【光る君へ】紫式部の知られざる恋愛事情を探る。和歌に託された奔放な恋愛
大河ドラマ「光る君へ」の見どころの一つは、「まひろ(紫式部)」と藤原道長との恋愛になろう。際どいシーンも放映された。
しかし、史実から言えば、道長と「まひろ(紫式部)」の恋愛は確認できない。道長の結婚した相手は、倫子(源雅信の娘)だった。「まひろ(紫式部)」の恋愛事情はどうなっていたのだろうか。
言うまでもなく、平安時代の女性の史料は乏しく、生没年すら明らかでないこともままある。紫式部についても同様で、生没年は不詳。その生涯も断片的にしかわからない。ましてや、恋愛事情になると、さらに厳しくなるのが現状である。
しかし、石川徹氏の「紫式部の人間と教養」(『国文学』6-6、1961年)には紫式部の恋愛事情について、興味深い指摘があるので、紹介することにしよう。『紫式部集』には、次のような和歌が記載されている。
〔詞書〕
方違へに渡りたる人のなまおぼおぼしきことありて帰りける、つとめて朝顔の花をやるとて
〔和歌〕
おぼつかな それかあらぬか 明けぐれの 空おぼれする 朝顔の花
詞書の意味は、石川氏によると次のとおり。方違えにかこつけて、1人の男が紫式部の家に泊まったという。その夜、男が紫式部に変なことをしながら、本当に紫式部のことが好きなのか嫌いなのか、はっきりした態度を示さないまま帰って翌朝に贈ったのが、先に示した和歌だという。
和歌の意味は、石川氏によると「あなた一体本気でなさったの、それとも一時の気まぐれなの? 明け方に出ていらっしゃるとき、薄暗い明けぐれの空に朝帰りのそのお顔を紛らわして、空とぼけていらしたわね」となる。つまり、紫式部は男性と一夜をともにしたということになろう。
むろん、紫式部と男との恋愛を裏付ける史料はないのだが、性に対して奔放な時代でもあったので、あながち「なかった」とはいえないと指摘されている。もしかしたら、その相手が藤原道長だったのだろうか?謎は尽きない。