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地域の物語2023『看取りをめぐる物語』演劇発表会に、ひとりの観客として心動かされた理由

中本千晶演劇ジャーナリスト
※記事内写真 撮影:鈴木真貴

 3月19日、世田谷区三軒茶屋にあるシアタートラムにて開催された「地域の物語2023『看取りをめぐる物語』演劇発表会」を観に行った。

 通常「発表会」と聞くと「アマチュアのものだ」という前提で、下駄を履かせながら観てしまいがちだ。かくいう私もどちらかというと、舞台そのものというより、その制作の過程に興味がわいたのが足を運んだ理由だった。

 ところが、実際に観終わった後の私は、そんな下駄をすっかり脱がせてしまっていた。ひとりの観客として普通に感動し、「良い舞台」を観た後にいつも感じるのと同じ満足感に浸りながら劇場を後にしたのだった。

 何故、これほどまでに心動かされたのだろう? 振り返って咀嚼して、この満足感の理由について考えてみようと思う。

「看取り」の現場がリアルに、かつユーモラスに描かれる
「看取り」の現場がリアルに、かつユーモラスに描かれる

「看取りをめぐる物語」はこうして生まれた

 この演劇発表会は、世田谷パブリックシアターの学芸事業の一環として行われているものだ。テーマに関心のある人であれば誰でも参加でき、演劇経験も問われない(応募者多数の場合は年齢などを考慮した上で抽選となる)。

 ワークショップを通じて自身が体験したこと、考えていることを元に物語を作っていき、最後に舞台で発表する。これまで「結婚」「介助と介護」「生と性」「家族」「老い」といったテーマに挑んできた。そして、今回掲げられたのが「看取り」というテーマである。

 今年の1月から十数回にわたって開催されたワークショップは、参加者が「看取り」にまつわる各自の体験を吐き出し、共有するところから始まった。伴走する「進行役」がこれを受け止め、発表会に向けて構成・振付をしていく。

 「からだコース」と「えんげきコース」の2コースが設定されているのもユニークな点だ。「からだコース」の進行役は振付家の山田珠美が、「えんげきコース」の進行役は演出家・劇作家・俳優の関根信一(劇団フライングステージ)と、シアタープラクティショナーの花崎攝(演劇デザインギルド)が、それぞれ務める。

 また、今年の「えんげきコース」では、劇中で「歌を歌うこと」も新たな試みとして取り入れられ、作曲とボイストレーニングを石ケ森光政が担当した。

今年の「えんげきコース」では、歌も聴かせた
今年の「えんげきコース」では、歌も聴かせた

「からだコース」の集中と、「えんげきコース」の解放

 発表会は2部構成で、「からだコース」と「えんげきコース」がそれぞれ1時間ほどの作品を上演する。どちらも、参加者の話を元にしたエピソードで綴られるオムニバス形式だ。エピソードの主と演じ手は同一のこともあれば別のこともある。実話を元にしてはいるものの、「あくまで演劇として見てほしい」という考えで構成されている。

 観る者の心を動かした一番の原動力は、やはり参加者の言葉から紡ぎ出された物語の力だろう。どのエピソードも元は個人的なもののはずなのに、普遍的に共感を呼び起こす力がある。参加者からは「自己開示していくペース配分が大変だった」という話もあったが、そういう産みの苦しみを経てきた物語だからこそ、力があるのだろう。物語創生の原点を見るような思いである。

 「看取り」というテーマもエピソードで綴っていくという基本的な構成も同じなのに、ダンスや体の動きで表現する「からだコース」と、セリフ劇と歌で進む「えんげきコース」では、印象が違って感じられたのも興味深かった。ひとことでいうと「からだコース」は集中、「えんげきコース」は解放の時間だった。

 「からだコース」では気持ちが自分自身の内面に向かっていくような感じがあり、正直、身につまされて辛かった。ところが、後半の「えんげきコース」では、看取りの現場をリアルかつユーモラスに描いた会話劇に思わず笑ってしまう時さえあり、歌声には癒された。作曲を手がけた石ケ森氏によると、歌詞も基本的には参加者の言葉から作っており、「まるで詩が曲を連れてきてくれた」ような瞬間もあったという。

 ダンスと歌、それぞれが持つ本質的なパワーを実感した舞台でもあった。今やミュージカルは演劇界における主要なジャンルだが、ダンスと歌は現代演劇において、もはや不可欠な要素なのだということも痛感させられた。

「からだコース」では「看取り」を身体表現で描く
「からだコース」では「看取り」を身体表現で描く

 また、あちこちで個性的な演者を発見してしまうもの楽しかった。「からだコース」ではとても魅力的な踊りをする人に釘付けだったし、「えんげきコース」では抜群の歌唱力の人や、若いのにやけに老け役が上手い人などに目が行った。この演劇は参加者一人ひとりがエピソードの体験者であり、演じ手でもある。その「あわい」から滲み出るものが生み出している、この作品でしか味わえない唯一無二の魅力もあるような気がした。

 看取りは死と向き合う過程だが、演じ手たちの熱演に見入っているうちに、はからずも看取っている人たちの生き様に想いを寄せている私がいた。つまり、いつの間にか「生」に目が向いているという不思議な状況が生まれていた。

「えんげきコース」では「看取り」に関わる様々な役柄を熱演
「えんげきコース」では「看取り」に関わる様々な役柄を熱演

「自分の物語」にも分け入ってみなければ、と

 観終わって改めて気づいたのは「看取りをめぐる物語」とは結局、自分が家族、あるいは大切な人や動物たちと織りなしてきた関係を凝縮した物語であるということだ。「看取り」の瞬間とは、その物語の最後の一幕に過ぎない。

 そして、じつは誰もが同じぐらいの重みと深みのある繊細な物語を抱えているはずだ。おそらく、私自身も。身近な人のことほど意外とわかっていないもので、日頃はつい目を背けがちだけれども、改めて「自分の物語」にも分け入ってみる覚悟を持たなければと思った。

 そして、それは人それぞれでいい、自分らしくあっていいのだということも教えられた気がする。

「看取りをめぐる物語」は自分らしくあっていい
「看取りをめぐる物語」は自分らしくあっていい

 シアタートラムの客席は満員で、立ち見の人も見かけた。いつもの劇場の客席に比べて、男性の割合も高かった。終演後のアフタートークでは、質問も積極的に飛び交っていた。

 次回も是非観たいと思っている。いや、テーマ次第では思い切ってワークショップに応募してみるか?…と、すっかりこのシリーズのファンになってしまった世田谷区民の私であった。

演劇ジャーナリスト

日本の舞台芸術を広い視野でとらえていきたい。ここでは元気と勇気をくれる舞台から、刺激的なスパイスのような作品まで、さまざまな舞台の魅力をお伝えしていきます。専門である宝塚歌劇については重点的に取り上げます。 ※公演評は観劇後の方にも楽しんで読んでもらえるよう書いているので、ネタバレを含む場合があります。

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