【京都市】南区「空海の地盤(おじば)の明王」が祀られる『波切不動明王』と『石上神社(石上布留社)』!
新幹線からも見れる「五重塔」や「立体曼荼羅」で知られる世界遺産『東寺(教王護国寺)』は、桓武天皇によって平安京鎮護の官寺として創建されました。
「石上神社」は正式名称を『石上布留社(いそのかみふるしゃ)』といい、長い間真言宗にとって重要な場所でした。
そこにいらっしゃる「波切不動明王」は、有名な「東寺」の北側にあります。
入り口には「弘法大使」と大きく刻まれた石碑があります。
堂前の石碑には 東寺執行(とうじしぎょう) と刻まれています。
「空海の地盤(おじば)の明王」ともよばれ、ここにいらっしゃる「波切不動明王」に参らなくては、四国巡礼、東寺、高野山などの霊地にお詣りしてもご利益が得られないと言われている場所です。
弘法大師空海が、遣唐使船での厳しい航海の安全を守護した不動明王ということのようです。
優しいお顔のお不動様が見えます。
平安時代初期の弘仁14年(823)阿刀大足(あとのおおたり)が阿刀家に婿に入ったときに、「東寺執行(しぎょう)」ー大寺院の寺務を行う役職で住持に相当ーを務め、以来阿刀家は明治4年(1871)まで「東寺執行」を世襲しました。
「東寺執行家」は1048年もの長い間、弘法大師空海が開祖である「真言宗の政所」でした。
ここは阿刀家の屋敷跡です。
阿刀家は真言宗の宗祖である、弘法大師空海の母方の家系で、その婿(むこ)となった阿刀大足は弘法大師の甥(父の実弟)だったそうです。
この祭壇がこの本社で、祭神として石上布留御魂(いそのかみふるのみたま)、相殿に阿刀大神(あとおおかみ)を祀ります。
空海は嵯峨天皇から「東寺」を賜り、密教の根本道場として真言宗を確立しました。
文化元年(804)空海は遣唐使として入唐し、2年間滞在して密教を学びました。
その時の空海の師であった「恵果(けいか)」は、金剛頂系、大日経系の密教を統合した第一人者です。
空海が日本に帰るときに、恵果から授かった「赤栴檀(しゃくせんだん)」という霊木で不動明王を彫りました。
降魔(悪魔を屈服)にあるが旅・交通安全の守護神になっているのは、空海が唐から留学の帰路嵐に巻き込まれた時に、「波切不動」に助けられた伝説から「波切不動」は空海さん守護の明王だそうですよ!
その本社の近くには大きなクスノキがありました。
三輪、伊勢、賀茂、石清水、二天夜刃、役氏小角、稲荷、弄鈴、王仁、空海大神も祀られていますよ。
『波切不動明王』『石上神社(石上布留社)』
場所;京都府京都市南区九条町399