伝説バンドの記録をファンが集成。『映画:フィッシュマンズ』は、音楽に「いかれちまった」奴らの青春譜だ
傑出したドキュメンタリーが描き出す、「90年代を駆け抜けた」(じつは)傑出していたバンドの足跡
フィッシュマンズという日本のバンドがいた。いや、いまも「いる」。大きくとらえると、ロック・バンドの範疇に入る。レゲエを音楽的なバックボーンとしつつ、くっきりとした日本語で「東京にしか生まれ得ない」ポップ・ソングを開発した。聴き手を夢幻の境地へと誘う音楽性の高さも評価されているが、なによりも「ぐっとくる」「親しみやすい」いい歌の数々を生み出した存在として、ミュージシャンを多く含む後進世代からも、深く愛されている。国際的な名声も高まる一方だ。
そんな彼らは91年にメジャー・デビューし、99年にいったん活動を停止したものの、いまもってなお活動を存続させていて、静かに、しかし着実に、熱い支持を集め続けている。おそろしいことに、人気は年々高まっている、と言ってもいい。つまり、洋楽の世界などでは時折ある「伝説の」バンド――たとえば、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのような――そんな存在の日本版となった趣でもある彼らのキャリアを集成した記録映画が完成した。7月9日(金)より、全国で順次公開中だ。
これほどの才能が「不遇」だった
というフィッシュマンズは、じつはかなり長きにわたって「不遇」のなかにいた。メジャー・デビューは91年だったのだが、すぐに「売れた」わけではなかった。いや、その後もあまり「売れる」ことはなかった、かもしれない。しかし、自分たちの「やるべきこと」を見失わず、目標へと、音楽的高みへと挑み続けていた。87年の結成時から一貫してドラムスを担当し続ける「リーダー」茂木欣一は、日刊ゲンダイの取材に、こんなふうに発言している。「正直、90年代はここまで聞かれてなかったと思います」
ゆえに本作は、歴史の闇に消えていったかもしれない「遅咲きのバンド」が、大事に大事に温め続けていた「信じるべき音楽」とはなんだったのか、当時の映像や関係者の証言をもとに探索していく、という性格をも有している。つまりバンドの歴史をただたんに総括しただけの平板なドキュメンタリーではない、ということだ。
大長尺にクラファン、「常識破り」の映画だからこその「フィッシュマンズらしさ」
本作についてまず驚くべきは、その「尺の長さ」。なんと3時間近い172分。年々長尺化が進む娯楽映画の範疇ならいざ知らず「音楽もの」のドキュメンタリーとしては、国際的にも稀な例ではないか。しかも(少なくとも僕は)長さを一切感じなかったどころか「この倍はあってもいい」とまで思えるぐらいの「ダレ場のない」内容なのだ。つまりそれほどまでに「焦点が合った」視線によってつらぬかれた論旨が、全編にわたって完徹されている。ゆえに本作は、BBCあたりの特別番組みたいな、観終わったあとにずっしりとした重みを残す、第一級の記録映画としての品格を得るまでにいたっている、と言える。
次なる驚きは、これほどの大作が「クラウドファンディングによって製作された」ということ。フィッシュマンズの初期からのファンだったプロデューサー、坂井利帆が発起人となり、インターネットなどを通じて呼びかけたところ、当初目標の1,000万円をはるかに超えた、1,800万円超の資金が、1,157名の人々から投じられたという。
これはちょっと、なかなか「ある話」ではない。少なくとも僕は、「日本のバンドで」こんな例を聞いたことはない。しかしそれがまた「フィッシュマンズらしいなあ」と思わざるを得ないのだ。なぜならば、フィッシュマンズとは「変な」バンドだったからだ。日本においては(どう変だったのかは、後述する)。
映画を観て、泣いてしまう人も、きっといるだろう。99年、バンドの活動がいったん停止したのは、フロントマンの佐藤伸治の急逝のせいだった。ヴォーカリストにして、ほとんどの楽曲の詞も曲も手がけた彼は、まさしくバンドの「看板」だった。ゆえに本作のなかには、故人となってひさしい彼の笑顔や、ときに苛立ちや苦悶の表情まで、豊富に収録されている。これらに感傷的になることは、避けようがない。しかしそれは、悪いことではない。怖がることはない。その涙は、心の糧となり、生涯あなたを支え続けるものともなり得るのだから。
神格化するのではなく、真実をこそ追って
また本作は「よくある」ロック・ドキュメンタリーの罠には、陥っていない。たとえば「物故したアーティスト」をあたかも神格化し、崇拝の対象にするような姿勢を僕は指している。「佐藤はこのとき、決定的な××××を体験したために、一気に作風が変わり神がかった才能を(以下略)」といったような言説だ(よくある)。
そのような妄想めいた物言いは、本作のなかにはとくにない。あるはずもない。なぜならば、当たり前だが、バンドとは「人と人とが、力を合わせて」やるものだからだ。いかに才能あふれるフロントマンがいようが、しかしそれがバンドならば、個人が集まって「共通する目的のために」協力しあう、ものにほかならない。つまり「チーム」となるわけだ。ここをこそ、本作は描き出そうとする。新旧のフッテージによって、浮かび上がらせようとする。
まず「旧」のほうでは、演奏シーンなど、ライヴのフッテージはもちろん、TV番組などの出演シーン、オフショットそのほか「これまで、フィッシュマンズの映像商品には一度も収録されていない」映像をも多数収録。「新」のほう、つまり本作のための撮り下ろしパートとしては、メンバー、元メンバーやサポート・ミュージシャン、関係者たちへの綿密なインタヴューもある。
これらを重奏的に組み合わせていくことによって、人と人との、かかわりあいの妙が浮上してくる。その「妙」によって、「芸術」が地上におろされてくる様子の裏っかわを、我々は垣間見ることになる。僕やあなたと寸分変わらない(だから、神がかりなんかじゃない)「ただの人」たちが、お互いに約束し合った「目的」のために協力し合う様の美しさと尊さを、追体験することになる。
つまり崇高というならば、この「誓い」および「実行」のときに、各人が見つめている先にある一点こそが、光り輝いているものの正体なのだ。だからその「星」は、聴き手である者でも、きちんと願いさえすれば、もちろん容易に見てみることができる。これが音楽を、芸術を通してコミュニケーションするという行為の根本であって、古今東西、例外は一切ない。
かくいう僕も、手嶋悠貴監督からインタヴューを受けた。3日に分けて、計9時間ほどはカメラの前で喋った(だから色直しをしたわけでもないのに、映画内で洋服が変わっている)。なぜならば、僕はフィッシュマンズを、デビューのほんのすこし前から、継続して観察し続けていた者だからだ。最初は、たまたま。それから仕事になって、幾度も佐藤伸治にインタヴューをおこなった。ライヴも数えきれないほど観た。
不遇の証明としての「ビーチ・クルージング」だった
自らが発行するインディー雑誌『米国音楽』にて、3人組となったばかりのフィッシュマンズを千葉県は九十九里浜まで連れ出して、フォト・セッションをおこなったこともある。彼らの傑作5thアルバム『空中キャンプ』(96年)を聴いて、どこがどうなったのか、大規模な撮影行を僕は思いついた(撮影者は、茂木綾子さんだった)。そのときに撮った写真群が、映画のなかでも(ティーザー・トレーラーでも)印象的に使用されている――のだが「なぜそうなったのか」というと、なにも僕のセンスがよかったり、編集者としての手腕があったから、というわけではまったくない。
なんと彼らは「レコード会社やマネジメント事務所が、ジャケット写真やアーティスト写真用に撮影をするとき以外」に、しっかりしたフォト・セッションを「ほとんど一度もおこなったことがなかった」からだ。つまり「これしかなかった」。僕が企画したもの以外では、たとえば彼らの「ふだん海で遊んでいるときみたいな、自然な表情」を撮ろうとしたメディアもジャーナリストも「当時、一切いなかった」ということを、この事実は意味する。
これもまた、フィッシュマンズが「不遇だった」ことの証拠だろう。ここもじつに「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドっぽい」ところなのだが……メジャー・デビューしたものの、なにをやってもまったく売れず、前述の『空中キャンプ』以降、ようやく「ミュージシャンズ・ミュージシャン」としての地位を彼らは獲得する。圧倒的な、国内には「敵なし」と思えるほどのライヴ・パフォーマンス能力を鍛え上げた、その成果ゆえだった。そして「ワン・トラック・アルバム」と自称する、35分超の『ロング・シーズン』(こちらも96年)発表後、突然にして音楽評論家などが雪崩を打っては「フィッシュマンズ誉め」を始める――のだが、運命の99年がやって来てしまう……というのが、大雑把に振り返った90年代の彼らの足取りだ。
言い換えると「初期の彼らを無視していた」「いかにバンドが努力を重ねようが、その前を素通りしていた」音楽業界人がきわめて多かった、という事実がまずあった。それは不当なことだと僕はずっと感じていた。なぜならば、デビュー作である『チャピー・ドント・クライ』(91年)から、いつもいつも、一貫して名曲を生み出していたバンドが彼らだったからだ。ゆえに初期のレパートリーからも、ずっとそのまま、99年にいたるまで(もちろんその後にいたってもなお)ステージで演奏され続けている曲は、数多い。
つまり「最初はダメダメだったが」「なにか特殊な出来事(雷に打たれるとか?)があって」「覚醒して」――全然別種の「イケてるバンドになった」わけではない、ということだ(スパイダーマンじゃあるまいし、そんなことあるわけがない)。それは「かつては通り過ぎていた」輩などが、自らの聞く耳のなさを自己批判したくないがために編み出したファンタジー、もしくはカルト教団の教義にほかならない。
「紆余曲折」しつつも「目指すところはひとつ」
現実とは、そんなふうには動かない。たぶん業界的には「イケてなかった」フィッシュマンズだけれども、しかしいつでも「日々の努力」はおこたらなかった。そんな様子を、影に日向に(おおらかな気持ちを大切にしつつ)愛をもって見つめていた、ファンや支持者たちがいた。ゆえにバンドは、幾度も危地に追いやられながらも、そのたびに、辛くも生き延びることになる。つまり「一筋縄ではいかない」変てこな軌跡でもって歩いていくことになる……のだが、ここにこそ、まさに本作の眼目のひとつがある。
「奴らを追うんだ!」という、鬼刑事みたいな号令が、あったのかどうか。紆余曲折あったバンドの軌跡にぴったりと張り付いてストーリーを編んでいくことを、製作者たちはまずもって完徹しようとする。本作は、そんな映画となっているのだ。
これは監督のユニークな方針ゆえなのだと思うのだが、おそらく「焦点」はまず、クラウドファンディングで出資してくれた人にこそ「これだ!」と納得してもらえるものを作る、ということだったのだと僕は読む。オールド・ファンはもちろん、99年以降に生まれた人(のフィッシュマンズ・ファンも、今日少なくない)も含む、とにもかくにも「熱心なファン」に、あたかも正面から対決を挑むかのようにして、「ここまでやりました! どうですか?!」と迫りまくるような……律儀にして幅狭く、とにもかくにも「バンドの真実」に肉薄しようとする姿勢が、この一作のトーンを決定づけていると言っていい。
あなたも僕も「いかれて」いるのだから
ここで彼らの名曲「いかれたbaby」(93年)調に言ってみると、天上にしかないような素晴らしいものの象徴としての「音楽」にやられちゃって、「いかれちゃった」若者たちの足跡を追う映画作りとは、すなわち、やはり音楽に「いかれちゃっている」製作陣のインナー・トリップでもあった、ということなのかもしれない。僕はそんな想像をする。
なぜならば僕も、本を書くことによって「旅をした」からだ。『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』(イースト・プレス)と題したその一冊は、2011年に上梓した旧版評伝に増補改訂を加えた決定版となるものだ。フィッシュマンズの足取りを時系列で追い、僕が手がけた全インタヴューを収録、そして90年代の音楽シーン全体をも素描し、その中央に彼らを置いて、広い視野からの批評も試みている。
だからたぶん、僕も「いかれて」いる。そしてあなたが、音楽に、なかでもフィッシュマンズという稀有なバンドに「いかれて」いるのなら、『映画:フィッシュマンズ』を見逃すという手はない。なんとあのZAK、フィッシュマンズの最強期を「ミックス・マスター」として支えた(というか、出音のすべてを支配した)あの彼が楽曲部分の音像調整をおこなっているのだから(ゆえに菊地成孔さんも「映画館でこれほど音の良い作品は存在しなかったと思う」と絶賛している)。全体の「整音」作業は黄永昌が担当、「フィッシュマンズがいるべき空間」のサウンドスケープをクリエイトしている。
そして僕は痛感せざるを得ない。「フィッシュマンズとは、なんと恵まれたバンドなのか」と。たしかに、いろいろあった。しかし結成30年経って、大人となったファンが「協力し合って」これほどまでの映画を作り上げるなんて、美談としか言いようがないじゃないか。バンド冥利につきるんじゃないか?――などと想像をめぐらせながら、彼らの幸運と、それを目の当たりにしている自分たちの幸福を噛み締めるには、たしかに172分は、短すぎるのかもしれない。『ロング・シーズン』が、決して長くなかったのと同様に。