AIが人を支配しない、多様性に満ちた近未来で。壊れたロボットが見つめさせる家族と愛『アフター・ヤン』
そう遠くない将来にAIが人間を超えたとしても、AIは人間を支配したりなどせず、共に暮らす存在でいてくれるはずだ。コゴナダ監督の『アフター・ヤン』はそんな優しい未来を信じたくなる世界観の上に成り立っている。
「テクノ」と呼ばれる人型ロボットが、一般家庭にまで普及した近未来。茶葉店を営むジェイク(コリン・ファレル)の家庭では、アジア系のテクノのヤン(ジャスティン・H・ミン)と幼いミカ(マレア・エマ・チャンドラ・ウィジャヤ)が、「グァグア(お兄ちゃん)」、「メイメイ(妹)」と呼び合うほどの絆で結ばれていた。
そのヤンが、ある日、突然動かなくなり、修理店を訪ねまわることになったジェイクは、ヤンに1日ごとに数秒の映像を記録したメモリバンクが埋め込まれていることを知る。
メモリに記録されていたのは、ジェイク一家や、見知らぬ若い女性(ヘイリー・ルー・リチャードソン)の姿。ヤンが見つめたものをたどるうちに、ヤンとの間のジェイク自身の記憶も蘇り、家族や愛とは何かを見つめ直すことになる。
長編監督デビュー作『コロンバス』でモダニズム建築をめぐる会話に、親との対照的な葛藤を抱える男女2人の心情を託したコゴナダは、本作では一家が暮らす住宅を中心に穏やかな空気が流れる中で、家族の物語を紡ぎだす。その住宅が、ミッドセンチュリーのカリフォルニア・モダン建築のアイクラーホームというあたり、前作同様、建築が大きな意味を持っているのもコゴナダならではといったところ。
大きなガラスの壁や掃き出し窓が印象的な、抜けの良い空間で繰り広げられる家族の風景。そこに立ち上がるのは、AIに感情は生まれるのか、AIは愛を感じるのか、といった問いかけはもはや必要ないほどの、優しく、そしてせつない感情だ。
かつて近未来といえば、メタリックでサイバーなテイストか、スチームパンクと相場が決まっていたものだが、コゴナダが描く近未来はどこかオーガニックで東洋的。
移動手段はドライバーのいない完全自動運転の車だけれど、四人掛けの対面シートはクラシックな列車か馬車のよう。そもそも中国系の養女ミカのために買ったヤンは、中国の文化に造詣が深いし、ジェイクが茶葉店を営んでいるあたりからして、東洋の文化を愛していることが想像できる。
小津安二郎の信奉者で、『東京物語』など小津作品の脚本を手がけた野田高梧にちなんでコゴナダと名乗る監督は、韓国生まれのアメリカ人。
ジェイクが白人、妻カイラ(ジョディ・ターナー=スミス)がアフリカ系、ミカが中国系という多様な人種設定は、ジェイク自身もある種の人々に抵抗感を抱いているとはいえ、修理店のボードに貼られた切り抜きが、かつてアメリカと中国の間に長い戦争があったことや、あからさまな人種差別意識がある人々もいることを、ほんの一瞬、映しだすこととあいまって、多様性に満ちた未来や平和へのコゴナダの願いを強く意識させる。
時代と場所ははっきりと示されていないけれど、家族に優しい眼差しを注ぐヤンは、AIが人類の知能を超えると言われる2045年を過ぎても、AIロボットが彼のようにたんなるサポートツール以上のものになると信じさせてくれる存在でもある。それはもちろん、開発企業や技術者、研究者たちの倫理観や、AIと人間が共に暮らすためになされるプログラミングが信じられるものだという大前提があるからなのだが…。
ヤンがミカに教えた曲として登場するのは、『リリィ・シュシュのすべて』で使われた『グライド』。耳馴染みのあるこの曲が、エンドクレジットにも流れて、観客自身の記憶も揺さぶりつつ、たゆたうようなメロディと歌詞とがあいまって、ヤンが過ごした時間も、ヤンと過ごした時間もさらに深いものにしてくれる。
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『アフター・ヤン』
10月21日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開中
配給:キノフィルムズ