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センバツ第6日 木内マジック受け継ぐ常総学院8強進出! 準々決勝は大阪桐蔭と

楊順行スポーツライター

わが意を得たり、と常総学院・佐々木力監督がうなずいたのは、こんな質問が飛んだときだ。

「鈴木(昭汰)君を完投させずに継投するのは、やはり2年前の夏のことがあるからですか?」

すると佐々木監督、

「そうなんです。試合は長くなってしまいますが、マスコミの方も2年前の夏を覚えていてくださるかな、と思いまして」

なるほどねぇ。13年の夏、準々決勝。常総学院は前橋育英に2対0とリードして、9回裏の守りを迎えた。だが、完封目前の飯田晴海(現東洋大)に異変が起きる。投球練習中に、太もも裏がつったのだ。ベンチに戻り、医師の診断と治療を受けると、「熱中症の疑いもあり、次につったら交代」という判断。佐々木監督もこれを了解し、飯田はマウンドへ戻った。だが2球投げたところで今度は左太もも前部がつり、無念の降板だ。

それでも、急きょ登板した金子雄太投手が二死を取り、次打者のセカンドゴロで試合終了……と思った瞬間、ややイレギュラーした打球を二塁手がお手玉し、一塁に生きる。さらに二塁打を打たれた二、三塁から、高橋光成(現西武)に三塁打を浴びまさかの同点。結局延長10回でサヨナラ負けを喫するのだ。

佐々木力監督はいう。

「あのときは、野球の怖さを痛感しましたね。飯田は、前の日に酸素カプセルに入ったりマッサージしたりケアはさせていたんですが……。それが教訓になり、先発投手にかける負荷は1イニングでも2イニングでも減らしたい、と考えたんです」

完封ペースでもスパッと交代する目安は

たとえば、米子北との初戦。大量12点を奪った8回には、7回まで6安打無失点と好投した先発の鈴木から菅原一泰、9回には樫村雄大へと継投している。そしてこの日も、今治西に8点リードの8回途中から樫村、9回には菅原、井上真幸への継投だ。11三振を奪う鈴木の好投も、「もしかしたら、前の試合でエネルギーを温存できたからかもしれません」(佐々木監督)。もし2試合とも完投させれば、連続完封も可能な投球内容だったが、佐々木監督の交代の打診に、

「はい。先輩らを投げさせてください」

と鈴木は指揮官の意図をくむ。かくして、樫村は1点を失いながら、9回は菅原、井上が3人で締めて完勝。春に限れば、優勝した01年以来の8強進出だ。

木内幸男監督率いる取手二で84年夏に全国制覇し、91年からは木内監督のもとで指導を学んだ佐々木監督によると、

「木内さんは"先発メンバーは、7点取るまでは点取り虫になれ"と。7点リードすれば、まずは安全圏というわけで、そこからはいろんな選手を試していいという考えでした。それを受け継いで、投手リレーの目安は7点に決めています」

準々決勝の相手は、夏春連覇を狙う大阪桐蔭。エース左腕の田中誠也が2試合連続完投しているのに対し、鈴木は14回3分の1だ。試合は中2日の第9日、わずか4イニング弱かもしれないが、もしかするとその差が、横綱につけいるスキかもしれない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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