【京都市西京区】幻のかつら飴を求めて桂の里を歩く 京の街で鮎と飴を振り売りした桂女のルーツは女系一族
濃紺地に楓葉を絞りぬき、胴あきの部分に浅葱水玉、肩と裾とに文様をあしらう、辻が花の小袖姿。頭には、桂包みといわれる白布が、巻貝のようにぐるぐる巻いて締めてある。ふっくらと少し余裕があって、裾回しも短めの桂女装束。
「やれ、おもしろや、えん、京には車、やれ、淀に舟。えん、桂の里の鵜飼舟よ。」と唄いながら、いつの頃からか京の都では、西岡・桂の里より出でて、竹の桶に入れた若鮎の酢(燻製)と、名物として名高い桂飴とを振り売りする桂女たちが出没したといわれます。そんな桂女たちのルーツを訪ねて桂川周辺を、2024年7月16日に散策してみました。
桂飴は、古墳時代に神功皇后が後の応神天皇を出産した際に、侍女の桂姫に飴を作らせ、母乳の代わりに飴を舐めさせて子育てをし、その後、桂の里に移り住んだ桂姫が、桂川のほとりであめの製法を伝えたと伝承されています。近世に桂女が都に持参したことで、桂飴は桂の名物として知られるようになりました。
この飴の製法が受け継がれ、桂離宮のそばに住した初代飴屋理兵衛が江戸時代前期の明暦2(1656)年に「桂飴本家養老亭」を創業して、古来の製法をそのままに「かつら飴」を作り、桂御所(現在の桂離宮)の御用御飴所となり代々宮家にも献上されていました。10数年前に1度だけ食べたことがあるのですが、麦芽水飴と三温糖のみで煮詰めて固められたほんのりとした甘みのやさしい味わいを覚えています。
今回、その味を求めて「桂飴本家養老亭」に行ってみましたが、店もなく電話も通じませんでした。近くの老舗和菓子店「中村軒」で伺うと、残念ながら2013年(平成25年)に閉店されたということでした。残念!
かつて、桂川では鵜飼が盛んであったといいます。京の町に、桂川をこえて鮎や飴を売りに行く桂女は、平安時代より、朝廷に鮎を献ずる供御人(くごにん)でもありました。鵜飼に携わり、特権を有して水上交通の利権を持っていたといわれています。戦国時代には戦勝祈願を行うシャーマンの役割も果たしていたとの説もあります。
柳田国男の「鵜飼と桂女」には「十軒の桂女が、東京奠都のときまで続いていた」と記されています。桂女たちの聖地でもある松尾大社の摂社月読神社は、境内に神功皇后ゆかりの安産信仰発祥の石「月延石」を奉祀することから、今日まで広く「安産守護のお社」として崇められています。
桂川周辺に古くから住む、女系相続を明治期まで続けた巫女であり、産婆でもあった桂女の一族。そのルーツは桂姫だったのかも知れません。
月読神社 京都市西京区松室山添町15 075-394-6263