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テレビ史上に残る、最も“ヤバい”罰ゲーム

てれびのスキマライター。テレビっ子
福留功男が編集執筆した『ウルトラクイズ伝説』(日本テレビ)の表紙

昨日11月5日に放送された『世界一受けたい授業』(日本テレビ)では、明石家さんまを講師役に迎え「テレビ70年史」が特集された。

その中で、「世界で最も制作費のかかったクイズ番組」としてギネス世界記録に認定されていると紹介されたのが1977年から1992年まで毎年放送(1998年に一度復活)されていた『アメリカ横断ウルトラクイズ』(日本テレビ)だ。

ウルトラクイズの名物

『アメリカ横断ウルトラクイズ』の大きな特徴の一つといえば、「敗者」に「罰ゲーム」が課せられることだろう。いまやテレビ番組で普通に使われている「罰ゲーム」という言葉を普及させたのは、一説にはこの番組だともいわれている。

これを導入したひとつの理由としては、出場者がわざと負けるのを防ぐため、というものもあったという。わざと負けるわけないじゃないか、と思うかもしれないが、何しろツアーは長い。1ヶ月近くにもおよぶ場合がある。

もう充分楽しんだ。これぐらいでいいや。家のことが心配だし、会社もこれ以上休めない。そんなことを挑戦者たちが思い始めたら番組のテンションは台無しになってしまう。

そこで考え出されたのが「罰ゲーム」だったのだ。

たとえば砂漠の真ん中で敗れた青年は「航空券と水と地図と英語の辞書があります。空港まで20キロ。歩いて帰って下さい」という「罰ゲーム」が課せられた。

気温38度の灼熱の一本道。青年は仕方なく歩き始める。

5キロ歩いてバテバテの頃、1台のワゴンが通りかかる。初老の女性が運転している。

「乗るかい、若いの」

青年が助かったという表情で乗り込むと女性は矢継ぎ早に英語で質問してくる。何を言っているかまったくわからず答えられない青年。苛立った女性は「降りろ!」と指示。青年はなんとか乗せて欲しいと懇願するも、女性が運転席からライフルを取り出して脅す――なんていう“悪趣味”のものもあった。

他にも、湖を大きな折り紙の船で帰国させられたり、オンボロの複葉機に乗せられ宙返りしながら空港に帰ったり、囚人の服を着せられゴミ拾いをさせられたり、丸坊主にされ海軍士官学校での訓練に参加させられたり、女性が闘牛をさせられたりといったものもあった(参考文献:佐藤孝吉『僕がテレビ屋サト―です』、福留功男『ウルトラクイズ伝説』)。

そのパロディ番組『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』顔負けの「罰ゲーム」が一般人である出場者に課せられていたのだ。

想定外の罰ゲーム

そんな中でも番組史上いや、テレビ史上といっても過言ではない最も“ヤバい”罰ゲームが、『第12回』で決行された。それは第10チェックポイント「イグアス」でのことだった(第4週=1988年11月24日放送)。

「鬼ッ!」

23歳の古川久美子は福留功男に一言、そう叫んだ。

第10チェックポイント「イグアス」で「敗者」となった彼女はイグアスの川のほとりに浮かぶ粗末な小舟を見せられながら福留に「さあ、帰ろう」と言われたのだ。

冗談よして。私、カナヅチなんです

懇願するも許してもらえるはずもない。それが『ウルトラクイズ』の「罰ゲーム」なのだ。

   (略)

“自力で帰る”というのはこの番組の罰ゲームの定番。番組初めての罰ゲームも「船で2キロ先の岸まで漕いで帰れ」というものだった。

ここでこういうことを言うのはなんですが、気をつけて帰って

福留は意地悪な笑みを浮かべながら、最後にそう声をかけたが、本当に深刻な危機に陥るなんて誰も想像していなかった。

古川はイグアス川をオール一本で懸命に漕いで川を下っていた。番組上では数分しか使われないが、実際に2時間近く漕ぐ過酷な罰ゲームだった。

(戸部田誠:著『史上最大の木曜日』)

ここまでは、過酷ではあるが、まだこれまでとそれほど変わらない。しかし、スタッフも想定していない事態が起ころうとしていた。

実はこの川は「T」字に分かれており、右に行けばブラジルとパラグアイの国境、左に行けばブラジルとアルゼンチンの国境になっていた。

番組側のシナリオでは、舟がその国境に近づいた時に、ブラジルの警官が不法出国の疑いで連行するというものだった。だが、パラグアイの国境に近づいていってしまった舟に、本物のパラグアイの国境警備隊が威嚇射撃をしながら小舟に横付けしたのだ。

実況中継するため高台から双眼鏡でその様子を見ていたスタッフは異変に気づき、慌ててブラジル警官側のスタッフと連絡を取り、救出に向かわせた。

一方、当事者である古川は意外にも冷静だった。

「スゴい……、でも仕込みだろうな。捕まっておこう

だが、やがてパラグアイ側とブラジル側で大騒動になってしまう。それから45分ほどの問答の末、ようやくテレビの収録だということを理解してもらえ、引き渡してもらえたのだ。逮捕者が出てもおかしくはない、国際問題にもなりかねない番組史上もっとも“ヤバい”罰ゲームだったのだ。

(戸部田誠:著『史上最大の木曜日』)

こうした「罰ゲーム」が作られたのは、前述の通り、出場者のモチベーション維持が目的のひとつだが、もうひとつ、大きな理由があった。

それは、『ウルトラクイズ』は、「敗者」こそが主役だというコンセプトだからだ。敗者をいかに魅力的に映すか。それを考え抜き、そのコンセプトを体現したのが「罰ゲーム」だったのだ。

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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