映画『憂鬱之島 Blue Island』〜時空を超えて香港の闘いをとらえる〜
『乱世備忘 僕らの雨傘運動』を撮った陳梓桓(チャン・ジーウン)が監督を務める映画『憂鬱之島』が、いよいよ7月16日(土)、東京・渋谷、ユーロスペースを皮切りに全国の劇場にて順次公開される。この映画はクラウドファンディングによっても資金を集め、香港と日本の共同制作という形で完成した。
過去から現在へ、現在から未来へ。『憂鬱之島』は時空を超えて香港の闘いをとらえている。歴史的場面を再現しながら現在の香港を描き、未来を展望する。演じているのは素人で、彼ら・彼女らは自らの経験や想いを語っている。現在20代の香港の若者たちは一人二役で、歴史上のシーンにも登場する。
香港人の多くは中国大陸から命からがら逃れてきた。経済政策の失敗や内乱が相次いだ中国では、1950年代の大躍進政策、1960年代から1970年代の文化大革命によって甚大な数の餓死者や死者が出た。生活の困窮や迫害から逃れるため、海を渡って香港に逃げ込んだ者は、50年以上経った香港で自由と民主を求める若者たちと共にデモに参加する。天安門広場で戦車と銃弾、国民に銃を向ける軍を目の当たりにした香港人は2019年、「香港人による香港」をつくろうとする若者たちが警察に暴行されるのを目撃し、30年前の記憶がフラッシュバックする。
英国統治時代、「政治には関心を示さない」と見られていた香港人だが、実際は権力に対する抵抗を続けていた。広東省と連携して行なわれた反英運動「省港ストライキ」(1925-26年)、九龍暴動(1956)、スターフェリー値上げ反対暴動(1966)、香港暴動(1967)などが起こり、1970年代には中文公用語化要求運動、尖閣諸島の中国による領有を主張する「保釣運動」などの学生運動が行なわれた。
植民地統治には非民主的で強権的な側面がある。しかし一方で、香港における経済活動は自由で、文化・芸術活動が盛んに行なわれた。調査報道からゴシップに至るまで、個性豊かなメディアが成長し、多元的な市民社会が発展していった。
そして、香港は英国の植民地でありながら、常に中国への返還を意識し、中国との関係性において自己を捉えざるを得ないという側面もあった。天安門事件で生じた不安、返還が迫る中で進められた英国による漸進的な民主化の影響もあり、2010年代には「民主回帰」論(民主的な体制をもって祖国に復帰する)が出現し、香港人の価値観は急速に変化した。
香港人は香港のために時間と情熱を注ぎ、希望の光が消えかけても、香港を見捨てなかった。しかし、国家安全維持法施行後、香港は激変した。あらゆる領域の市民活動が衰退し、ある者は逮捕・収監され、ある者は海外へ逃れ、ある者は静かに身を潜めざるを得なくなった。
にぎやかだった香港社会は一気に静かになった。
昨年10月、「国家安全保障上の利益に反する」と見なされた映画について、新旧を問わず上映許可を取り消す権限を香港政府政務官に与える条例が可決された。無許可での上映は3年以下の禁錮刑と最高100万香港ドルの罰金の対象となる。『憂鬱之島』の香港での上映許可も出ていない。
公開直前の渋谷Loft 9での記念イベントにオンラインで参加したチャン監督は、「香港で上映できないことは残念ですが、今月私は『少年たちの時代革命』の監督・林森、『時代革命』の監督・周冠威ら30人以上の香港の映画製作者と共に ”香港自由電影宣言”(香港自由映画宣言)の署名人に加わったのです」と話してくれた。有限会社 Phone Made Good Filmの任俠、安娜、周澄、陳力行が発起人となった宣言は、このような書き出しで始まる。
「香港はいったい何なのか、今ほどそれを知りたいと思ったことは、長い歴史の中でもなかったのではないか。目下の時代の趨勢は、我々にこう言い渡している。香港なんてそんなに重要ではない、崇高で権威的な国家の付属物でしかないし、香港には自らの、真の独立した個性などあり得ないのだと。しかし、我々はそうではないことを知っている。だから、異議を唱えて反抗する。創作する。幾度も奇跡は生じ、出てきた芽は大きく育ってきた。過去も現在も、香港はさまざまな姿を見せてきたが、それによって我々が劣等感や不安感を持つことはない」
「昔のように自由を求め、他の土地へ逃れたいとは思わない?」という問いに、映画の登場人物の一人で香港に残る若者はこう答えた。「香港は僕にとって家族なんです」
香港人は抵抗し、民主化を求める運動を続け、記憶を不断に更新しながら、主体を取り戻す闘いを続けている。香港は自らの家なのだから。