Yahoo!ニュース

WBCバンタム級チャンプと12連続KO勝ちのレフトフッカー

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
Photo 山口裕朗

 衝撃のKO劇から8日後、WBCバンタム級チャンピオン、中谷潤人は休暇最後の日に葛飾区青戸を訪れた。自身の前座でWBOフライ級王座に就いたアンソニー・オラスクアガを空港に送った後、京成線青砥駅付近まで車を走らせたのだ。

Photo 山口裕朗
Photo 山口裕朗

 元OPBF東洋太平洋、日本ウエルター級、同スーパーウエルター級王者の吉野弘幸が武藤商事ビルの2階でH's STYLE BOXING GYM (エイチズ スタイル ボクシングジム)を営んでおり、中谷は吉野を訪ねた。中谷の父、澄人が吉野の人柄に惹かれ「お前の人生にとって絶対にプラスになる」と、邂逅の機会を設けたのである。

 H's STYLE BOXING GYMの会員たちも、旬のチャンピオンと実際に逢えるとあって、その日を心待ちにしていた。

Photo 山口裕朗
Photo 山口裕朗

 しばしの歓談の後、吉野は言った。

 「俺も2週間、LAキャンプを行ったことがある。こんなにやるのか、っていうほど毎日スパーリングだった。本場はそうやって篩いに掛けるんだね。生き残った者だけが上にいける。毎日スパーリングをしていたら、並の選手じゃ壊れてしまうよ。

 もちろん、潤人選手には持って生まれたものがある。まずは、頑丈に生んでくれたご両親に感謝しなきゃ。15歳で覚悟を決め、単身でアメリカに乗り込んだハートには脱帽。その思いに応え、送り出した親御さんがやっぱり凄いね。」

 WBCウエルター級7位まで上りながら、147パウンド(66.67kg)では世界タイトル戦のチャンスに恵まれなかった吉野に対し、中谷は終始笑顔を向けていた。

Photo 山口裕朗
Photo 山口裕朗

 吉野もまた、15歳にしてボクシングで食っていくと決めた男だった。小学6年の時、心臓を患っていた父親が他界。その後、彼と弟を養っていた母親が、心無い人間の連帯保証人となったことから、苦しい日々を送る。当初、バイクを買って高校生活をエンジョイしようと考えていた吉野だが、中学卒業と同時にその夢は断たれ、働きながらチャンピオンを目指した。

 デビューから2連敗した彼を支えたものとは「これで終われない」「終わってたまるか!」という反骨心だった。

 中谷澄人はそんな元OPBFウエルター級王者のバックグラウンドを聞き、二人の息子、愛妻、そして自分自身も吉野弘幸に触れることを望んだ。

Photo 山口裕朗
Photo 山口裕朗

 3階級を制し、7月20日にWBCバンタム級タイトル初防衛に成功した中谷潤人の父は、「吉野さんは、本当に温かい人ですね。そのお人柄がジムにいい雰囲気を作り出している。会員さんたちの表情を見れば、どれだけこの場所を愛しているかが分かります。皆さん、ボクシングを心から楽しんでいる心地良さがあると、感じました」と話した。

 当のチャンピオンは、「吉野さんのお人柄がにじみ出ていて、とても良い空間で、お時間を過ごさせてもらいました」と語った後、ジムの入り口で「今日はありがとうございました」と一礼して、次のアポイントメントに向かった。

 いい人間には、相応しい出会いがあるーー。WBCバンタム級チャンピオンは、また一つ、輪を広げたようだ。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

林壮一の最近の記事