夏の風物詩だけではない、「長岡花火」が泣ける理由(わけ)とは?
2024年8月1日22時30分。
今夜も長岡の夜空に、
慰霊と鎮魂の花火「白菊」が3発打ちあがった。
私は、そっと手を合わせた。
2024年8月1日22時30分。今夜も長岡の夜空に、慰霊と鎮魂の花火「白菊」3発が打ちあがった。(写真・筆者)
長岡花火は、夏の風物詩としての花火ではない。
昭和20年8月1日22時30分、B29大型爆撃機が来襲。市街地を爆撃し、旧市街地の8割が焼け野原となり、1,488名もの尊い命が失れた。
その1年後の昭和21年8月1日に「長岡復興祭」が開催された。これが「長岡まつり」の前身である。
だから毎年、8月1日の22時半には、慰霊と鎮魂の花火「白菊」が打ちあがるのだ。
そして8月2日と3日の両日に開催される長岡大花火大会は、長岡市民にとっては万感の思いであり、市外からの観覧者も泣かずにはすまないだろう。
私は、新潟県長岡市で生まれ育った。好きが高じて、長岡花火の礎を築いた花火師・嘉瀬誠次の評伝『白菊-shiragiku-: 伝説の花火師・嘉瀬誠次が捧げた鎮魂の花』という本を書いた。
嘉瀬誠次さんが花火を評した言葉がある。
「花火てのはな、みんなぽかんと口を開けて無になれるだろう。それがいいんだ」
温泉エッセイストとして25年以上、温泉の魅力を伝えてきた私は、温泉と花火がもたらすものは同じではないかと考える。
温泉も、ぽかんと口を開けて、頭を空っぽにできる。無垢になれる。
嘉瀬さんへの取材中、大作「長岡花火」の貼り絵でも知られる天才画家・山下清とのエピソードも聞いた。
山下清が花火の打ち上げ現場に現れると、
嘉瀬さんは「危険だからおっぱらった」と言う。
曇りのない澄んだ眼差しで、嘘のない表現をし続けた山下清。
実は、山下清は花火と同様、温泉を好んだ。
随筆集『日本ぶらりぶらり』を読めば、温泉も好きだったことがわかる。
「ぼくは三十になるまで温泉というものを知りませんでしたが、知ったら大変すきになってどこへいっても入ります」
当時、温泉といえば混浴風呂が日常の風景だったが、そうした混浴体験は山下清に影響を及ぼした。
「女のお尻のよくみえるのも温泉ですが、ぼくの絵はこのごろやっと色気がでてきたといわれますが、それは日本中の温泉で女の人の乳やお尻をたくさんみたからでしょうか」
温泉で画力が磨かれたのか――。
そのエピソードは『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』をご覧頂きたい。