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差別対策と歴史教育に「間に立つ」視点と子どもの心のケアを〜日本人学校の男児と胡友平さんへの追悼文〜

阿古智子東京大学 総合文化研究科 教授
インスタグラムに投稿された「航平さん」を追悼し、ヘイトクライムに反対するポスト

 9月19日朝、私は出張先の空港に到着し、『現代ビジネスオンライン』の編集者に提出した「日本と中国それぞれで噴出する「反中」と「反日」の根深すぎる実態」という文章がインターネットに流れたのを確認した。それとほぼ同時に、その前の日に中国南部・広東省深圳市にある日本人学校で母親と登校中に襲われた10歳の男児が亡くなったというニュースを目にし、私は衝撃で言葉を失った。9月18日は1931年の満州事変の発端となった柳条湖事件が起きた日で、中国では「国辱の日」とされている。

写真:ロイター/アフロ

 今年は景気の悪化から社会不安が増しているのか、定期的に目を通しているソーシャルメディアで中国での殺傷事件のニュースを目にすることが多く、いわゆる「反日」的な投稿も増えているように感じていた。それに、6月24日には、蘇州の日本人学校のスクールバスが刃物を持った男に襲われ、日本人母子が怪我を負い、犯人を止めようとした中国人女性が亡くなったばかりだ。

 私は重い気持ちを抱えながら、出張先で予定されていた活動に参加した。活動の参加者がほとんど中国の若者だったこともあり、自然と彼らとの会話の中で、この事件が話題になった。亡くなった男の子と同じ十代の息子を持つ私は、目の前で息子が殺されたという中国人のお母さんの気持ちを想像してしまい、涙を抑えられなかった。私の夫は長く中国で単身赴任していたため、息子と私は休みになるたびに中国に行き、息子は中国の幼稚園にも通った。深圳のご家族は、日本で生活していた母子が最近中国で働くご主人に合流し、家族での生活を開始したようだった。彼らは我が家と同じように、日本と中国を行き来し、日本文化と中国文化の間で子育てをしていた。

日中の「間に立つ」父親が綴る言葉

 事件がなぜ起こったのか。犯人の動機は何だったのか。中国政府はどのように説明するのか。日本政府は中国政府に何を求めるのか。日本と中国のネット民はどのような反応をしているのか。すぐに現代中国を研究する私は、慌ただしく関心を持つ内容について情報を集め始めた。そのうち、20日夜頃になって、殺された男児の父親とされる人の中国語の手紙がさまざまなグループチャットや友人から転送されてきた。

 中国でも日本でもさまざまな憶測が飛び交っていたが、本人が公的に発表しない限り、真偽を確認することはできない。私は手紙が本物かどうかを推測する議論の輪の中に入りたくなかった。ただ、この手紙は私にとってとても印象的な内容で、その内容は繰り返し私の頭の中でこだましていた。男の子の父親の声が、夢の中で聞こえるほどだった。

 「私たちは中国を憎んでいません。同様に日本も憎んでいません。国籍に関係なく、私たちは両国を自分たちの国だと考えています。(中略)私は、歪んだ思想を持つ一握りの卑劣な人々の犯罪によって両国関係が損なわれることを望んでいません。私の唯一の願いは、このような悲劇が二度と繰り返されないことです」

 息子が凄惨な殺され方をして数日後に、こんなものわかりのいいことが書けるなんて。父親の勤め先がかつては「友好商社」と称された貿易会社で、日中関係に与える政治的影響への心配を迅速に発信しようとしたのではないか。そんな分析をする人もいる。しかし、そんなこと、現時点で父親に確認しようがないし、私の関心はそこにはない。

 それよりも、私には、上海に二度にわたって留学し、そこで出会った妻と結婚し、日本と中国の間で暮らしてきた、そのような「間に立つ」父親が感じたこと、考えたことが、手紙には率直に綴られているような気がして、私の心は大きく動かされたのだ。そこには、父親が書いたものかどうかはわからないけれど、父親が書いたものだと半ば信じきっている私がいた。

私が過ごした上海の家と東京のアジアンコモンズ

 大学院生だった1998-1999年、私は博士論文の調査のために、約1年間、上海で暮らした。その際ホームステイさせてもらった家の「上海の父と母」とは、その後、二人が亡くなるまでずっと交流を続けた。保管している上海の母と交換しあった手紙を積み上げれば、自分の身長の半分ぐらいの高さになるのではないか。

 私は自分の母を中学の時に癌で亡くしており、20代の多感な時期に、上海の母に毎日のように悩みや愚痴を聞いてもらった。当時、母が貸してくれた家の鍵は、調査を終えて帰る時に返そうとしたが、「いつ帰ってきてもいい」、「勝手に鍵を開けて入ってきなさい」というので、返さず、今でも持っている。上海に行くたびに「ただいま」と自分が持っている鍵で扉を開けてこの家に帰り、ここで寝泊まりし、母が作った温かい食事を食べた。上海の母は、まるで私を本当の娘のように見て、接してくれた。上海の父はいつも、私と母が賑やかにおしゃべりするのを横目に見ながら読書し、静かに微笑んでいた。

 日本に帰国し、大学教員として仕事を得て、生活が安定してから、私は中国の大学生を自分の家にホームステイさせるようになった。政治犯や貧しい家庭の子が中心だったが、今では皆立派になり、日本企業で働いたり、中国に戻って大学教員になったり、自分で事業を立ち上げたりして自立している。結婚して子どもを育てている人もいる。夫が単身赴任で中国にいる間、うちの息子は、中国のお兄ちゃん、お姉ちゃんに随分面倒を見てもらった。私が残業の時には、中国の子が保育園まで息子を迎えに行ってくれた。

 現在も我が家には、さまざまな事情を抱えた中国のジャーナリストやアーティスト、弁護士や活動家などが入れ替わり立ち替わり引っ越してきて、共に暮らしている。ほとんどが数ヶ月という短期間ではあるが、共同生活を通して悲しみも喜びも分かち合える仲になっていく。私はこの家をあじあんコモンズ(亜州公共圏)と名付けた。

「デジタルフィンガー灯篭」プロジェクト

 ところで、深圳の男の子の父親の手紙についてだが、中国の若者たちも私と同じような気持ちでいたのだろうか。手紙の真偽は確認できないけれど、この手紙を手がかりに、ご家族の気持ちに寄り添い、男の子を追悼するためのなんらかの行動ができないか、議論し始めた。

 私も日本人として、一人の母親として、感じていること、考えていることを中国の若者たちに伝えた。議論を通して、私たちは歴史を学ぶことは大切だが、特定の国籍を持つ人や民族に対する差別はあってはならないし、なんとしても憎しみの連鎖を断ち切らなければならないという気持ちが高まっていった。オンラインでのやりとりも経て、アイデアがあっという間に形になり、中国の若者たちは「デジタル灯篭」をソーシャルメディアで送る活動を開始した。

中国語の「デジタルフィンガー灯篭」のポスター
中国語の「デジタルフィンガー灯篭」のポスター

 指を携帯電話の光にかざし、灯篭のようなイメージを浮かび上がらせ、ソーシャルメディアに発信するというものだが、アニメなどで紹介されているのだろうか、死者の魂を弔うために灯篭を海や川に流すというこの行事が、中国の若い人たちにも知られている。調べると、一説には灯篭流しは中国で始まったと言われており、中国の雲南省や浙江省では、中元(中元節)に灯篭を流す「放活燈」と呼ばれる風習があったそうだ。

 日本でも仏教では初七日の行事を大切にするが、中国語でも「頭七」と呼ばれる七日目の法事がある。若者たちは、「航平くん」の「頭七」に合わせて、蘇州で亡くなった「(胡)友平さん」も追悼しようと、ポスターを作り、中国国内と海外のソーシャルメディアに発信し始めた。

 若者たちは、お父さんの手紙やその他の情報から、「航平くん」と推測した。私は「男児の名前は公表されていないのに勝手に使ってとんでもない」という批判を受けたが、若者たちは具体的な名前を持つ一人の人間として、男児を追悼したかったのだろう。若者たちは、「ご遺族の気持ちを第一に考えたい」とも言っていた。若者たちは興奮し、「こんなにアイデアが湧いてきて、仲間たちとともに行動し、これほど連帯感を感じることができたのはいつぶりだろう」と述べていた。私はそんな若者たちの気持ちを理解してあげたいと思った。

 日本語のポスターも作成し、私はXを使って発信した。インスタグラムには専用のアカウントも開設された。しかし、中国の微博(ウェイボ)や微信(ウィチャット)はすぐにブロックされてしまった。中国のネットユーザーから、「シェアしたいのにできない」という声も届いた。

 言論統制を強化する中国では、「壁の外側」と「壁の内側」で見える世界が大きく異なる。壁の外と行き来することができ、「間に立つ」若者たちは、なんとか壁の内側までメッセージを届けたいと活動している。でも、その努力も虚しく、若者たちが長い時間かけて議論して表した言葉も、アイデアを出し合ってつくったイラストも、あっという間に消去され、跡形もなくなる。これが今の中国の現実だ。

中国国内のソーシャルメディアは「デジタルフィンガー灯篭」の投稿をブロック
中国国内のソーシャルメディアは「デジタルフィンガー灯篭」の投稿をブロック

 憎しみの連鎖を断ち切ることができない根本的な理由は、「日本人学校はスパイ養成機関だ」といったフェイクニュースを流す人たちがいるからなのか。そんなネットユーザーなら、日本にも少なくない。日本では、そうした偽情報や、差別を助長するヘイトスピーチに対抗する言論活動が自由に行えるが、メディアの発信や出版への検閲が当たり前になっている中国では、言説が単一化され、複雑な事象の細部をていねいに伝えることができなくなってしまっている。その上、思想教育にも力を入れており、一部の学校では、行き過ぎた「反日教育」も行われている。

私のXの投稿のコメント欄には、中国の母親たちが、子どもが描いた航平くんが好きだったという昆虫のイラストを添えて、航平くんへのメッセージを投稿した。
私のXの投稿のコメント欄には、中国の母親たちが、子どもが描いた航平くんが好きだったという昆虫のイラストを添えて、航平くんへのメッセージを投稿した。

差別対策や歴史教育に「間に立つ」視点と子どもの心のケアを

 「デジタルフィンガー灯篭」のアクションを日本でも広げたいと思い、私は友人や学生たちに声をかけてみたが、乗り気になってくれる人はほとんどいなかった。言論統制に苦しむ必要のない日本人が、中国の若者たちが必死になってこのアクションを広めようとする意味を理解できないのは、仕方がないことなのかもしれない。

 しかし私は、日本社会に広がる外国人移住者や歴史教育に対する無関心や冷淡な態度にもがっかりした。深圳の事件が起こってから、私は日本と中国の間で生き、子育てするお母さんたちにメッセージをもらった。皆一様に、この悲劇を繰り返したくない、憎しみの連鎖を断ち切りたいという思いを伝えてくれた。また、中国から日本に移住してきた家族は、日本で差別を受けるのではないか、子どもがいじめられるのではないかと心配していた。だが、「間に立つ」経験の少ない日本人は、差し迫った必要を感じることもなく、具体的に何かを伝えたり、行動したりするところまでいかないのだろう。

 今回の深圳の事件を、私たち日本人は、反日教育で頭がおかしくなった人による犯行と結論づけて終わりにするのか。残虐で悲惨な内容を含む歴史は事実として存在する。しかし、歴史教育は年齢層に応じた手法と内容を考えなければならない。また、歴史を学ぶことに意義はあるが、戦争責任を一般市民が背負う必要はなく、子どもに負担を感じさせすぎないよう配慮することも必要だ。

 昨日、日本人のお母さんが、私が企画した交流会に関心を持ってくれて、連絡をくれた。彼女は、「娘のクラスメートが、“中国と日本は戦争する。中国の人は日本が嫌いだから”と言って、娘が半分ぐらい信じてしまったようです。娘は3歳の頃から習い事を通して海外の方と接する機会をもっており、グローバルな感覚は育ってきているはずだったんですが」と話してくれた。

 ウクライナやパレスチナの情勢が生々しく報じられ、「台湾有事」を想定した避難訓練が石垣島や与那国島で行われている。中国で日本人がスパイとして逮捕され、日本人学校の子どもが切り付けられている。こうしたニュースを子どもたちはどのように受け止めているのか。日本に移住してきた外国人も不安な日々を過ごしている。

 差別対策も歴史教育も、「間に立つ」視点を大切にし、特に子どもの心のケアを十分に行いながら、実施するべきではないだろうか。自分の立つ位置を時々、少しでもいいから変えれば、新しい視野を得ることができる。そのようにして、共感できる範囲を広げていくことで、豊かな学び合いができるようになるはずだ。

東京大学 総合文化研究科 教授

1971年大阪府生まれ。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。大阪外国語大学、名古屋大学大学院を経て、香港大学教育学系Ph.D(博士)取得。在中国日本大使館専門調査員、早稲田大学准教授などを経て、2013年より現職。主な著書に『貧者を喰らう国―中国格差社会からの警告』(新潮選書)、『超大国中国のゆくえ―勃興する民』(新保敦子と共著、東京大学出版会)、『香港 あなたはどこへ向かうのか』(出版舎ジグ)など。

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