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新国立競技場の木椅子で思う、経済発展が森林を増やす!説 

田中淳夫森林ジャーナリスト

自民党の東京五輪関連部会が「新国立競技場における木椅子の導入に関する申し入れ」をまとめて遠藤利明五輪担当相に申し入れた、というニュースが流れた。

「肝心の観客が触れる部分に木材が使われなければ、『日本らしさ』という点から画竜点睛を欠く」から木製の椅子にできないかという要望だ。昨年末に決まった新国立競技場のデザインコンセプトが「木と緑のスタジアム」であり、屋根やひさしへの木材活用が目玉でもあるからだろう。

建設費が増えるとか、またデザインの変更かよ、とか思うところもあるが、より驚いたのは反対意見の中に

「木材を得るため日本の山林を伐採したり外国から輸入したら環境破壊も甚だしく、木材を大量に消費することがオリンピックの精神に合致しているとは思えない」

という声が出たことだ。

根本的に間違っている。まずオリンピック・パラリンピック施設に木質を多用することは、むしろオリンピック精神に合致している。前回のロンドン大会の施設でも、多くの木造施設がつくられた。木材を使うことが環境破壊だという考え方自体が20年ぐらい遅れているのではないか。

日本の森林は、その蓄積を「有史以来最高レベル」と言われるほどに増やしているし、とくに人工林は伐らない(使わない)ことで荒れていると指摘されるほどだ。だいたい観客席を木造にして使われる木材の量など、たかがしれている。

海外でも、ヨーロッパなどでは森林は面積を増加させて木材生産量も増えているのだが、あまり知られていないようだ。森林減少が問題となっているのは発展途上国が中心だが、オリンピックで使われるのは(環境基準を守って森林経営されていることを第三者によって審査された)森林認証を取得した木材という前提である。

この手の誤解は、まだまだ多い。そこで思い出したのが、「森林資源に関するU字型仮説」だ。研究者の間で唱えられている森林面積の増減と経済成長を説明する論だ。

これを簡単に言えば「横軸に経済発展(一人当たりの収入など)と森林資源量(一人当たりの森林面積など)をグラフにすると、歴史の流れにつれてU字型が描かれる」というものだ。

一般には経済が発展すると木材需要が増え、森林破壊を進めると感じる人が多い。しかし近世以降は、経済発展が森林資源を保全してきたと指摘されるのだ。その典型が日本である。さらにヨーロッパも森林面積が回復基調にある。韓国、中国も近年森林面積を急増させてきた。天然林の多い北アメリカも横ばいだ。

なぜなら経済が発展して政情が安定した国は、国民の生活レベルが向上する。すると政府も野放図な伐採を取り締まり、長期的で計画的な森林造成を実行できるからだ。国民にも教育が行き届いて環境意識が広く身につけるようになる。結果として、森林の面積や蓄積を回復させる、というわけだ。

逆にアフリカや中南米、東南アジアなど発展途上国で今も森林の減少が止まらないのは、政情が不安定で長期的な森林保全政策が取られないことと、教育の問題が大きいことが想像できる。

もちろん仮説であり、完全に立証されたわけではない。しかし平和と教育こそが森林も豊かにするという見立ては、大きく外れてはいないように思う。

話を新国立競技場にもどすと、私が感じたのは、椅子のような家具は通常広葉樹材を使用することが多いが、日本に十分な量があるか疑問だ。かといって外国産の広葉樹材を使うのでは趣旨に反するだろうから、スギやヒノキで椅子をつくることになる。

針葉樹材でも椅子をつくることは可能だが、針葉樹材は柔らかく強度に難点がある。それに観客席という条件を考えると、金属と組み合わせることになり、木材を使用するのは座面くらいではないか。しかも野外に設置するのなら、防腐剤や合成樹脂をたっぷり注入したり塗布するだろうから、観客はあまり木肌の感触を感じられないだろうな、ということである。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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