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今週末、どこ行く? 岡本太郎のための考案した「大名焼」は、”ちょんまげ・かみしも姿”で猪をいただく

山崎まゆみ観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)
「大名焼」は ”ちょんまげ・かみしも姿”でいただく(撮影・筆者友人)

岡本太郎は昭和四十五(一九七〇)年に開催された大阪万博の「太陽の塔」の制作で広く知られているが、「芸術は爆発だ!」という名言どおりのエキセントリックなキャラクターで も有名だ。

そんな岡本太郎を「さか屋」に連れてきたのは、岡本太郎の父・岡本一平 の弟子だった俳画家の森山三郎だった。 当時のさか屋の主・城所眞一は絵画 や芸術を好み、旧制中学の同級生だった森山を「さか屋」に長く滞在させては、絵を描かせていた。そんな森山が、昭和二十九(一九五 四)年に三島市で開催された講演会に 出席した岡本太郎を「さか屋」に連れてきた。芸術家のパトロンになるくらいの眞一だから、岡本太郎の訪問はさぞかし心弾ん だのだろう。

フランスで暮らしていた時期が長い岡本太郎は、「フランスで食べたようなジビエが食べたい」と言い出した。

当時は戦後すぐで、そもそも肉料理は珍しく、すべて鍋で提供していた。

たまたまこの日は天候が良く、太郎が「気持ちがいいから、庭で何か食べさせてくれ」 と言い出した。

眞一は、庭のあずまやで猪 しし 肉にく と天城野菜としいたけを炭火で焼くことにした。 焼きあがったところで、すぐ横でなっていた夏みかんを絞ってかけたら、太郎は「おしゃれな味だね~」と、たいそうご満悦。

「お客様にも出そう」という話になり、岡本太郎はこう言った。

「『さか屋』は大名に縁のある宿なんだから、料理名を『大名焼』にしたらどうか」と。

後日、太郎を喜ばせようと眞一が考案したのが、「大名焼」を食べる時の衣装としての 大名の恰好。ちょんまげとかみしもを用意すると、太郎ものってきて、かみしもと前掛け に入れる「大名焼」の文字を書いてくれた。そしてそれをロゴにした。 ただこの大名スタイルは、実用的でもある。ジビエを焼くと、浴衣に臭いがついてしま うので、浴衣の上からかみしもを着ければ多少は防げる。理にかなっているのだ。

現在もお客に愛される「大名焼」は、鉄板の横に、三センチ×四センチにカットされた 猪肉と豚肉、天城で採れたキャベツ、玉ねぎ、人参、茄子が皿に並べられる。 鉄板の上に野菜をこんもりと盛る。その上に分厚い猪肉と豚肉を乗せていく。まるで野 菜と肉のタワーのように盛り付けてから、火をつけて一〇分程。

「じゅう~、じゅう~」と肉の脂が鉄板にしたたり落ちる音と、野性味ある匂いが部屋に充満する。

岡本太郎のための考案した「大名焼」 (撮影・筆者)
岡本太郎のための考案した「大名焼」 (撮影・筆者)

くぅ~、空腹が抑えられなくなる。

しゃきっとしている野菜が肉汁に馴染み、くたっとしてくると、食べ頃だ。

猪肉はじっくり蒸されたことで柔らかく仕上がり、食べやすい。野性味を残しているか ら、食べたその瞬間から血が沸くようだ。火が通り、肉の脂でしんなりとした野菜がまた 美味しいこと。爽やかな風味の「さか屋」オリジナルのポン酢にくぐらせると、さらにう ま味が増す。

岡本太郎もたいそう気に入ったのだろう、幾度となく「さか屋」に通っては、「大名 焼」と赤ワインを愉しんだ。 ちなみに「太陽の塔」制作の打ち上げも「さか屋」で行われたというから、岡本太郎の 「さか屋」への愛着の深さがわかる。

※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。

観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)

新潟県長岡市生まれ。世界33か国の温泉を訪ね、日本の温泉文化の魅力を国内外に伝えている。NHKラジオ深夜便(毎月第4水曜)に出演中。国や地方自治体の観光政策会議に多数参画。VISIT JAPAN大使(観光庁任命)としてインバウンドを推進。「高齢者や身体の不自由な人にこそ温泉」を提唱しバリアフリー温泉を積極的に取材・紹介。『行ってみようよ!親孝行温泉』(昭文社)『女将は見た 温泉旅館の表と裏』(文春文庫)『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』(潮出版社)温泉にまつわる「食」エッセイ『温泉ごはん 旅はおいしい!』の続刊『ひとり温泉 おいしいごはん』(河出文庫)が2024年9月に発売

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