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「撤退の林業計画」を考えるときが来た

田中淳夫森林ジャーナリスト
これでも林齢は40年以上? 人の手が入らず、荒れ果てた人工林が増えている

「撤退の農村計画」という提言と論争がある。

本来は「撤退の農村計画」という社会学系の共同研究会の名である。それが同名の書籍も出し、世間に広がったようである。

農山村で問題となってきた条件不利地の限界集落化や、その先にある消滅集落を直視し、もはや、すべて守るのは不可能だから「撤退」について真剣に検討すべきという立場から論じている。

具体的には、集落ごと地域の中核地近郊への移転を想定したものだ。五月雨式に人が流出するのではなく、地域社会の再編成をもくろんでいる。

これまで「村おこし」により、集落存続、集落活性化を唱える声が大勢だったところに「撤退」を訴えたものだから、刺激的であった。もちろん撤退と言っても様々な形態があるし、いくら論じても現実の集落で実行できるかどうかも課題だ。だが、現実を「見ないふり」して考えないよりは、よほどましだ。

私は、同じく「撤退の林業計画」を論じるときが来ているのではないか、と思っている。こちらは小集落ではなく林業という一産業だから、より重大な意味を含むが、これまでの林業政策の延長では身動きできない時期に来ていると感じるからだ。

具体的には、日本の人口減少と木材需要の縮小が核にある。そのうえで日本の山村地帯の再編成と森林そのもののあり方を問うものだ。

まず、今後日本の人口はかつてない速さで減っていくだろう。出産可能年代が決定的に減少しているのだから、もはや少子化問題のレベルではない。そうなると地方の自治体の「限界化」が加速する。「消滅」も視野に入る。真っ先に危機なのは山村だろう。

同時に木材需要も減らざるを得ない。現在主流の住宅建設は着工件数が減るだけでなく、家族数の縮小により住宅の小型化が進む。そこで外材部分を国産材に置き換える、土木分野やオフィスビル分野に木材を使う、さらに国産材の輸出も視野に入れて木材需要を高めようとする動きがあるが、私は、いずれの策も限界があると睨んでいる。

一方で、現在の日本は、国土の67%が森林という、歴史的にもっとも森林面積が多い時代を迎えている。しかも人工林面積が1050万ヘクタールと全森林面積の4割を越えるのだ。だが、これを過疎化が進む山村居住者だけで管理するのは無理がある。すでに放棄が進んでいる実態も無視できない。

現在、政策的に国産材利用の促進が行われ、戦後造林した林地が伐期を迎えているが、伐採した跡地をどうするかが見えてこない。再造林が必要とされつつも、コスト的に引き合わないことや、植えてもその後の育林(下刈りや徐間伐など)を行う人手がない。獣害も広がっており、苗を植えても食べられてしまう問題も切実だ。

あらためて、日本の森林と山村のあり方を問う「撤退の林業計画」を考える時期に差し掛かっているのではあるまいか。今後、どの程度の人工林を維持する必要性があるのか。どのくらいの木材生産量を維持すべきか。その配置や管理の仕方も重要だ。

林業といえども都市部に近いところでは、重点的に高品質材を生産し、川下と密接に結んで高価格商品を生み出す路線が可能だろう。また、低コストの管理方法を模索して木材の量を確保する路線も必要になる。

一方で通う人も滅多にいない奥山の森林の活かし方も考えねばなるまい。天然林化するのも一つの手だろう。そこでは生態系保全や景観に留意しつつ、大径木の広葉樹材の生産を行うことも考えられる。

これは壮大な構想になる。すでに林業計画というより国土計画の範疇かもしれない。民間の森林所有者の合意を得るのも至難であることが予想できる。しかし、そうしたグランドデザインを描かねば、日本の森林の将来が見えない。小手先の林業政策では、にっちもさっちも行かなくなる日が必ずやって来る。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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