Yahoo!ニュース

「ちくさ正文館書店」が60余年の歴史に幕。どうなる?名古屋の本屋カルチャー

大竹敏之名古屋ネタライター
ちくさ正文館書店は2023年7月31日で閉店。店長・古田一晴さんは何を想う?

地域で愛されてきた書店が相次いで閉店

名古屋の老舗書店「ちくさ正文館書店」(千種区)が2023年7月31日をもって閉店することになりました。

オープンは1961年。一見、普通の“町の本屋さん”風ですが、ベストセラーには目もくれず、人文・文芸書がやたら充実した独自の品揃えで、名古屋の本好きから篤い信頼を得てきました。

特に古田一晴(かずはる)店長の選書、棚づくりは「古田棚」とも呼ばれ、全国の出版関係者から一目も二目も置かれてきました。

名古屋では今年に入って1月に七五(しちご)書店(瑞穂区)、6月に正文館書店本店(東区)と地域で愛されてきた書店が閉店。さらにミニシアターの名古屋シネマテーク(千種区)も7月末で閉館と、カルチャーの拠点が相次いで姿を消しています。

「本」の大きな筆文字が目印の「ちくさ正文館書店」。JR・地下鉄千種駅から歩いてすぐの場所にある
「本」の大きな筆文字が目印の「ちくさ正文館書店」。JR・地下鉄千種駅から歩いてすぐの場所にある

名物店長・古田一晴さんインタビュー 「学参の売上減が痛手だった」

名古屋のカルチャーはこの先どうなってしまうのか? この人なら何か大きな置き土産を用意してくれているのではないか?と古田さんを訪ねました。

――閉店はいつ頃決まったことだったのでしょう?

古田さん(以下「古田」)「内々では去年の年末くらいです。店舗の老朽化と売上の減少が原因です」

――ピーク時と比べてどれくらい売上は減っていたのでしょう?

古田「ピークは90年代なのでもう30年も前。いろんな数字の見方があるから、どれくらい減っていたかはちょっと一概にはいえないですね。うちは学参(がくしゅうさんこうしょ)が大きな柱で予備校内にも出店してたんですが、そっちの売上が減っていたことが経営的には大きな痛手だった。参考書自体、需要が電子に移って売れなくなってしまいましたから」

古田さんは大学生だった1974年にちくさ正文館にアルバイトで入社。1978年に社員になり半世紀にわたり現場に立ち続けてきた叩き上げの書店員。ちなみに店長になったのがいつかは「覚えてない(笑)」とのこと
古田さんは大学生だった1974年にちくさ正文館にアルバイトで入社。1978年に社員になり半世紀にわたり現場に立ち続けてきた叩き上げの書店員。ちなみに店長になったのがいつかは「覚えてない(笑)」とのこと

――古田さんはアルバイトから社員になり、店長になったんですよね

古田「学生時代に映像をやっていて…今もやってるんだけど…、その頃にここでバイトするようになってそのままずっとです。社長(谷口暢宏氏、故人)がガチガチの人文・文芸書寄りの人で、岩波の文庫や全集を押さえておけば後は好きにやらせてくれたんですよ」

120坪6万冊という規模は1000坪100万冊クラスの都心の超大型書店と比べるべくもない。しかし、書斎を思わすオーラ、知的探求心を刺激するセレクトは、眺めるほどに深みにハマっていく“沼”感に満ちている
120坪6万冊という規模は1000坪100万冊クラスの都心の超大型書店と比べるべくもない。しかし、書斎を思わすオーラ、知的探求心を刺激するセレクトは、眺めるほどに深みにハマっていく“沼”感に満ちている

日本中のどこもやっていない企画をやるのがフェアだった

――ちくさ正文館書店といえば独自のフェアが特徴でした

古田「歴史書を一万冊集めて店の大半を埋め尽くすとか、当時はまだ名古屋でどこも扱っていなかったイギリスの最先端のロック雑誌のバックナンバーを集めて展開したりとか、いろいろやりました。テーマを決めて資料をあたり知識を駆使して一冊一冊ピックアップし、目録をつくる。目録にフェアのすべてが詰まっているので、ゆずってほしいという問い合わせもたくさんありました。かつては本屋のブックフェアは特殊なことで、日本中のどこもやっていない企画をやるのがフェアだったんです。出版関係者も同業者も、どこがどんなフェアをやるのかみんな注目していた。誰それが賞をとったから著作を集めてとか、そんなのはフェアじゃないんです

映画、音楽、美術などのカルチャーコーナーの深みのあるセレクトも一冊一冊ためつすがめつしたくなる
映画、音楽、美術などのカルチャーコーナーの深みのあるセレクトも一冊一冊ためつすがめつしたくなる

――ベストセラーに目を向けない選書、棚づくりで、業界では「古田棚」の異名をとりました

古田「先代社長が村上春樹なんて全然興味がないような人でしたからね。僕はこれでも分かりやすくしてきた方なんですよ。他とは違っていたかもしれないのはジャンルや作家で分けて並べるんじゃなくて、“傾向”で棚をつくっていくこと。短歌ならこの作家、外国文学ならこの人と、それぞれのジャンルのキーパーソンをまず押さえて、そこから掘り下げていくのは意識していました」

文芸書コーナーも作家名の五十音順ではない独特の並び。古田さんが不在の時に「どういう順に並べてあるんですか?」と尋ねて首をひねられることも
文芸書コーナーも作家名の五十音順ではない独特の並び。古田さんが不在の時に「どういう順に並べてあるんですか?」と尋ねて首をひねられることも

――出版の市場は1990年代後半がピークで、そこからほぼ半減しているといわれます

古田「80~90年代は雑誌が次から次に創刊し、コミックも常に記録更新。大型書店がいい場所を奪い合うように一等地の商業ビルに出店し、一方で古くからの町の本屋も変わらずある。当時は本屋がマイナスになるなんて考えられなかった。バブル崩壊後も出版業界は伸びていて“不況に強い”といわれてたけど、影響が出るのが遅かっただけで、当時から既に健全ではなかったんでしょう。Amazonに本屋が食われたといわれるけど、あそこは数字を出さないから実際はどうかよくわからない。かつてはコンビニが雑誌を爆発的に売って本屋が戦々恐々としていたけど、今じゃ売れないから雑誌売り場は撤去する、なんて動きも出てきている。コンビニは雑誌が売れないなら仕入れなければいいけど、本屋がそれをやったら売るものがないですからね」

入ってすぐの“一等地”にサブカル系のコーナーがあるのもちくさ正文館書店ならでは。マニアックなタイトルがズラリと並ぶ。ちくさ正文館書店は8月以降、ネット通販で業務を継続していく予定
入ってすぐの“一等地”にサブカル系のコーナーがあるのもちくさ正文館書店ならでは。マニアックなタイトルがズラリと並ぶ。ちくさ正文館書店は8月以降、ネット通販で業務を継続していく予定

“文化の火が消える”なんていうけどいろんなものがずっと消えている

――今年は名古屋で「七五書店」「正文館書店本店」が閉店し、それでも“いや、ちくさ正文館があるから大丈夫!”という思いがありました。それだけに閉店にショックを受けている人も多いと思います

古田「新聞やテレビはそのたびに“文化の火が消える”なんて報道するけど、ずっと昔からいろんなものが消えているわけですよ。お客さんにも“ここがなくなったらどこへ行けばいいんですか?”と聞かれるんだけど、人文系ならウニタ書店(千種区)があるし、らくだ書店(千種区)も硬い本を結構置いているし、コミックなら栄のジュンク堂書店栄店が充実している。それにニューヨークなんかだと、やっぱり電子書籍は読みにくいから、と本屋が増えてるんですよ。日本でも最近は独立系の本屋が増えていて、名古屋だったらON READING(千種区)とかTOUTEN BOOKSTORE(熱田区)とかいろいろ出てきている。それぞれ自分に合った店に足を運べばいいと思いますよ」

――古田さん自身は、お店が閉店したらしばらくはのんびりされるんですか?

古田「それがのんびりできないんですよ。50年この店でやってきたのでそれを時系列でまとめようと思っているんです。ちくさ正文館書店の歴史はある種、名古屋の裏出版史になる。来年には本にして出版するつもりなんですが、間に合うのか今から焦ってます(笑)」

ちくさ正文館書店からもほど近い「ウニタ書店」。決して広くはないが、深みのある選書で思わぬ一冊に出合える
ちくさ正文館書店からもほど近い「ウニタ書店」。決して広くはないが、深みのある選書で思わぬ一冊に出合える

◆◆◆

古田さんのいうとおり、誰かにとって大切なものが無くなってしまうのは世の常で、ずっとあり続けるものの方がむしろ稀です。何かを失い空いてしまった穴は、自分で何かを見つけて埋めていくしかありません。そして、ちくさ正文館書店のような書店の魅力を理解している人なら、きっと他にも、気に入っている売り場や店があるはず。この店で本と出合う喜びをたくさん体験してきた人ならば、これからも本との出合いを求めて足を運ぶ先があるに違いありません。本屋カルチャーを守りつないでいくのは、店だけではなく、そこで本を買う私たち自身なのです。

(写真撮影/すべて筆者)

名古屋ネタライター

名古屋在住のフリーライター。名古屋メシと中日ドラゴンズをこよなく愛する。最新刊は『間違いだらけの名古屋めし』。2017年発行の『なごやじまん』は、当サイトに寄稿した「なぜ週刊ポスト『名古屋ぎらい』特集は組まれたのか?」をきっかけに書籍化したもの。著書は他に『サンデージャーナルのデータで解析!名古屋・愛知』『名古屋の酒場』『名古屋の喫茶店 完全版』『名古屋めし』『名古屋メン』『名古屋の商店街』『東海の和菓子名店』等がある。コンクリート造型師、浅野祥雲の研究をライフワークとし、“日本唯一の浅野祥雲研究家”を自称。作品の修復活動も主宰する。『コンクリート魂 浅野祥雲大全』はその研究の集大成的1冊。

大竹敏之の最近の記事