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【なぜ、学校はそこまで髪型に執着するのか】理解しにくい校則、指導がまかり通る背景を切る

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
(提供:イメージマート)

姫路市の県立高校の卒業式で、男子生徒が髪の毛を編み込んだ「コーンロウ」と呼ばれる髪型にして登校したところ、学校側は校則違反だとして、ほかの生徒と隔離していたことなどが分かり、ここ数日、問題視されている(毎日新聞3/28NHKニュース3/28など)。本件にかぎらず、理不尽と思える校則や「指導」のあり方はこれまでも度々問題視されてきた。1月にも、広島市で雪の降る寒い日にジャンパーの着用を認めない公立中学校の「指導」があり、批判を浴びた(NHKニュース2/8)。

なぜ、こういうことが起きるのか。学校は、なぜ、いつまでも変わらないのか。変われないのか。ここでは、学校の対応をたんに糾弾するのではなく、背景について考えたうえで、今後の対応策などについて提案したい。

※もっとも、個々に事情や経緯はある。本稿では、個別事案についてのコメントではなく、多くの公立中高に言えそうな部分を取り出す。

■なぜ、学校はそこまで髪型にこだわるのか?

県教委の記者会見によると、本件(姫路市の県立高校)では、当該生徒について、卒業式の会場でほかの生徒と別のフロアから参加することや、名前を呼ばれても返事をしないことを学校側は求めたという。

この対応について、報道やSNSでは「卒業式でのTPOはある」と一部学校側の対応に理解を示す見解もある一方、「差別、人権侵害だ」「多様性を認めないのはおかしい」「学校(教員)は思考停止している」などと厳しい批判が多数寄せられている。

写真:イメージマート

どうして、こうした校則や生徒「指導」がまかり通ってしまうのだろうか。なぜ、髪型にこれほど学校は執着するのだろうか。

(※)本来「指導」と呼べるものではないという思いで括弧書きにしている。

本件にどのような理由があったかは分からないが、髪型に関する校則の厳しい公立の中高でよく聞くのは「入試や就職活動のときに不利になってはいけない」という理由だ。ある公立中学校の入学説明会(小6の保護者向け)では「高校入試の面接のときに問題のない髪型にしましょう」という説明がなされていた。

だが、ちょっとよく考えてみると、こうした言い分、理由にはギモンが多い。

第一に、本当に進学や就職に不利になるのだろうか?「髪型など関係ない。ましてや髪の毛を編み込んでいたり、ツーブロックにしたりする程度は気にしない。」という大学・高校や企業等も多いのではないだろうか。

それに、外見や見た目でマイナス評価しているのであれば、それは進学希望先や企業等が不当な差別をしている可能性がある話で、生徒の側に非はないはずだ。もっとも、現実問題として、入試や採用を「外見で決めた」などとはだれも言わないから、先方の問題を立証することは困難だろうが。

写真:アフロ

第二に、「入試や就職のときに不利にならないように」という学校側の「指導」ないし配慮は、むしろ、生徒が外見で人を評価すること、差別意識をもつことを助長している可能性がある。「隠れたカリキュラム」と呼ばれることもあるが、暗黙のうちに教育してしまっている。先生たちは教育者を自負するならば、よく考えておきたいことだ。

関連する理由、背景として、保護者や住民など周囲の視線を学校は気にしている。「中学生らしい(高校生らしい)髪型、身だしなみにする」といった校則が多いのは、翻訳すると、周囲から白い目で見られるような恰好はやめましょう、ということだろう。とりわけ高校では定員割れも起こしかねないなかで、周囲の評判を気にしている。派手な髪型だと、保護者や地域からクレームが来ることもある。だが、こうした理由についても、上記2点で述べたことと同じ反論が可能だし、周囲からの反対があったとしても、卒業式で隔離するといった対応を正当化できるとは言い難い。

■「校則をゆるめると、学校が荒れる」は本当か?

学校側が校則にこだわる理由はほかにもある。「こういう髪型はOKで、こういうのはNGと一定の線引きをしないと、どんどん派手になって、収拾がつかなくなる」と述べる教員は多い。とりわけ、数年前まで荒れていた学校では「またあの頃に戻りたくない」という。

ところが、こうした学校側の言い分にも、ギモンがわく。

第一に、校内暴力がたいへんだった1980年代の頃とちがって、生徒の様子はずいぶん変わっている学校、地域も多い。むしろ目に見えやすい問題行動に走るよりは、陰湿ないじめであったり、学校に来なくなったりするケースのほうが増えている、と述べる教育関係者も多い。「校則をゆるめると、荒れる」と呼ばれていることがなにを指しているか、少し立ち止まって捉えなおす必要がありそうだ。

第二に、本当に髪型や服装のせいで荒れるのか?授業に付いていけない(つまらない)、友達関係でギクシャクしている、家庭で揉めているなど、生徒が不安定になる事情は個々にさまざまだろうが、真相に目を向けていくことのほうが大切ではないだろうか。

提供:イメージマート

実際、新型コロナにより3年前に全国一斉休校が続いたことは、ひとつの実験であり、上記のような学校の言い分の反証となった。細かな校則や生徒「指導」で生徒を学校は管理できなくなったが、それで生徒の問題行動が急増したというデータは見当たらない。

■髪型や服装を決めるのは、だれか?

学校側にも、生徒、保護者にも考えてほしいことがある。それは、髪型や服装について、学校がゴチャゴチャ言う必要はあるのだろうか、身だしなみを決めるのは学校なのだろうか、という点である。

校則にこだわる理由その1の入試や就職試験のときに不利になるという言い分について、「妹尾が述べたような正論は理解できるが、実際見た目で不利になる可能性はあるのだから、学校としては指導する」と言う教員は少なくない。

だが、そうだとしても、決めるのは学校なのか。過保護ではないのか。つまり、「社会の側の問題だけれど、そういう髪型だと、面接のときに先入観をもたれたり、よくないイメージをもたれたりすることもあるよ」と学校側は話をして、で、「どうするか、決めるのはあなた(生徒、家庭)です」ということでいいと思う。高3で18歳成人になっているなら、なおさらだが、18歳未満であっても「髪型等は家庭と話し合って決めてください。学校は、他の生徒や学習の妨げになるといった具体的な問題がない限り、介入しません」という立場をとったらよい、と私は考える。

保護者や地域も、生徒の身だしなみで学校にクレームを言うのは、やめていただきたい

教員も、生徒も、保護者も「学校に決めてください」という風潮が強すぎるのではないだろうか。

感染症対策など、共同生活を送るうえで周囲への配慮が必要なことは、各自の判断や自由だけではうまくいかないこともあろう。だが、髪型をどうするかやジャンパーを着てくるかといった程度のことであれば、周りに迷惑をかけることはほとんどない(※)。

(※)配慮が必要なこととの例として、家庭の経済環境はさまざまだから、家計負担が重い髪型や服装については、生徒同士で話し合うなどして、あり方を考えることがあってよいだろう。

学校の教育機関としての役割のひとつは、生徒が自分のアタマで考えて、自分たちで決めていけるようにすることだったはずだ。「学校のルールだから」「決まっているから」「とにかく先生の言うことに従っておきなさい」というのでは、真逆の教育になってしまっている、とさえ言えるかもしれない。

問題は、髪型や服装を決めるのはだれなのか、本当に細かなルールや「指導」は必要なのか、ということを、学校側が生徒、保護者を巻き込んで話し合うことを避けてきたことではないだろうか。

先生たちは忙しい。その状況は私も深刻だと承知しているが、対話や議論が大切なことに、忙しいを言い訳にしてはいけない。部活動の休みなどを多少増やしてでも話し合うことはできるはずだ。明日から新年度。教員も、生徒、保護者も、これまでの学校の理屈や言い分を批判的に考えつつ、どんな状態がより快適なのか、話し合ってみてほしい。

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https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi

教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

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