ウィンターリーグで収穫を得た林威助 中信兄弟2軍監督(元阪神タイガース)が見据える台湾プロ野球の未来
■ウィンターリーグで台湾プロ選抜の監督に
林威助。
日本のプロ野球・阪神タイガースで11年、祖国・台湾に帰って台湾プロ野球・中信兄弟ブラザーズで4年、活躍した。
引退をしてからは2軍監督として、そのまま中信兄弟のユニフォームを着続け、就任から2年連続で優勝。また、有望な選手を1軍に多数送り込んでいる。
今秋にはファームで天塩にかけて育てた選手がプレミア12の台湾代表に選ばれ、世界の舞台で活躍した。
苦労も多い中、指導者冥利に尽きる喜びを数多く経験している。
そんな2軍の指揮官として実績を積んだ林監督に、新たなチャンスが訪れた。台湾でのウィンターリーグ(11月23日〜12月15日)において、台湾プロ選抜の監督を任されたのだ。
台湾プロ野球に来季から再加盟する味全ドラゴンズ、それに日本から3チーム(NPBレッド、NPBホワイト、社会人代表)と韓国代表が加わり、合計6チームが対戦した。いずれも将来有望な若手選手ばかりだ。
■日本人選手のリードの大きさ
林監督が指揮を執る台湾プロ選抜は日本の各チームと合計11試合戦ったが、ここで思わぬ発見があったという。
「日本のチームはみんな、(ランナーの)リードが大きい」。
思い出したのだ。「リードを大きくとって牽制をもらって。そしたらピッチャーのクセとかがわかる」。自身も日本でプレーしていたころのことだ。
大砲であった林監督は足をウリにしていたわけではない。しかし盗塁はしなくても、リードを大きくとることで相手バッテリーにプレッシャーをかけることが重要だと認識していた。もちろん帰塁できる範囲でだ。
今季は愛弟子が2軍の盗塁王に輝いたが、それでもその陳文杰選手は日本人選手よりもリードが小さいという。
というのも、まだまだ台湾の若手投手は牽制時のターンも遅く、クィックも速くないからだ。
「ピッチャーはそういう練習ができていないし、キャッチャーも走るそぶりが見えただけで焦って前に出てボールをスルーする。ランナーはまだ盗塁もしてないのに楽々サードまでいけちゃう。落ち着いていない、ピッチャーもキャッチャーも」。
そんな状況であるから、盗塁王を獲ったといっても「まだまだ甘い」と手放しでは褒めない。そして、バッテリーにはより成長を促さねばと心に刻んでいた。
■右打ちの意識
日本人の野球を見て、もうひとつ、気づいたことがあるという。
「あ!昔やってたわ!やってたわ!と思った」と興奮気味に話す。それは進塁打の意識だった。
ランナー一塁の場面だ。
「ファーストはベースに就いて、セカンドはゲッツーに備えて左に寄っているから、一二塁間が広く空いている。ライトに打てばヒットじゃなくても(ランナーは)セカンドにいけるし、ヒットなら一三塁になる」。
それがレフト方向に打ったとしたら「よくて一二塁、ショートが捕ったらゲッツーだから」と語気を強める。
「台湾に帰ってきた当時、みんなパンパン自分のバッティングだけやってるなと思った。そういう自分だけのバッティングじゃなくて、チームが何を求めているのかを考えながらやるというのは、日本人なら自然とできる。ある程度の名門高なら普通だから」。
柳川高時代に仕込まれた日本野球は、近畿大、タイガースと進んでより深みを増した。それだけに、台湾野球との違いが身をもってわかるのだ。
■日本野球を見て台湾野球の現状を再確認
「あぁ、日本の野球ってこうだったなとあらためて思ったし、今の台湾はこうだなと再確認できたことはよかった」。
ただ、だからといって、闇雲に日本の野球を取り入れればいいというものでもないと語る。
「台湾はピッチャーがそんなによくなくて、バッターがいい。4割バッターの王柏融(現北海道日本ハムファイターズ)とか出てきたでしょ。じゃ、日本で打ててる?そんなに打ててないでしょ」。
つまり台湾と日本の投手の違いだという。逆に台湾の投手に対して日本のバッティングでは打てないという。
「台湾の投手はボールの伸びがそんなにないから、多少はアッパースイングでもいける。でもそういうピッチャーに対して日本のスイング、最短距離でバットを出すとゴロになる確率が高い」。
要するにその国の環境、その国の野球に合わせた各々のレベルアップが必要だと語る。
「すべてアメリカがいいとか日本がいいとか、そういうのはない。今、この国は何が足りないのかを把握して、そこを強化しながら全体の底上げをしていかなくちゃいけない」。
■「“ド昭和”な練習」は読売ジャイアンツ・阿部慎之助2軍監督との共通点?
ウィンターリーグ中には、視察にやってきた読売ジャイアンツの阿部慎之助2軍監督とも食事をともにし、情報交換をしたという。
同い年の阿部監督による「“ド昭和”な感じで練習をさせている」という言葉に林監督も呼応しつつ、「僕は昭和生まれだけど、“ド昭和”がどんな練習をさせているのか知らない。平成で十分でしょ」と笑わせた。
日本の記事もよく読んでおり、「阿部くんは『(選手に)嫌われてもいい』と言っていると書いてあった。あれ、絶対嫌われるでしょ。練習をたくさんさせるから」と言い、自身も同様だという。
「選手は、しんどいときは『クソーッ』みたいな。『なんでこんな練習せなアカンねん』と。でも成功したら、あとあと思う。『あのときの練習があったから、今があるんだ』ってね」。
自身が監督に就任するまでの2軍は「ゆるすぎた」と言い、「ちょっとしんどい練習やらせたら『いやぁ、無理無理』ってなっていた。でも人間って、ある程度時間をかけてやらせたら、慣れていく」。
たとえ嫌われても、それが選手のためになると信じているからやる。成績が上がってくれば、選手も練習の大切さを実感するのだろう。
■林監督が課す3つ―「態度」「礼儀」「敬う」
また、グラウンドでの態度も重要視している。
「やっぱり態度が悪かったら、上の人間も教えてくれない。やる気のある、練習したいっていう態度を見せてくれれば、こっちも『どうぞどうぞ。何が聞きたいの?』ってなんでも教えてあげたくなる」という。
体力と時間を使って練習に付き合っているのは、すべて選手のためである。それを理解して取り組むことがまた、選手にとって成長につながるのだ。
この「態度」のほかに「礼儀」「敬う」も併せて要求しているという。
「この3つさえできれば、他球団にいっても、ほかの仕事に就いても、人生ある程度やっていけるよって。野球は短いから」。
選手としての技量を伸ばすことだけでなく、人間教育も重視するのが林監督なのである。一社会人として大切なことも、野球を通して伝えている。
■1軍監督をするための準備期間
そんな林監督の評価は、球団内ではうなぎのぼりだ。いずれ1軍監督に抜擢されることは十二分にあり得る。
先日、台湾を訪れた王貞治氏の80歳を祝う会に同席した。直接会話を交わす時間はなかったが、球団オーナーから王氏の言葉を伝えられた。
それによると、王氏は林監督の指導者としての活躍も知っており、「自国の人間が指導者として力をつけていかないと、台湾は強くならない」と“指導者・林威助”に対して、非常に期待をしていたという。
林監督も未来予想図を描く。
「あと1、2年くらいファームの監督をやったら、将来も見えてくるんじゃないかな。(ゆくゆくは1軍監督も)やってみたい気持ちもあるけど、それがいつになるかは球団が判断することだし、タイミングもある」。
そのときが訪れたら、迷わず引き受けるだろう。
その一方で、日本でもチャンスがあれば「勉強のために」とチャレンジする意欲も持っている。先述したように「同じところでやっていると、同じ野球しか見えなくなるから」だ。
いずれにしても、選手と同じで一つずつ階段を上ることが大事だと強調する。
「ばぁちゃんにいきなりiPhoneのXをあげても使えないでしょ(笑)。いいものはいいけど。それと一緒で少しずつ練習していかないと。いいものを見ても差がありすぎるとね。一気に上は目指せないんで」。たとえ話がおもしろい。
「来年も2軍監督と決まっているわけだから、もっともっと準備して、いつ言われてもいいように。1軍に行ったら成績が大事になってくるし、成績がアカンかったらクビもある。今は自分の準備ができる時間。そう思って来年も1年、頑張っていこうと思っている」。
来年の中信兄弟は今まで以上に育成に力を入れる方針だという。
「3軍制に近い分け方はする。まだ1軍に遠い選手を3軍にして、2軍、1.5軍、1軍…という感じかな。育てるために試合でも多く使うことになるので、来年の2軍は優勝は難しいと思う」。
勝つための選手起用でなく、育てるための選手起用になると言いきり、チーム力を底上げするための育成に林監督も注力する。
ともに生活する寮では選手が冷えすぎて風邪をひかないようにと、各部屋の室温チェックにまで余念がないという、父のような愛情あふれる林監督。
やがて育てた“林チルドレン”が台湾球界を席巻する日も、そう遠くないであろう。