もはや名将!?台湾野球に変革をもたらす林威助 中信兄弟2軍監督(元阪神タイガース)
■鬼監督・林威助
「鳥肌が立ちますよ」―。
相好を崩し、つぶやいたその顔は、かつてのとてつもないスイングスピードで打球を飛ばしていたスラッガーのそれでも、チームの主砲としてバット1本で戦っていた勝負師のそれでもなかった。
選手を我が子のように思う温かい指揮官の顔だ。「活躍したら、本当に嬉しいよ」と心の底から喜ぶ。
林威助。日本の阪神タイガースで11年活躍したあと、祖国・台湾プロ野球の中信兄弟ブラザーズでも4年、主力選手としてその名を轟かせた。キャプテンも務め、日台にわたって人気を博した。
一昨年限りで現役に別れを告げ、中信兄弟の2軍監督に就いた。
現役時代から自他ともに対して厳しく、時間にルーズなことや手を抜いたプレー、乱れた身だしなみなどが大嫌いだったが、監督になるとさらに厳峻に指導にあたり、“鬼監督”としてその辣腕を振るっている。
■2軍で2連覇を達成
そんな林監督率いる中信兄弟2軍は昨年に続いて優勝し、2連覇を達成した。
昨年は首位を走るLamigoモンキーズ(来年から楽天モンキーズ)を最後に追い上げ、決定戦で勝っての優勝だったが、今年はシーズンすべてにおいて圧倒した。
51勝21敗2分けで勝率.708という驚異的な数字を叩き出し、他の3球団すべてから“貯金”を作る完全優勝だった。他チームの勝率はみな5割以下だ。
開幕4連勝でスタートし、5月には8連勝、7月下旬から8月下旬までの約1ヶ月間には15連勝も成し遂げた。そしてラストは3連勝でフィニッシュだ。
投手陣の成績では、チーム防御率は3.70で唯一の3点台、4球団の中で与四球は最も少なく、奪三振は最も多い。
打撃においてもチーム打率.306は唯一の3割超えで、本塁打数76、出塁率.377、長打率.471はいずれもダントツの数字である。
また守備の成績も優れている。チーム守備率.978はトップで、エラー61、許盗塁33は極端に少ない数字だ。
■ファームから1軍、そして台湾代表に
もちろん2軍であるから、勝つことがすべてではない。いかに若手選手を成長させて1軍に送り込むかが重要である。
その点についても「今年は入れ替えが多かった」と手応えを深め、さらにはこんなこともあった。
「ファームスタートだった選手が途中で1軍に上がって、プレミア12でチャイニーズタイペイの代表に選ばれた。うちの3人が!ファームからですよ」。
声がひときわ大きくなった。興奮が伝わってくる。
世界の舞台で躍動した廖乙忠、高宇杰、岳東華の3選手は、2軍で天塩にかけて育ててきた選手だ。シーズン中に1軍に昇格するやめきめきと力をつけて活躍し、それが認められて台湾代表選手にまで選ばれた。
こんな指導者冥利に尽きることはないと、目尻を下げる。
■投手に責任感をもたせる
2軍監督2年目にしてなぜここまでできたのか。それは徹底した練習と、データに基づく起用にあった。
まず「去年、基礎がある程度できてきた。多少のきつい練習をやらせても体力面もついてきて、技術面も上がって、シーズンに入りやすかった」と話す。
「試合は週に3試合。試合のない日は夜間練習までやる。練習して自分の限界を知っていかないと、どのくらい伸びるかわからないから」と、とことん鍛え抜いた。
投手のやりくりは大変だった。少しでも状態がよくなるとすぐに1軍からお呼びがかかり、調子を落とした投手が2軍に落ちてくる。だから「(2軍では)五回まで放れる投手が少ない」と苦労した。
しかしいい選手を1軍に供給するのが2軍の役割でもある。いつでも昇格させられるよう、できる限り準備を整えた。
投手個々には、与えられた仕事に対して責任をもって投げるように指導した。そして「自分に何が足りないのか、何を認めてほしいのか、そういうのを感じて考えながらやっていかないと1軍は見えてこない」と、こんこんと説いた。
試合前夜のミーティングも徹底的にやった。「対戦相手の特徴も自分でノートにつけていかないと。バッターの得意なところや苦手なところとか、対自分はどうだとか、わかっておくように勉強をさせた。それが1軍にいったときにもプラスになるから」。
その甲斐あって、それぞれの意識が高まり、責任感をもって投げていることが感じられるようになったという。
■守備は基本を徹底
守備においても基本から徹底させた。
「捕るとき、内野手なんかケツが高くなるんで、そりゃエラーしやすいでしょ。台湾のグラウンドはそんなによくないし、イレギュラーもする。なのに、簡単にメジャーみたいに…そんなので捕れないでしょ(笑)。で、それがヒットになっちゃうんだから、ピッチャーはたまらんでしょ」。
人工芝なら横にパッとグラブを出せば捕れる打球も、台湾の、ましてや2軍のグラウンドではそういうわけにはいかない。捕れないだけでなく、それがピッチャーの成績に関わることになるから、林監督としては我慢ならないのだ。
「止めて前に落として投げたらアウトにできる可能性もある。止めてもボールが掴めなかったら、その野手のエラーになる。そういう責任ももたないとアカンよということ。せめて止めろと」。
そんな“数字に顕われないミス”にも言及し、意識を変えていった。それが徐々に守備範囲を広げていくことにも繋がった。
■データを重用
試合では打順作成や代打起用、作戦などはもちろんのこと、投手交代もすべてコーチに任せず自身が行う。その際、重要視したのが「データ」だ。
日本球界では当たり前に用いられている対戦データや選手個々のデータ。台湾球界でも今でこそ1軍では駆使されているが、林監督が現役のころはそこまで重視されておらず、ましてや2軍となるとまったくといっていいほどなかったという。
それを「1軍にいったときにもこういうことが必要だ」と、2軍でも取り入れた。
たとえば相手の代打に左打者が出てきたとしよう。セオリーならこちらは左投手にスイッチだ。ところが左投手を苦にしないというデータがあれば、右投手を出すことで抑える確率は上がる。
「日本でのデータはすごかった。台湾では相手はたった3球団なんだから」。
日本球界でプレーしているときは交流戦を含めると11球団を相手にしていた。状況別、カウント別など内容も詳細だ。
その膨大なデータをスコアラーからもらい、自身でもノートにつけ、対策を講じていた。
「何もせずに打席に立って、『何を放るやろ』ではなかなか打てない。データがあると狙い球が絞りやすくなって、確率を上げることができる」。
技術だけではなく、そういった経験に基づいた知恵を選手たちに授け、日々成長を促している。台湾球界に変革をもたらしているといっても過言ではない。
そんな林監督がシーズン後、ある大きな収穫を得た。
自国で開催されたウィンターリーグにおいて、台湾プロ代表の監督に就任したのだ。
次回はそこで得たこと、林監督自身の将来への展望を届ける。