是枝裕和監督インタビュー「日本映画の現状は、もう精神主義では乗り切れない」
カンヌ国際映画祭で2冠を獲得した、是枝裕和監督の最新作『ベイビー・ブローカー』は、かつて日本でも物議をかもした「ベイビーボックス(赤ちゃんポスト)」巡る物語だ。同作は監督による初めての韓国映画でもある。最近では日本版CNC(映画支援機関)の設立を提言したことでも話題の是枝監督。この10年で映画業界を大きく改革、発展させた韓国に、どんな刺激をうけ、何を思うのだろうか?
世間は明確な理由なく、「子供を捨てる母親」だけに厳しい
ーー是枝監督は韓国でも人気が高く、釜山映画祭など深いつながりがある印象です。初めて韓国映画を撮ることに感慨のようなものは?
是枝 「韓国映画を撮る」というよりも、ペ・ドゥナ、ソン・ガンホ、カン・ドンウォンと一緒に映画を作ることが本当に楽しみでした。韓国の監督たちに申し訳ないくらいすごいメンバーで、「それぞれ主演で1本とれるのに、3人も集めて」と言ってる人もいるんじゃないかと。それ以外の方々も、コロナの間に韓国ドラマ見ながら自分で気になった俳優さんたちに声を掛けました。みなさん「出たい」と言ってくださって。
ーー監督はドキュメンタリー時代からずっと子供を描き続けていますよね。何か理由があるんでしょうか?
是枝 意味とか理由と言われると困るんですが、大人の事情で子供時代を奪われている子供が好きなんです。『誰も知らない』の柳楽優弥君とか、『海街diary』の広瀬すずさんが演じたような役はその典型です。たぶん僕自身がそうだったからじゃないかな。特別な事情があるわけじゃないんだけど、「早く大人にならなければ」と思っていた、子供らしくない子供だったので、なんとなくそこに目が行っちゃうんですよね。
ーーベイビーボックスの子供に取材はされましたか?
是枝 児童養護施設出身の子供たちにはリモートで話を聞きましたが、ボックス出身の子供たちには直接はコンタクトさせてもらえません。もちろんそれはこちらもわきまえていたので、質問を投げて書面で回答をもらうという形で。
ーー作品を作るうえで核になったものは?
是枝 施設に預けられた子供たちが「自分は産まれてよかったのか?自分を産んだことで母親はもしかしたら不幸になっているんじゃないか」という疑問をずっと捨てられずに大人になっていることです。同時に、おそらく世の中の大半の人が「子供を捨てる母親」に厳しいんですよね。映画の冒頭でペ・ドゥナが言うように、「捨てるなら産むなよ」って思うと思うわけです。だから観客の方のそういう目線、ペ・ドゥナと同じだった価値観を、2時間の中でどう変えられるかっていうのをちゃんとやりたかったんです。何かに役に立ちたいとは思わないけど、「生まれてこなければよかった命などない」っていうところには、なんとかたどり着きたいなと思って作りました。
ーーペ・ドゥナさん演じる刑事が「子供を捨てる母親」を憎む、そこに彼女独自の理由付けはありませんでした。それは一般的に、人々は特に理由なく「子供を捨てる母親」を非難する人が多い、ということでしょうか。
是枝 そうです。始末書(※監督がペ・ドゥナに渡した役の背景などが記載された資料)にはいろいろあるんですが、劇中でそれを明らかにしなくてもいいかなと。彼女は仕事や人生の選択として、自分の意志で子供を持たない人生を選んでいるんです。そこに「ああ、そういうわけで彼女は母親に厳しいんだな」という明確な理由が説明されないほうが、映画を見ている人が自分を重ねやすいし、いいなと思いました。
おむつ替えするソン・ガンホが見たかった
ーー疑似家族の中で、ソン・ガンホさんが最もかいがいしく子供の面倒を見ていましたよね。
是枝 単純に、おむつを替えてるソン・ガンホが見たい、おむつを干してるソン・ガンホが見たい、と思って(笑)。おむつを替えながら、赤ん坊をベビーバスに入れながら、セリフいうのはすごく大変で、それができる人ってなかなかいないんですよね。でも彼は最初からちゃんとできましたね。本人は「遠い昔にやったことがある」と言ってましたーーあんまりやってるようには思えなかったけど(笑)。でもあの雑な感じが、逆に手慣れて見えてよかったです。
ーーポン・ジュノ監督から「ソン・ガンホさんのすごさ」を聞いていたと。実感したエピソードはありますか?
是枝 現場では明るいし、ずっと冗談言ってる、とにかく楽しい人。監督としては、ああいう人が一人いると助かります。ただお芝居に関しては、本当にストイックだし徹底しています。僕が夜に編集作業しているのを知っていて、朝は僕が入る前に現場に来て、編集マンを捕まえて前日の撮影分をチェックしているんです。それでちょっとした時間に僕のところにきて、「昨日の編集は本当に素晴らしかった。僕の芝居も素晴らしかった。でもあの部分だけ、あのテイクの3つ前にもうひとついいテイクがあるはずだから、それと比べてみてくれないか」って言うんですよ。「わかりました、じゃあそのテイクをはめたのも作ってみます」っていうと、「実は今朝来て、編集マンとそのテイクでつないだやつを作ってみた」っていうようなことが、毎日なんです。自分が納得していない芝居が映画の中に残ることは、彼にとってすごく抵抗があるんですよ。「作品は監督のものだから、最終的には監督に任せるけれど」って言いながらも、とにかく自分の思ってることはきちんと伝えるっていう。
ーーそれに対して是枝さんは、どんなふうに対応するんですか
是枝 作品が良くなるなら誰のアイディアでも構いません。自分の意見を通したいわけじゃないから。今回は韓国語のお芝居だったし、僕はニュアンスまでつかみきれないところがあるから、アドバイスをもらったのは助かりましたし、感謝しています。何しろ全テイク、全シーン、最後の仕上げの段階まで徹底して、彼はやってくれたので。仕上げのダビングの音楽入れの場所まで来て「ここの自分のセリフは脚本どおりだけど、もう数秒前でカットしたほうが余韻が出るから、切ったほうがいいと思う。試しにやってみてくれ」ってーーもう編集終わってるのに(笑)。でも切ってみたら確かにそのほうがいい。作品愛がすごいんですよ。あそこまでの人はなかなかいません。
ーーソン・ガンホさん演じるサンヒョンの設定は何パターンか検討していたと。難しいテーマを着地させるためにご苦労があったのかなと想像しますが。
是枝 後半、ソウルに行ってからの展開は決めずに撮りはじめたんです。もちろん仮の脚本はありましたが、あの疑似家族を見ながら、あの後、サンヒョンがどうするかは決めずに。「サンヒョンはあの疑似家族の外側に出るだろうな」と考えながら、自分なりに着地点を探ってゆきました。リライトするたびにソン・ガンホさんはそれを読んで、「とても良くなったけどここは前のほうがいい、でも任せるけどね」と言いながら、サンヒョンがどうなったら面白いかを一緒に考えてくれましたね。
日本映画の監督の多くは、演出を「スキル」として学ばずに監督になっている
ーー韓国、フランス、Netflixの現場を経験して、日本の映画の現場にはない、取り入れたい、と思うものはありましたか?
是枝 韓国は単純に休みが多いんですよね。フランスは1日8時間と決まっていますが、韓国の場合は1日の撮影時間はもう少し融通が利きますが、週52時間っていうのは決まっているんです。感覚でいうと4日半撮ったら、2日半休みっていう感じ。
ーーそうなると、いわゆる「粘る」みたいなことはしにくくなりませんか?
是枝 あまり公表はしていませんが、今回の映画の旅をしながらの撮影でも、現場のスタッフは常に100人を越えてるんです。感覚でいうと日本の倍くらい。準備の時間が短くて済むので、現場で撮ってるテイク数はむしろ日本より多いくらい。時間的に短い時間でできていますが、粘ってないかっていうとそんなことはないんです。
ーー物量によってカバーしているという。
是枝 それは逆に「お金がかかる」ということなので、単純に「日本もこのやり方で」とは言いにくいです。ただ日本の長時間労働はもう変わらざるを得ないから、どう変えていくかを考えないといけない。韓国の映画界だって10年前はパワハラやセクハラが大変だったのに、いろんな改革があって今の状態になってこられたんですよね。韓国人スタッフに聞くと「ちゃんと寝てちゃんと食べてれば、誰も怒鳴らない」とみんな言いうんですよ。現場の人間の意識改革も大事だけど、労働環境がきちんと改善されていけば、自然となくなるものはなくなるのではないかと思います。
ーー2019年の釜山映画祭の是枝さんのマスタークラスで、「韓国の映画人の多くが、演技や演出を大学で学んでいる」という話がありました。日本の映画界の様々な問題は、現場主義と反知性主義的な思考にも原因があるのかなと思うのですが。
是枝 半分は同意しますが、僕も学校では学んでないから、その範疇に入ってしまうので。同時に現場で学ぶことが一番大事だということも、間違いないことだとも思います。
その話は今も継続してずっとしていますが、日本の映画界は、演出を「スキル」として学ばず、役者に対する言葉なども学ばずに監督になっている人が、まだ圧倒的に多いんです。僕より上の世代は、映像系の大学がそんなになかったし、自主映画で出てきた人もいるだろうし。ただこの辺を精神主義で乗り切ろうとしているところが、もう無理なんだろうなと思います。フランスにしろ韓国にしろ、やっぱりちゃんと専門的に演技や演出を学んだ人たちが現場にいるし、フランスなんかだと監督になる人たちはみんなエリートですよね。まあ一方で、だからこそのつまらなさもあると思います。
自分もそうだけど、ニューヨークやロサンゼルスなどの映像系の大学に招かれて、偉そうに講義とかしている時に、「演出や編集はどこで学んだんですか?」と聞かれて「いや、学んでないんだけど」と答えると、「学んでないのに何でできるんだ?」ってみんなびっくりするんだよね。
ーー逆にすごい、と?
是枝 そう。だけど個人的にはそれは負い目なので、本を読んだり、他人の現場を見たりして、自分なりには学んではいるつもりですが。そういう「学びたい」と思ったときに、ちゃんと学び直したりできるような場は絶対に必要だと思います。それがないと、やっぱり上手くいかない部分があるから。
ー-ご自身の脚本は、同じ「分福」所属の西川美和監督や砂田麻美監督に読んでダメ出ししてもらうそうですが、メキシコ映画のオスカー監督3人組(イニャリトウ、キュアロン、デル・トロ)も同じことをやっていたと。彼らは自国の映画の質の向上を目指して教育システムなどを作っているようですが、そうしたものを日本でもやれないのかなと。
是枝 現時点では「分福」の中だけで、手一杯は手一杯なんですよね。でも絶対にそれは必要だと思いますよ、信頼できる人に批評してもらいながら直していくっていう。僕は脚本のプロではなく、自分の演出用に自分で書いてるだけなので、それを見てもらって「こんなの現実には言いませんよ」なんて厳しく言われれば、直しますからね、いまだに。そういうことはお互いに必要だと思いますよね。
6月24日(金)より全国にて公開