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キエフ、オデッサ、マリウポリ包囲戦前夜:ウクライナ戦争はいま

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者
砲撃で破壊された学校の瓦礫の中を歩く女性。ジトーミル、2022年3月4日(写真:ロイター/アフロ)

ウクライナでは激戦が続いている。それなのに、たった1本の境界線ーーウクライナとNATO加盟国を分ける線の、あちらとこちらでは、全然世界が違うようだ。

ポーランドで、ルーマニアで、バルトで、米欧の軍隊がNATO軍として既に配備されている。バイデン大統領は2月24日、ロシアから「NATO領土の隅々まで」守ると宣言した。固い決意と、頼もしい言葉。

それに、軍隊がいるのは、基地と演習場軍である。NATOの内側の人々は、いつもと全く変わりない日常をおくっている。ウクライナに近い国々は不安をもちながら、遠い国々は何事もないように。NATOとロシアの戦争が起きると本気で思っている人は、おそらく少数派だろう。

マクロン大統領は3月2日、フランス国民向けの小演説で、「我々はロシアに対して戦争をしていない」と言った。

これは外交努力を続けるという文脈だったのだがーーその翌日、事態は激変した。

もう以前のように、アメリカや欧州の首脳がプーチン大統領と話して何とかなるというかすかな希望は、微塵も存在しなくなった。たった1日で激変だ。

プーチン大統領と話をしたマクロン大統領は「これから最悪が訪れる」といい、仏大統領府のエリゼ宮は、プーチン大統領は「ロシア全土を掌握するつもりである」とはっきりと述べた。あまりにもはっきりとした、暗い通告。

今、安全な「こちら」の欧州の世界では、その時が来るのを、奇妙な静けさで待っているかのようだ。

Yahoo Japanのグラフィックに名前の一部を筆者が追加
Yahoo Japanのグラフィックに名前の一部を筆者が追加

首都キエフ(キーウ)攻防戦

首都キエフ(キーウ)の死守は続いている。

キーウは、街の真中を北から南にドニエプル川が流れている。パリのセーヌ川、ロンドンのテムズ川、ウイーンのドナウ川・・・欧州の主要な街はほとんど同じだ。そしてドニエプル川は、キーウの街を東西に分けて流れ、最後は黒海に到達する。

一時は、ロシア軍はキーウの北から、ドニエプル川の東側からも西側からも迫っていた。このため、一時は、もうキーウが落ちるのは時間の問題だと思われた。

ところが、5万人いるウクライナ軍は、ロシア軍を押し返したのだった。ロシア軍が補給のために動きが鈍っていたり止まったりした利を活かしたようだ。

しかし、東のロシアからやってきた敵軍がキーウに迫りつつある。川の東のロシア軍は、この援軍に合流した。

川の西側の露軍は首都を攻略しようと、激しく攻めている。

首都から15キロに位置する町、イルピン。この町に、ロシア軍による容赦ない砲撃を続けている。首都に向かう道筋にある、西部最後の戦略都市なのだ。

住民たちはパニック状態で逃げ出している。数日で、1万人近くが恐怖の中、町から逃げ出している。町を出るには、崩落した橋を渡らなければならない。川の上に置かれた、たった1枚の木版の上を、足腰もおぼつかないお年寄りまでもが渡って逃げ出す。

3月8日、橋の下を渡り避難する人々
3月8日、橋の下を渡り避難する人々写真:ロイター/アフロ

子供二人と大人二人の一家が、爆発で死亡した映像を見た人もいるだろうか。生々しい遺体の姿。3月6日、イルピンで取材していた『ニューヨーク・タイムズ』の記者と写真家の目の前で起きた事件で、この映像や写真は世界をかけめぐった。

https://www.nytimes.com/2022/03/06/world/europe/ukraine-irpin-civilian-death.html
https://www.nytimes.com/2022/03/06/world/europe/ukraine-irpin-civilian-death.html

首都からたった15キローーウクライナ軍は粘っている。でも、川の西だけではなく、北からも東からも攻めてくる敵を前に、どこまで持ちこたえることができるか。ロシア軍のネックは、兵站、つまり物資の補給である。

米国防総省によれば、ロシア軍は川の北東から前進しようとしている。キーウ市から約60キロメートル。しかしウクライナ軍は、この露軍を北から攻めて、阻止しようとしている。ロシア軍は苛立っている。ここ数日はこう着状態である。

ロシア軍は、イルピンを降伏させるために、シリアで行った戦術に似た包囲・飢餓方式を用いていると伝えられる。

シリアのアレッポから逃れた市民は、フランス公共放送に語る。「街を無差別攻撃して、市民を殺して、絶対に勝てないと思い込ませて戦意を喪失させる。シリアで行ったことを、ウクライナで行っています。今に他の欧州でも行うことでしょう」。

3月7日には、ロシア軍がイルピンの住民に水、暖房、食料の供給を3日間与えることを拒否し、退去を認めていないと、ウクライナ参謀本部が報告したという。 民間インフラに対するロシアのロケット攻撃による被害も、ソーシャルメディアで報告されている。

敵軍は、北から、西から、東からキーウへの包囲を着実なものにしようとしている。キーウには、ロシアからの隠れた撹乱人員も入り込んでいるという。

しきりに『風と共に去りぬ』で描かれたアトランタ攻略を思い出す。

ウクライナ軍は感嘆すべき防御を見せている。しかし・・・もう時間の問題なのだ。フランス公共放送によれば、専門家たちはあと4、5日と言っている。もし何かが起きても、数日の違いだろうと。

それならば、何とか住人や軍人を逃す道を確保しなければならないだろう。首都が落ちれば、全国総崩れになってしまうだろうか。歴史上、珍しくないことだ。

キーウ市長で、ボクシング元ヘビー級チャンピオンのクリチコ氏は「私はキーウを死んでも守る」と述べた。道路に砂袋を積み上げて、バリケードを築く市民たちと一緒に戦う決意は固い。彼らは「祖国防衛隊」を組織している。

それでも、ウクライナの人は、かつての日本軍のように死ぬ道を選ばないでほしい。生きてこそ、次の未来のために働ける。

退却するとしたら、南以外にない。しかし、川の西側にいるロシア軍は、南にまわって、キーウを包囲しようとしている。

キーウから南に約200キロ。ここにウマニという街がある。豊かな穀倉地帯の中にあって、東西南北のジャンクションとなっている。

今、キーウや他の北の街からやってくる避難民で、片側だけ車線は車でいっぱいだ。E95道路。なんとかこの線を、確保しなければならない。

Yahoo Japanのグラフィックに筆者がスムイを追加
Yahoo Japanのグラフィックに筆者がスムイを追加

スムイ、兵站(補給)の要所の戦闘

そして、ウクライナ第二の都市、ハリコフにも、空爆と地上砲撃による攻撃が続いている。包囲戦には至っていないが、攻撃が無差別になっているという。

今、特に重要な地点は、スムイという街だ。このロシアの国境が近いスムイで、数日間激しい戦闘が続いている。ハリコフ(ハルキウ)の北、キーウの北東約350キロに位置する。

この街が重要なのは、この街を通って、ロシアからキエフにつながる道路がのびており、ロシア軍の兵站(補給)ルートになっているからだと、米戦略研究所は分析する。この街はロシアの手に落ちていないが、露軍は包囲戦でスムイを落とそうとしている。

この町への空襲で、ウクライナの救助隊によると、7日月曜日の夜、2人の子供を含む9人が死亡した。

モスクワが提案した人道回廊は、ロシアとベラルーシへの避難しかないということで、ゼレンスキー大統領は拒否していた。しかし、7日、ウクライナ政府は人道的回廊が設置されたことを確認したという。最初の避難は午前中に始まった。

8日の午前10時過ぎ、数十台のバスがすでにスムイから南西150キロのロフビツィアに向け出発したという。しかし、ウクライナのヴェレチュク副首相によると、「ロシア側はこの通路を寸断することを計画している」ため、民間人は予定されていない、危険な別のルートを取らざるを得ない可能性があると、『ル・モンド』は伝えている。

世界が注目している中、ロシアは約束を守るのだろうか。また破るのだろうか。

スムイだけではない。

この道路沿いにある複数の街は、いずれも重要な戦闘地になっている。ウクライナ軍は、3月6日、スムイの西約81キロメートルにあるスクリパリ近くのロシアの武器庫を攻撃した。

ロシア軍から見たら、たとえ首都キーウを包囲して落としたとしても、長い兵站線を確保できなければ、ウクライナの中でロシア軍が孤立してしまうのだ。ウクライナ人という「敵」に囲まれて、補充の武器も食べ物もなくなってしまう。モスクワを陥落させたのに、退却するしかなくなったフランスのナポレオン軍のように。

 Le Monde の3月7日の地図
Le Monde の3月7日の地図

◎地図のリンク https://www.lemonde.fr/les-decodeurs/article/2022/03/02/guerre-en-ukraine-suivez-en-carte-l-evolution-de-l-invasion-russe-au-jour-le-jour_6115863_4355770.html

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マリウポリ、袋のネズミの危険性

ドンバス地方、2つの自称「独立国」の方面でも、戦いが続いている。こちらにいるウクライナ軍は、4万人だ。

今、マリウポリで激しい戦闘が行われている。東のドネツクからやってくるロシア軍と、西のクリミア半島の北部からやってくるロシア軍に、マリウポリは挟まれている。この街も包囲されようとしている。

同じく激戦地である第二の都市ハリコフのほうから伸びて、ロシア軍が南下してくる動きがある。一方、クリミア半島のほうから北東に上昇する動きもあるという。

また、クリミア半島のほうから東へ、そしてドネツクのほうから西へ向かう露軍の動きもある。これは、専門家によれば、マリウポリを袋のねずみにするという作戦であろうと、フランス公共放送は7日に伝えている。

7日の時点で発表されていた前日6日の動きを伝えた地図ではわかりにくかったが、いま8日になって、前日7日の動きを示す地図(上記)では、はっきりわかる。マリウポリは、ロシア軍に二重に包囲されようとしているようだ。

もし二つの露軍が合流すれば、マリウポリのウクライナ軍は、兵站の補給を断たれ、孤立してしまう。

といって今、もし包囲の前に北西の方に逃れてしまったら、この戦線は、ドンバス地方を含む広い土地をロシアに占領されて、終了となる。

この地域のウクライナ軍が、素人目には絶対絶命に見える。もういっそ東はあきらめて、包囲される前、脱出できるうちに逃れて、首都と西、オデッサに集中することはできないのだろうか・・・。

軍勢で劣勢にたつウクライナ軍は、被害を最小限に抑えながら、ロシア軍をくいとめなければならないのだ。

オデッサの貨物港
オデッサの貨物港写真:イメージマート

オデッサ、最後に残された港

そしてオデッサ。エカテリーナ2世がつくったこの街は、ロシア革命を描いた名作映画「ポチョムキンの反乱」(あの階段)でも有名な、海軍と貿易港の街だ。

ウクライナの8割の穀物が、ここから外国に輸出される。

2014年のクリミア併合以来、ロシア系住民とウクライナ人の緊張が続いていた。

その年の5月に起きた火災事件。

きっかけは、市街地でサッカーファン同士の深刻な口論で、ロシア系を嫌うウクライナ人が射殺されたことだ。怒った人たちに追われた親ロシア派の分離主義者たちが労働組合会館に引きこもったが、屋根から火炎瓶が投げ込まれて火災が発生したのである。

5月2日には約40人が窒息死か、焼かれて死亡した。さらに、彼らが一体誰だったのかが、その後も街を分裂させる大きな焦点となった。

死亡した人たちは、オデッサの住民ではなく、ロシア、あるいはオデッサから数キロ離れた所にある、モルドバとの国境にロシアがつくった自称「沿ドニエストル共和国」のパスポートを持つ人々だけだったのではないかという疑惑である。この調査と報告をめぐって、街は揺れた。

今、まだロシア軍は到達していない。街には今、1日に爆撃を知らせる5回ものサイレンが鳴るという。街に被害はないが、遠くに砲撃の音が聞こえる。市民はみな不安な思いで暮らしていると、フランスのTF1テレビは伝える。

人々は砂袋でバリケードを築く。モロトフで火炎瓶をつくる。女性やお年寄りは、布を破って網上のフェンスに巻くという作業を、熱心に行っている。カモフラージュとして使うのだという。

3月6日フランス2のニュースより。筆者によるスクリーンショット
3月6日フランス2のニュースより。筆者によるスクリーンショット

そんな様子をテレビで見ていると、鬼畜米英をやっつけるのだと、女性たちが竹刀をふっていた映像を思い出す。そんなことでやっつけられると教えている日本政府のプロパガンダと無能ぶりに、腹が立ったものだ。

しかし、家にある布を持ってきて、一生懸命、布を切って網状のフェンスに結んで作業しているオデッサの女性たちを見ると、ああ、人々は、無駄かもしれないと思っても、何かせずにはいられなかったのだと気づく。

オデッサは、ウクライナに残された最後の港なのだ。ここを取られたら、ウクライナは致命傷を受けてしまう。そして黒海から逃れる場所を失ってしまう。

海からの攻撃は、まだ何もない。

陸からオデッサを攻める陸軍を待って、ロシア海軍は上陸作戦を始めるのではないかと言われている。

ミコライフ、天然の防御、南ブーフ川で守られる街

陸のロシア軍はどこで何をしているのか。

ヘルソンを攻略したロシア軍の一部は今、ミコライフの街を焦点に定めている。西にあるオデッサに行くには、大きな川である南ブーフ川を渡らなければならない。ミコライフは、南ブーフ川の東側にあるのだ。現在、郊外で戦闘が行われており、ミコライフには砲撃はあるが、まだ同地の地上戦にはなっていない。

この街はかつて、ロシア帝国海軍総司令部があった街だ。ソ連時代から造船所で栄え、今でもこの産業は継承されている。

ミコライフと南ブーフ川と1本の橋。Odessa Reviewより。http://odessareview.com/mykolaiv-grains-brains/
ミコライフと南ブーフ川と1本の橋。Odessa Reviewより。http://odessareview.com/mykolaiv-grains-brains/

前の記事で紹介したように、ミコライフからオデッサがある西側に渡るには、この大きな川を渡らなければならないのだ。しかも、市の中には橋が一本あるだけだ。

この橋を、ウクライナ軍がロシア軍を撃退して守ったという。

しかし、ヘルソンの露軍の一部は、この南ブーフ川の東にそって、何日も前から、北進している。素人目にも、川を渡る場所を求めているのだろうかと思わせる。もし川を渡れば、今度はオデッサ港のほうへ、南進することになるだろう。

ゼレンスキー大統領は3月6日、上陸作戦が始まる前に、オデッサには爆撃が始まると主張している。それは軍事的犯罪であり歴史的犯罪であるという。

ロシアが、プーチン大統領が、この街をあきらめるわけがない。港のインフラを守り、被害を最小限にくいとめて占領しようとはするかもしれない。でもこの街は、ロシア帝国の栄光と繁栄の象徴なのだ。プーチン大統領にとっては、ウクライナ側に渡ったのは、ちょっとした歴史の間違いなのだ。それを正そうとする使命感にすら燃えているかもしれない。

燃えるビニツィア空港。3月6日フランスTF1ニュースより、筆者がスクリーンショット
燃えるビニツィア空港。3月6日フランスTF1ニュースより、筆者がスクリーンショット

ビニツィア空港爆破、三重の恐怖

この南ブーフ川をもっと上流に北進すると、先日破壊されたビニツィア空港がある。首都キーウからは200キロ以上離れている。

この空港の爆破事件は、大変奇妙である。もう2日も経つのに、まるで沈黙を守っているかのように、専門家の見立てがまだ全然発表されていないようなのだ。

何よりも人々を驚かせ不安にさせているのは、今まで黒海沿岸をのぞいて、ロシア軍はウクライナの西には展開していないのに、そこで空港がピンポイントで爆破されたことだ。

ウクライナの西と言っても、広大である。その大変広い面積の、真ん中あたりに位置する場所で、いきなり空港が爆破された。周りにはどこにも敵軍はいないのに(上記地図、Vinnytziaを参照)。

この恐怖が伝わるだろうか。今、あなたが住んでいる平穏な街に、いきなり遠くのどこかから、おそらく国境の向こうからミサイルが飛んできて、爆破される可能性があるということだ。

人類は、地球の裏側からさえ届くミサイルを開発して所有している。そこまで行かなくても、数百キロから千キロの遠くから打ち込むことができるミサイルは「安価で持ちやすい」と言われるのだ。それが使われたのだ。この驚きは、ソーシャルメディアで、世界中で共有されているように見えた。

爆破された映像を見ると、さらに恐怖である。まさにピンポイントで破壊されている。一応周りの町は無事だったようだが、屋根付きの大きな市場が破壊された。市場は幸いにも閉まっていたが、空港ピンポイントとは言っても、もちろん周囲や市民に9人の死亡という犠牲が出ている。

ミサイルはどこから飛んできたのだろうか。ロシアからか、ベラルーシからか、ウクライナの東の、ロシアに占拠された戦場からか。地面からか、飛行機からか。何も分析が発表されないのはなぜだろう。ソーシャルメディアの一部では「巡航ミサイル」ということになっていて、おそらく正しいだろうが、これを確認する専門家の見立てすら聞いていない。

そもそもこれは、ゼレンスキー大統領の発表によって明らかになったものだ。彼が「8発のミサイル」と発表した以外は、軍事上の理由で、当局は詳細を発表しないだけだろうか。それでも通常なら、メディアが専門家を呼んできて、解説させるではないか。

少なくとも筆者が探した範囲では何もないというのは、何も発表できるものがないのだろう。おそらく、何もわからないのだ。それとも怖いのか。たった空港が一つ破壊されただけだから、見ないフリをしても大丈夫だろう・・・と。ゼレンスキー大統領の発表がなければ、ソーシャルメディアがなければ、このような爆撃が行われたことすら人々は知らなかったに違いない。

筆者がかなり探してみつけたのは、Wikipediaの情報だけだ。あれだけ探してWikiだけとは情けない。それでも、事件の直後から、空港紹介のWikiページでは、少なくとも欧州の複数の言語では、この空爆がもう掲載されているのを確認した。人々の注目が集まっていることがうかがえる。

その情報によると以下のとおり。

この空港は1950年代から存在し、Airbus A320、Boeing 737サイズの航空機に適している。面積は226ヘクタール、長さ2500メートル、幅42メートルのコンクリート製の滑走路を有している。

以前は、ウクライナ国際航空などが就航していた。その後は定期便は就航しておらず、モンテネグロ、エジプト、トルコなど地中海沿岸の目的地への不定期チャーター便に利用されていた。ロッシュ・ハシャナ前後には、イスラエルのテルアビブにあるベングリオン空港への不定期チャーター便が運航された。

わかったのは、このくらいだ(この情報は、軍事に詳しい読者の何かしらの分析の役に立つだろうか。何か推測できるのなら、ぜひ教えていただきたい)。

もちろん軍事的に重要だから爆破したのだろう。これがオデッサ攻撃の準備と関係あるのかはわからない。空港は、いま露軍が北上している南ブーフ川沿いに位置するが、これが偶然なのか否かも、わからない。

この事件は、三重のショックである。

露軍が存在しないウクライナの西側が攻撃されたこと。どこから来たかも全くわからないミサイルにいきなり攻撃されたこと。そして私たちは超情報化社会の中にいて、あふれる情報で戦況がわかると思っているが、この21世紀ですら何もわからない事態が起きるのだということだ。

その前の原発攻撃と火災は、メディアをひっくり返すような騒ぎだった。真夜中に事件起きた頃から、メディアは夜中じゅう報道、起きていてニュースを知った人々は、眠れない一夜を過ごした。朝になって、その日は1日中、ニュースチャンネルは、この話題一色だった。しかし、この空港爆破はまったく逆で、奇妙な静寂である。不気味な怖さだ。

このような状況の中、ゼレンスキー大統領は、飛行機を送ってほしい、それすらしないのは、私たちウクライナ人がゆっくり殺されるのを待っているのだ、と絶叫した。

NATO側は渋っていた。プーチン大統領は戦闘機の提供を「西側は戦争に参加した」とみなすだろうか。

「プーチン氏が最も嫌う、飛行禁止区域の指定をNATOはしないのだから、それを譲歩とみなして、戦闘機提供は受け入れるのではないか」という意見と、「甘すぎる」という意見の二つに分かれている。前者の意見のほうは、プーチン氏は強気の発言をしていたとしても、NATOとの戦争は望まないだろうという前提の発言である。それが甘いと批判されているのだ。

しかし、前者が勝ったようだ。今、ポーランドが所有するミグ29戦闘機をウクライナに供与し、その代わりに、米国がポーランドにF16戦闘機を追加配備する検討に入ったという。

ウクライナの戦闘機は古く、ソ連時代のものを使っている。現在アメリカや西欧で使われている戦闘機を使えるパイロットがいない。だから、まだ古いミグ29を保持している東欧からの援助を待っているのだ。

(こんなことで驚いてはいけない。古いウクライナの戦闘機は、さらに発展途上国に輸出できるのだ。いかに世界が軍事格差に満ちていることか)。

ウクライナの主要な空軍力は、戦争の1日目にロシア軍に攻撃されてしまった。しかしウクライナ軍も、NATOからの武器の援助のおかげだろうか、ロシア軍によるウクライナの空の制圧は防いでいるようである。

難民のための仮設宿泊施設の外で寄付された衣類を探す人々。2022年3月8日、ポーランド・プルゼミシル。
難民のための仮設宿泊施設の外で寄付された衣類を探す人々。2022年3月8日、ポーランド・プルゼミシル。写真:ロイター/アフロ

EUの外相に当たるボレル外交安全保障上級代表は7日、このままウクライナ侵攻が続いた場合、欧州に難民500万人が流入する可能性があると述べた。

シリア難民が660万人と言われ、人口は平時で2100万人以上だったので、約3割強の人々が国を逃れた。ウクライナの人口は4400万人以上なので、約11%に相当する人数だ。

ロシアから逃れる人も増えている。特に未来に希望を描けなくなった若者や、反戦や反政権によって、国にいられなくなった人々だ。

6日の日曜日には、モスクワやサンクトペテルブルグだけではなく、ロシアの内陸の町まで、あちこちの町で反戦デモが確認された。

今や、デモに参加しただけで、3年の禁固刑の可能性がある。そして町では、軍人が人々を呼び止めて、携帯のチェックをすることも普通に行われている。どういう会話をしているのか調べるのだ。

ロシアから欧州に逃れる若者は、フィンランドを目指す。欧州の空は、ロシアからの便を一切閉ざした。陸路しかないが、隣国ウクライナは戦場だ。

だから人々は、サンクト・ペテルブルクから、フィンランドを目指す。車で、そして列車で。列車ならヘルシンキまで3時間だ。今、唯一ここだけが、EU域内に入れる確実な道となっている。

EUに加盟しているが、NATOには加盟していないロシアの隣国、フィンランド。かつて第二次大戦の冬戦争で、フィンランドの独立を脅かすまでに攻めてきたロシア人を、フィンランドは審査の元で受け入れている。ロシア人は、片道切符と、EUで許可されているワクチンを打った証明書と、スーツケースだけを持ってやってくるのだ。

それでも、EUという外国に行ける彼らは、圧倒的に少数派だ。ウクライナも、大量の難民を出していても、8割以上の人が国に残る。

結婚したウクライナ領土防衛軍のレシア・イヴァシチェンコさんとヴァレリー・フィリモノフさんのメンバーを祝福するキエフのクリチコ市長。2022年3月6日、キエフの検問所にて
結婚したウクライナ領土防衛軍のレシア・イヴァシチェンコさんとヴァレリー・フィリモノフさんのメンバーを祝福するキエフのクリチコ市長。2022年3月6日、キエフの検問所にて写真:ロイター/アフロ

私たちが報道で見てきた「ロシア軍は士気が低い」「ロシア人も戦争が嫌だ」「ウクライナ市民は士気が高くて、レジスタンスで抵抗しようとしている」ーーこれらの報道は、ほぼ全部本当だろう。

でも、私たちは見たいものを見る。こうあってほしいと思うものを見る。報道する側も、自分が見たいものを取材して報道する。「Z」マークをつけて、ロシア軍兵士を応援するロシア人たちよりも、戦争反対をしている市民を映す。

これらの報道は人間がつむぐ、物語なのだ。

NATOからの戦闘機の導入が実現すれば、もしかしたら戦局を変える力はあるのかもしれない。でも間に合うのだろうか。ゼレンスキー大統領の亡命政権の話が外部に「もれる」ことは、状況を示しているように感じてしまう。もっとも、戦争が始まった2、3日後には、テレビに登場するフランスの専門家の間では、亡命政権の話が議論に出ていた。

おそらく早くて1週間以内、遅くても2週間以内には「その日」はやってくるのだろう。あれほど「連帯」「反戦」を叫んでも、どんなに市民が援助の手を差し伸べても、結局NATOもEUも、どちらの加盟国も政治家も、ウクライナを見捨てているのだ。

外から見た評論を行うことはできる。研究者に評論家。実に立派な職業だ。

ウクライナ人の命をかけた戦いが、国際社会に、ウクライナという確固たる国民国家を認めさせているのである。最も象徴的なのは、各国メディアが首都をロシア語の「キエフ」ではなく、ウクライナ語の「キーウ(キーフ)」と呼び始めたことだ。

今私たちが毎日見ているのは、国民国家が誕生しようとしている場面なのだーーと。

それに、ここまで戦えたのは、NATOの援助があったからだ。もしなければ、とっくの昔にゼレンスキーは降伏していただろう。

実際に、まだ本格的な戦闘も始まっていない2月25日の段階で「我々はロシアを恐れていない、ロシアと議論することを恐れていない。我々の国家の安全保障を議論することを恐れていない。中立の地位を議論することを恐れていない」、「我々はNATOに属していない。我々はどんな安全保障もてるのか。どの国々が我々に与えてくれるのか」、「我々は、たった自分たちだけで国を守っている」、「対ロシア制裁は何の効果もない」とビデオを流したではないか。

しかしこのことは逆に、相対的に弱い者には弱い者としての戦い方があることを教えてくれた。ゼレンスキー氏の言葉は、世界中に広まって、共感と同情と連帯の意志が示された。

そして結局、ウクライナは戦う道を選んだ。

1世紀以上も人々が戦って得た権利、国連憲章の第1章第1条に書かれている「自分たちの国の行く末は、自分たちで決める」を、自ら実践した。彼らは選択したのだ。

それでも、ヨーロッパの住民が、ウクライナを見捨てていることには変わりはない。みんな自分の家が大事である。100人死ぬのと1人死ぬ、どちらかを選択しなければならないなら、間違いなく後者だろう・・・。

それでもこの良心の呵責とうずきは、海に守られ、海という天然の境界によって孤絶できる国の国民にはわかりにくいだろう。英国と日本は全く異なるが、それでも欧州大陸から見たら、この点では英国は日本に近いくらいに見える。

大陸ーーそれとも欧州大陸の人々は、歴史によってもう慣れっこなのだろうか。そう、もう十分知っているのだろう。何百年も続いた、大陸の争いの歴史。人々の集団の記憶。自分の国の冷血も非道も、自分の身の可愛さも、そして自分の無力さも、圧倒的な力への意志の前には、人はあっさりなびくことも、全部知っているのだろう。

だから国境を超えて、人間の連帯を叫び続ける。同じ人間なのに、同じ人間なのだからと。19世紀からずっと叫び続けた。まだ足りない。

いま、欧州大陸の挫折の歴史に、ウクライナという1ページがまた加わろうとしている。だから人々は連帯を叫び続ける。まだ足りないからだ。たとえ挫折しても、自分の足で立つ。頭を上げる。そして、今よりもっと良くなる時が来ると信じて、叫び続けるのだ。

2022年3月6日ベルリンで、ウクライナに連帯するデモに参加する人々
2022年3月6日ベルリンで、ウクライナに連帯するデモに参加する人々写真:ロイター/アフロ

3月6日、ロンドンのトラファルガー広場で行われた抗議デモで。オーケストラのフラッシュモブ「Music for Peace」で演奏する音楽家たち。ウクライナの象徴の花飾りを付けて。
3月6日、ロンドンのトラファルガー広場で行われた抗議デモで。オーケストラのフラッシュモブ「Music for Peace」で演奏する音楽家たち。ウクライナの象徴の花飾りを付けて。写真:ロイター/アフロ

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。元大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省機関の仕事を行う(2015年〜)。出版社の編集者出身。 早稲田大学卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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