パ・リーグは何人が本塁打王を獲得するのか。MLBでは4人が本塁打王を分け合ったことも
パ・リーグでは、本塁打ランキングの上位に、4人が1本差で並んでいる。グレゴリー・ポランコ(千葉ロッテ・マリーンズ)と浅村栄斗(東北楽天ゴールデンイーグルス)が26本塁打、万波中正(北海道日本ハム・ファイターズ)と近藤健介(福岡ソフトバンク・ホークス)は25本塁打だ。
彼らのうち、万波の本塁打王はない。北海道日本ハムは、10月5日に143試合目を終えた。だが、千葉ロッテはあと3試合、東北楽天と福岡ソフトバンクはあと2試合を残している。3人が揃って本塁打王の可能性もある。21本塁打の柳田悠岐(福岡ソフトバンク)も、あり得なくはない。
日本プロ野球において、複数の選手が本塁打王を分け合ったのは、1リーグ時代の3人が最も多い。2リーグ制となった1950年以降は、2人が最多だ。
メジャーリーグでは、4人が本塁打王ということがあった。
1981年のア・リーグがそうだ。エディ・マリー、ドワイト・エバンス、ボビー・グリッチ、トニー・アーマスが、いずれも22本のホームランを打ち、揃って本塁打王を獲得した。ちなみに、彼らに次ぐ5位タイのゴーマン・トーマスとグレッグ・ルジンスキーは、トップの4人と1本差の21本塁打。その下は少し離れていて、5人が17本塁打だった。
この年は、ストライキによってシーズンが中断し、その時期を挟み、シーズンが前期と後期に分けられた。合計の試合数は、1チームにつき103~111にとどまった。25本未満と複数の本塁打王は、これが要因だ。ナ・リーグでは、マイク・シュミットが31本のホームランを打ったが、他に25本以上はいなかった。
本塁打王を分け合った4人のうち、アーマスは3年後の1984年に43本塁打を記録し、2位に8本差をつけ、ア・リーグの本塁打王を獲得した。だが、あとの3人は、30本塁打以上のシーズンこそあるものの、35本塁打以上はなく、本塁打王は1度きり。エバンスは、1987年の34本塁打がア・リーグ3位ながら、マリーとグリッチは、リーグ・トップ3にランクインしたシーズンも、1981年しかない。
それぞれの通算本塁打は、マリーが504本(21シーズン)、エバンスが385本(20シーズン)、アーマスが251本(14シーズン)、グリッチは224本(17シーズン)だ。マリーは、3255安打や560二塁打も記録し、殿堂には、最初の記者投票で迎え入れられた。
なお、日本プロ野球における、30本塁打未満の本塁打王とトップ4が1本差のシーズンについては、それぞれ、こちらで書いた。