500万人のところ、公務員が140万人、うち勤務実態があるのは70万人という惨状にある。住民投票を一致団結して混乱なく実施できたといっても、自治区内の政治・社会を運営する上での問題が解決したわけでも、問題解決の見通しが立ったわけでもない。住民投票の実施と「独立」の意思表示は、クルド自治区が直面する問題を一瞬で解決する魔法の杖ではない。意地悪な言い方をするならば、クルド自治区も現状では中東地域にたくさんあるダメな政治体制の一つに過ぎない。権益拡大や独立を実現するには、内外から信頼される政体を築き、運営することができるかが問われるだろう。

 以上が、今般の住民投票に関して筆者が疑問に思う諸点であるが、これらは筆者の主要な関心事であるシリアの問題や、イスラーム過激派の問題とも密接にかかわっている。とりわけ、クルド人にまつわる諸問題の当事者が、各々どのような目標を持ち、それをいかに実現しようとしているのかを知ることは重要な課題である。インタビューや動画撮影で満足する程度の実況中継や、政治的な利害や立場を反映した論評では、回答につながるヒントも得られない。実証的・説得的な分析を追及したい。

参考資料

中東かわら版2016年度No.170

『別冊・中東研究:中東各国動向(2016)』

『別冊・中東研究:中東各国動向(2015)』

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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