Yahoo!ニュース

アフリカ・ブームの国際政治経済学 2.「新たな争奪戦」(2)

六辻彰二国際政治学者

インド-もう一方の「古豪」

民間レベルの緊密な関係

インドはアフリカにおいて、独特の存在感をもっている。ポルトガル人がアフリカに来航した15世紀以前から、インド人商人はインド洋を内海とし、東アフリカ沿岸もその経済圏におさまっていた。さらに、19世紀に本格的に植民地化されるなか、英国人はやはり自らの植民地であったインドから商人をアフリカに連れていき、いわば中間層として活用した。その結果、印僑と呼ばれる現地生まれのインド系ビジネスパーソンたちは、多くのアフリカ諸国に根付いたネットワークを背景に、経済的に大きな影響力をもつに至っている

この歴史的背景のもと、2001年に53億ドルであったインドの対アフリカ貿易額は、2011年には630億ドルにまで増加しており、これは同年のインドの対米国貿易額560億ドルを上回る 。このうち、2011年段階でのインド側の輸入は、その70.5パーセントを原油など天然資源が占める

しかし、アフリカからの天然資源の輸入はインドの国内消費を賄うだけのものでなく、その輸出を支えていることも看過できない。インド最大の輸出品目はガソリンなど石油精製品であり、これが2011年のアフリカ向け輸出額の22.2パーセントを占め、最大の輸出品となっている 。また、インドはダイアモンド研磨で世界的に知られており、研磨済みダイアモンドはインド第二の輸出品目だが、南アからの最大の輸入品目はダイアモンド原石である。いわば、インドにとってアフリカは自らの輸出を加速させるうえで欠かせないものになっているのである。

石油精製品以外のインドからの輸出品目には、コメなどの穀物のほか、工業製品があげられる。日本でも有名な自動車のタタ・モーターズ(Tata Motors)や、ジェネリック医薬品で世界的に知名度の高い製薬のシプラ(Cipra)などの低価格帯の工業製品は、アフリカでの需要にマッチしやすいといえる。

これらインドの巨大企業は、貿易だけでなく投資でもアフリカとの関係を加速させている。2012年のインドからの対外直接投資の第1位は、約215億ドルで全体の27パーセントを占めるシンガポールであったが、第2位は約124億ドルで全体の15パーセントを占めるモーリシャスであった(IMF, Coordinated Direct Investment Survey Database)。「アフリカ・ブームの国際政治経済学 1.アフリカ・ブームの現状と背景(2)」で触れたように、モーリシャスはインド系人が多く、さらにいわゆる租税回避地(タックスヘイブン)でもある。そのうえ、インドとの間に二国間租税条約を結んでいるため、インド系企業がモーリシャスを拠点に資金を調達し、アフリカ地域を含む第三国に投資するパターンが定着している。その結果、近年ではインド系企業によるアフリカでの大規模投資も珍しくない。2010年には、インドの通信最大手バーティ・エアテル(Bharti Airtel)がクウェート資本ゼイン(Zain)のアフリカ部門を110億ドルで買収しており、アフリカ16カ国で事業を展開している。

古い結びつきと新しいアプローチ

ただし、人的、経済的な交流が歴史的に深いにもかかわらず、インド政府はアフリカとの関係強化においてやや消極的であった。これは独立性を重視し、いずれの国とも友好関係を深めすぎないというインドの伝統的な外交方針にも由来するが、いずれにせよ「3.中国の衝撃」で後述するように、中国が冷戦期からアフリカ各国と政治的な関係を深めたのと対照的である。

しかし、そのインド政府も、資源や市場といった経済的利益だけでなく、国連などで発言力を強化する必要や、さらには中国とのライバル関係といった背景のもと、2000年代に入ってアフリカへのアプローチを強めている。2002年、インド企業によるアフリカとの通商を活発化させるための「フォーカス・アフリカ・プログラム」の発表は、その狼煙となった。これに基づき、アフリカ各国に輸出を行うインド系企業には、輸出価格の3パーセント程度が、輸入関税クレジットとして政府から給付される。いわば、インド政府が戦略的に関係を強化したい相手国向けに、民間企業が輸出を増やしやすい仕組みといえるだろう。

さらに2008年には、アフリカ各国の首脳を招き、ニューデリーで第1回インド・アフリカ・フォーラムが開催された。2000年に中国・アフリカ協力フォーラムが開催されたのを皮切りに、他の新興国でも同様のフォーラムが相次いで開催されるなか、インド政府はアフリカとの歴史的関係や共通性を前面に打ち出し、友好関係をアピールしている。

マンモハン・シン首相(当時)は、2011年5月にエチオピアで開催された第2回インド・アフリカ・フォーラムの開会スピーチにおいて、3年間で50億ドルの有償援助を行うことを約束するとともに、(アパルトヘイト時代の南アフリカで反人種主義、反植民地主義の意識を強めたことが、インド独立運動に向かわせる転機となった)マハトマ・ガンジーを引き合いに出して、共通の歴史的背景をもつもの同士の、いわゆる「南南協力」を強調した

これにともない、インドによるアフリカ向け援助も活発化している。2012年3月段階で、外国政府などへの貸し付けを行うインド輸出入銀行の貸し付け残高約81億ドルのうち、52.9パーセントはアフリカ向けである。インド輸出入銀行によるアフリカ向け融資は、そのほとんどが0.5~2パーセントという低金利に抑えられた、いわゆる譲許性融資であり、インフラ整備などにおいてはインド産の資材などを75パーセント以上使うことを条件としている。アフリカのなかでも、特に貧困国へはより緩やかな条件が適用される。これらの資金協力の手法は中国と類似しているが、ただしその規模において中国の約4分の1程度にとどまる。

むしろ、インドの特徴は、ICT(情報通信技術)などでの協力にある。その代表例として知られるのが、2007年にアフリカ連合との間で締結したPan African E-Networkプロジェクトである。これは全てのアフリカ諸国をインターネット回線で結び、首脳間のテレビ会議や教育、医療の普及に役立てる試みである。インドの大学、病院などとネットワークで結ぶことで、2014年1月現在、既に450回以上の遠隔治療が行われている。得意分野を活かした開発協力は、進出著しい中国との差別化を図るものといえる。

ブラジル-「ダークホース」の可能性

特定少数の国への集中的アプローチ

17~18世紀、ブラジルはアフリカから連れ出された奴隷の主な輸送先の一つであった。その意味で歴史的な結びつきがあるものの、1822年にポルトガルから独立して以来、ブラジルが積極的にアフリカに関与することはほとんどなかった。しかし、1974年から75年にかけてアンゴラやモザンビークなどポルトガル領アフリカが相次いで独立したことで、ブラジルは段階的にアフリカへの関心を強め、2000年代の「新たな争奪戦」のなかでそのアプローチは急加速している。

「1.アフリカ・ブームの現状と背景(2)」の図1-12、1-13で示したように、ブラジルの対アフリカ貿易額は、中国はもちろんインドにもおよばないが、それでも2000年代の10年間でおよそ6倍増加した。また、ブラジルの貿易額に占めるアフリカの比率は、2000年の3.8パーセントから2010年の5.3パーセントまで上昇している

「新たな争奪戦」のなかでブラジルは、少数の国に集中的にアプローチする点に特徴がある。成長著しい新興国とはいえ、欧米諸国や中国、インドと比較して、アフリカとの歴史的な関係や人的ネットワークでビハインドがあるブラジルにとって、これは必然でもある。いずれにせよ、ブラジルの対アフリカ・アプローチでは、資源に恵まれた南ア、ナイジェリア、北アフリカ諸国、そしてポルトガル語で共通するアンゴラやモザンビークが主な対象となっている

2010年段階でブラジルの対アフリカ輸入の約70パーセントは天然資源であり、これを反映してナイジェリア(32.8パーセント)、南ア(11.4パーセント)、アンゴラ(8.7パーセント)といった大規模資源輸出国の上位10ヵ国が対サハラ以南アフリカ貿易額の57.9パーセントを占めている。約40パーセントを工業製品が占めるブラジルからの輸出も、やはり特定の国に偏る傾向があり、南アなど5ヵ国がサハラ以南アフリカ全体に対する輸出額の51.4パーセントを占める

他方、資源開発のヴァーレ(Vale)やペトロブラス(Petrobras)、建設・土木のオーデブレヒト(Odebrecht)やアンドラーデ・グティエレス(Andrade Gutierrez)といった巨大企業を中心に、ブラジルによる投資も増加している。なかでもヴァーレは、2004年のモザンビークにおける石炭鉱山開発を皮切りに、2010年10月までにアンゴラ、ガボン、南アなどで総額25億ドルを投資している。

これに加えて、ブラジル政府は巨大企業のみでなく、中小企業による対アフリカ投資も推し進めている。2009年には、主な足掛かりであるアンゴラ政府との間で、中小企業による投資に関する取り決めが結ばれ、さらにブラジル輸出庁が2010年4月にサンパウロで開催した商談会には70以上のブラジル企業が参加し、総額約2,500万ドルの契約が成立した。

これらの結果、2001年に690億ドルだったブラジルの対アフリカ直接投資額は2009年に2,140億ドルに急伸したものの、このうちサハラ以南諸国向けは1,240億ドルにとどまる。すなわち、特定少数の国に集中的にアプローチするパターンは、投資においても同様といえる。

「もう一つの大西洋同盟」に向けて

他の新興国と比較して、そのアプローチは必ずしも大規模でないが、しかしブラジルはポルトガル語圏を中心に、着実にアフリカでの地保を固めつつある。2003年から2011年までブラジル大統領の座にあったルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァは、その土台を作ったといってよい。ルーラは大統領第1期の5年間でアフリカを6回訪問した後も頻繁にアフリカへ足を運んでおり、アフリカ各国政府首脳との友好関係が深い。

ルーラ在任中、前述の投資環境の整備だけでなく、ブラジル政府はアフリカ向けの開発協力も増加させた。ブラジル国際開発庁(Brazilian Cooperation Agency)が2011年に拠出した約4億ドルの援助のうち、約半分がアフリカ向けである。ただし、この金額には譲許性融資などの資金援助が含まれていないとみられており、ルーラ在任中にブラジル政府はアフリカ向けの約10億ドルの債務も放棄している

とはいえ、経済関係と同様、開発協力においても、その規模においてブラジルは中国やインドに及ばない。また、対等のパートナーシップを強調する「南南協力」を掲げる点では中国やインドと同様であり、その意味では他の新興国に埋没しやすい。

しかし、ブラジルの開発協力にはアフリカと社会状況の類似した自らの経験を反映させた、独自性のあるものが目立つ。このなかには、ブラジルで盛んなサトウキビを用いたバイオエタノール生産を含む農業支援、ルーラ大統領時代にブラジルで実施された「飢餓ゼロ対策」の導入などの貧困対策、やはりブラジル国内で成果をあげたHIV/AIDS対策のための避妊教育をはじめとする保健衛生支援などが含まれる

これに加えて、民間企業の投資と政府機関の開発協力が密接に連携する点でも、ブラジルは他の新興国と同様だが、人材育成や訓練に力を入れている点に特徴がある 。もともと、ブラジル企業は中国企業と異なって現地人を雇用することが多く、例えばオーデブレヒトはアンゴラで最も多く労働者を雇用している民間企業といわれる。しかし、必要とする技術をもつ人材が確保できない場合、ブラジル企業は政府系の全国工業関係職業訓練機関(SENAI)に現地労働者に対する技術訓練を要請することが珍しくない。2011年、タンザニアのムトワラ市で海底油田の採掘を開始したペトロブラスの要請に基づき、SENAIはタンザニア政府と共同して50名の電気技師を育成するプロジェクトを行っている。これは人材の確保、技術指導、雇用の創出などを同時に実現するアプローチといえる。

このようにアフリカで独自の存在感を示しつつあるブラジルは、一方でアフリカとラテンアメリカを地域レベルで結びつける要の一つでもある。2006年11月にナイジェリアで第1回首脳会合が開催されたアフリカ・南アメリカ・サミットは、その後3年おきに開催されている。これは2005年にナイジェリアのオバサンジョ元大統領がルーラ大統領に提案したブラジル・アフリカ・サミットを原案としたが、最終的に地域レベルでのフォーラムとなったのである。

地域レベルでの経済協力を目指すアプローチは、ヨーロッパと類似している。もちろん市場規模でヨーロッパには及ばないが、それでもラテンアメリカの関税同盟メルコスール(南米南部共同市場)を構成するブラジルを含む6ヵ国だけで、2012年のGDP(時価)は3兆1,849億ドルにのぼる。これは中国の8兆2,271億ドルに届かないものの、インドの1兆8,417億ドルを凌ぐ(World Bank, World Development Indicators Database)。今後、メルコスールが拡大する可能性に鑑みれば、アフリカからみてラテンアメリカの市場としての魅力は小さくない

すなわち、一国レベルでのアプローチに限界があるなか、ブラジルは両地域の連携を橋渡しする立場にある。いわば、米国と西ヨーロッパの伝統的な「大西洋同盟」とは異なる、アフリカとラテンアメリカという「もう一つの大西洋同盟」が生まれるとすれば、その中心に位置することもあって、ブラジルは今後アフリカで大きな存在感をもつと見込まれるのである。

ロシア-「沈黙の大国」

撤退から再上陸へ

新興国と呼ばれる主だった各国のうち、「新たな争奪戦」のなかでアフリカへのアプローチが最も目立たないのがロシアである。

冷戦時代、ソ連はエジプトのアスワン・ハイ・ダム建設などの民生援助だけでなく、エチオピアやアンゴラなど、西側から支援を受けた勢力と敵対する政府への軍事援助などを通じて、米国以上にアフリカへの関与を深めた。1980年代の半ば、約2万5000人のアフリカ人がソ連の大学などで、数千人がソ連軍のもとで教育・訓練を受けていた一方、約20万人がアフリカに派遣されたソ連軍顧問や技術指導者の指導を受けていたといわれる。また、アフリカ20ヵ所に文化センターが設けられ、ソ連との文化交流の拠点となっていた。

しかし、1989年の冷戦終結と1991年のソ連崩壊によってこの関係は一変した。ソ連の地位を引き継いだロシアは、1990年代に市場経済化にともなう自国内部の政治的・経済的混乱に忙殺され、アフリカに振り向ける余力を失った。ソ連軍は冷戦末期から既にアフリカから撤退していたが、文化センターなどもそのほとんどが閉鎖を余儀なくされたのである。

ロシアが再びアフリカに目を向け始めた転機は、1999年12月のウラジミール・プーチン大統領の就任にあった。2000年代半ば以降、ロシアは折からの原油価格の高騰によって急速な経済成長を実現させた一方、チェチェンでの対テロ戦争や、ポーランドなどにおけるNATOのミサイル防衛網の整備、さらにウクライナでの「オレンジ革命」を端緒とするガス輸出制限をめぐって、欧米諸国との関係が悪化の一途をたどり始めた。「新冷戦」とも呼ばれる背景のもと、国際的な支持基盤の拡大を図る必要に迫られたプーチン大統領は、2006年9月に南アなど5ヵ国を歴訪している。

これを契機にロシア政府がアフリカへの関心を再燃させたことは、2007年5月にロシア外務省が発表した「ロシア連邦の対外政策のサーベイ」からもみてとれる。ここでは、アフリカが「いまだに貧困などの問題を抱えている」としたうえで、同時に「政治的・経済的に目覚ましい発展段階にある」と捉え、そのうえでエネルギー分野を中心とする貿易、投資を活発化させる必要と、さらに平和維持活動などを通じた協力を行うことが確認された。

プーチンが先鞭をつけたアフリカへの関心は、その後を受けたメドヴェージェフ大統領にも引き継がれた。2009年4月にナイジェリアなど4ヵ国を歴訪した際の記者会見でメドヴェージェフは「率直に言って、我々は遅すぎた」と述べ、ソ連崩壊後に対アフリカ・アプローチが弱体化し、ロシアが「新たな争奪戦」に出遅れたことを認めながらも、訪問先の各国と合計で29の経済協定を結び、進出の足場を固めた

これに基づき、資源・エネルギー関連の巨大国営企業を中心に、30社以上が2013年までにアフリカ全体で90億ドルを投資している。このなかには、ナイジェリアでのガスプロム(Gazprom)によるパイプライン建設、ガーナでのルクオイル(Lukoil)による油田開発、南アでのレノヴァ(Renova)によるマンガン鉱山の開発などがある。

安全保障を軸とする政府間関係の優先

とはいえ、ロシアによる2000年代後半からのアプローチは、必ずしも大きな成果をあげていない。2012年のロシアの対アフリカ貿易額は輸出が約12億ドル、輸入が約53億ドル、サハラ以南各国とはそれぞれ約9億ドル、約13億ドルで、中国はもちろんインドやブラジルと比較しても少ない水準にとどまっている(IMF, 2013, Direction of Trade Statistics Yearbook 2013)。このうち、輸出がほとんど伸びない背景には、他の新興国と異なり、ロシアにはアフリカで需要の大きい低価格帯の工業製品に競争力がなく、他方で先進国ほど高品質の民生品も乏しいことがあると考えられる。

しかし、そのロシアが抜きんでて競争力をもつ領域に軍用品があり、2011年のその輸出額は130億ドルにのぼるとみられる。軍用品の輸出はロシア企業にとっての利益だけでなく、相手国政府との関係を強化する手段ともなっている。

これに関連して、ロシアは安全保障分野でアフリカ諸国への関与を強めている。2014年1月現在、アフリカで展開している国連による平和維持活動(PKO)ミッションは6つあるが、ロシアはこのうち4つに参加している。この参加率は、例えば五大国でいえば、5つのミッションに参加する中国に次いでおり、先述したアフリカでの軍事協力が伝統的に目立つフランスと同数である。ちなみに、米英の参加するミッションは3つである 。安全保障分野は、ロシアにとっていわば競争力のある領域といえる。

このように、ロシアの対アフリカ・アプローチにはエネルギー分野などでの経済的関心も皆無でないものの、自らが大規模なエネルギー輸出国であることも手伝って、その熱意は西側先進国や他の新興国と比較して、総じて乏しい。むしろロシア政府の関心は、国家間、政府間の関係強化に力点があるといえよう。

2013年2月、プーチン大統領は新たな外交方針をまとめた「ロシア連邦の対外政策のコンセプト」を承認した。このなかでは、2008年の「サーベイ」でみられたアフリカへの言及はほとんど削除されており、「ロシアは政治対話、経済協力、紛争解決への貢献などを通じて、アフリカ諸国と関係を強化する」旨の一文に集約されている 。

シリアをはじめとする中東情勢や、ウクライナなど旧ソ連地域をめぐる西側との対立など、より直接的な課題が山積するなか、2010年代に入ってロシア政府のアフリカへの関心はトーンダウンしている。ただし、対立関係にある欧米だけでなく、微妙なライバル関係にある中国がアフリカで急速にプレゼンスを拡大する様相が、ロシアを刺激する潜在的な要因であることは確かである。アフリカで沈黙する大国が「新たな争奪戦」に本格的に参入するとすれば、これからといえる。

アフリカ・ブームの国際政治経済学 3.中国の衝撃(1)につづく

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

六辻彰二の最近の記事