「脱北青少年の学校受け入れ反対」に透ける、韓国社会の今
「ひざまずくオモニ(母)すらいない、脱北青少年たちはどこに行けばよいのでしょうか?」
12月6日、青瓦台(韓国大統領府)ホームページの請願掲示板に一件の投稿があった。書いたのは「ヨミョン学校」。ソウル市内の観光地・南山の麓にある脱北青少年が通う学校だ。
中身はやや複雑だ。同校が2021年に今の建物との契約を終えるため、ソウル・恩平(ウンピョン)区のニュータウンの一画を移転先に決めたが、現地住民の反対にあっているので、行政がこれを解決してほしいというもの。
解決策として示されたのは「ニュータウン内の学校不足問題を改善するべき」というものだった。さて、これはどういうことか。
実は今なお続く「ヨミョン学校」の移転をめぐる一連の事態は、韓国社会が抱える問題の縮図版と言ってよいほど、様々な論点を含んでいる。この記事を通じ、一つ一つ解きほぐしてみたい。
※なお、韓国では「脱北者」という呼称は差別を助長するおそれがあることから、主に「北韓離脱住民」という呼称が使われる。本記事では、これを踏まえつつも、日本での呼称を優先し「脱北者」という言葉を使った。本来は使わないことが望ましい。
●「ヨミョン学校」とは
ヨミョンとは、黎明(れいめい)を指す韓国語だ。90年代中盤から中国での脱北者支援活動を行ってきた同校の趙明淑(チョ・ミョンスク)教頭が、「統一の夜明けとなる」という意を込め名付けた。同氏が中心となり2004年に設立された学校は、脱北青少年を対象に教育を続けてきた。
脱北青少年、といってもその内情は複雑だ。北朝鮮で両親を失い一人で脱北してきたり、脱北の過程で親と離れ離れになった者たちがいる。さらに最近では、人身売買をはじめやむを得ない事情で中国の農村などに嫁いだ脱北女性が中国で生んだ子どもたちも、同校は受け入れている。
これまでの卒業生は320余名。女優として活動するキム・アラ氏や、18年の平昌パラリンピックでアイスホッケー韓国国家代表に選ばれたチェ・グァンヒョク氏などの有名人の他に、90人以上が大学・専門大(短大に相当)に進学、さらに約100名が就職に成功するなどの成果を収めている。
こうした実績から2010年には政府から正式な学力認可を取得。さらに今年は韓国で最も権威ある社会活動分野の賞の一つ『POSCO青岩賞』の教育部門を受賞するなど、名実ともに韓国における脱北青少年の教育分野を牽引する存在だ。
現在は89人の生徒が高校カリキュラムに沿って学校生活を送っている。なお、北朝鮮出身の青少年は韓国の一般の公立・私立の学校にも問題なく通える。だが、北朝鮮で正規の教育を受けられなかったり、韓国の学校に適応できなかった生徒も多い。同校はそんな青少年の拠り所としての役割も果たしている。
●問題の発端は「公聴会」
現在の校舎は2021年2月で契約が切れる。そのため学校側では移転先を模索してきた。ソウル市と協議を重ね、決まったのが恩平区の土地だった。恩平ニュータウンは、ソウル北部に位置する。元はグリーンベルトと呼ばれる開発制限区域に指定されていたが、04年に開発が始まった。マンションが林立し、今は約2万世帯が暮らす。
「ヨミョン学校」が移転先とする土地は、ニュータウンの玄関口となる十字路の一角に位置している。約650坪(2143平方メートル)ほどの土地に校舎と寮を建てる予定だ。傍らには住民の散歩道となる河川が流れる。土地は現在、フェンスに覆われている。
この場所に決めたのは学校側だが、その過程にはソウル市が関わった。
学校側の要請を受け、教育政策課がソウル市内の宅地開発を受け持つ「ソウル住宅都市公社(以下、SH公社)」といくつかの土地をリストアップした。諸々の手続きは終わり、後は恩平区が「SH公社」に、現状は「便益施設用地」となっている土地を、「学校用地」へと変更する申請を行うのみだった。
この過程で問題が起きた。11月27日、恩平区がニュータウン内の教会で開いた住民公聴会で、住民たちが土地の用途変更に強く反発したのだった。その根拠は「既存の学校施設が不足しているのに、なぜ住民が使えない施設が来るのか」、「住民のサービス施設が足りないのに、なぜ学校なのか」というものだ。
だが、現場にいた学校関係者の証言は異なる。ある教員は「言葉にするのもはばかられる程、ひどい言葉を浴びせられた」と語る。また、趙教頭は「住民側と事を荒立てたくないので、詳細をインタビューで明らかにしたくない。想像もしない出来事に強いショックを受けた」と涙をぬぐった。
筆者が聞いた中身は、確かに許容しがたいものだった。それをひと言で表現すると、北朝鮮出身者に対する露骨な差別と不寛容となる。ヨミョン学校を「忌避施設」と表現するのはその典型だ。
●「ゴミ捨て場」ネットに踊る暴言
住民側の反対論理について、インターネットを調べた。この件を伝えるニュースや、反対側の住民が青瓦台の請願掲示板に書き込んだ内容についたコメントを確認してみた。
まず目についたのは、恩平ニュータウンの惨状を訴える声だった。
従来1万4000世帯を計画していたところ、現状は約22000世帯の過密状態となり、このひずみがあちこちに来ている。特に団地内の小・中・高校は新設されないまま多くの生徒を抱える事態となっている。小学校では給食を2度に分けて食べているほどだという。
「区の行政は学校増設を求める住民の声に『用地が足りない』と答えてきたのに、土地の用途変更はこんなに簡単なのか」という声が代表的だ。
さらに商業施設の不足もあった。ヨミョン学校が移転を考えている土地が、ニュータウンの入り口にもかかわらず10年間も空き地になっていたことからも明らかな通り、土地の買い手がいないのだ。付近に大規模なショッピングモールがいくつもあることから、開発の旨味がないのが理由だ。
次に筆者が覗いてみたのは、『カフェ』と呼ばれるネット上のコミュニティだ。ニュータウンの人々が集まるいくつかを調べた。
ここでは、賛成の書き込みは全くなく、反対の書き込みだけが存在した。住民が恩平区庁に撤回を求める請願方法や、「SH公社」にヨミョン学校の過去5年間の財政内訳や、ソウル市との協議過程における会議録を情報公開するよう求める方法が共有されていた。
コメントも過激なものが目についた。「血を流してでも防がなければならない。ニュータウンがおかしくなる」、「ヨミョン学校は忌避施設」、「ゴミ捨て場を受け入れたから、何でも入ってくる」、「いっそゴミ捨て場に作れ」というものがあった。
「ゴミ捨て場だと…?そこまで言うのか」と筆者も思わずカッとなったが、調べるとそこには住民の悩みがあった。
恩平ニュータウンの付近には環境プラントと呼ばれるゴミ焼却場がある。だがさらに区は「恩平広域資源循環センター」という名のリサイクル施設の建設を計画している。
「なぜ同じ地域にゴミ処理場を2つも作るのか」と住民たちはここ数年、建設を阻止しようと決死の戦いを繰り広げてきたのだった。ゴミと学校を並べるのは論外だが、環境汚染などの可能性もあるだろう。気持ちの一端は分かる。
●メディア批判も
さらに目についたのは、韓国メディアに対する不満だった。いくつかの記事がシェアされ、「恩平ニュータウンの人々を『ニンビー』にしたメディアと教頭を許さない」とコメントがついていた。
ニンビー(NIMBY)とは「Not In My BackYard」の略語で、地域に必要な施設の建設において「自分の家の裏庭には建てないでくれ」と反対する住民を指す言葉だ。この場合は、「脱北青少年の学校が必要であるのは認めるが、なぜそれがうちのニュータウンに入ってこなければならないのか」という立場として整理できる。
住民の不満は、12月6日の学校側の請願以降、韓国メディアに今回の一件が大きく取り上げられる中で、記事のほぼ全てが「善良な学校」vs「脱北者を嫌うニンビー」という枠組みで報じられた点にある。
例えば、『MBC』の報道では「私達の子ども達が使うべき便益のための用地なのに、それを『外地の子ども達のために差し出せ』と言われて賛成する人がどこにいるのでしょう」といった住民の声が引用されていた。
さらに『ソウル新聞』では「マンション価格の心配が、脱北青少年の学校を邪魔する」といった題名の記事が出た。これには「学校が来ることで、マンション価格が下がるのか」と反対住民の書き込みがあった。こうした「悪者扱い」に現地住民は心を痛めているようだ。
さらに、記事冒頭に引用した通り、ヨミョン学校側が青瓦台の請願掲示板に書き込んだことを「ニュータウン住民の名誉を傷つけた」と問題視していた。
だがこれは、先に12月3日に住民側が「反対」の請願を行っていたことを受けてのものだ。「黙っていたら、反対世論一色になると思い徹夜で準備して書いた」と趙教頭は語る。住民はあくまで、ニュータウンにおける行政の不手際を指摘する。事情は複雑だ。
●住民たちは「賛成多数?」
筆者はここまで調べた上で、住民たちの話を聞きに現場に向かった。世論はさぞかし厳しいのだろう。頭の中で色々な対話シミュレーションを何度も繰り返した。
しかし結果は、1時間あまりの間に筆者が声をかけた12人のニュータウン住民のうち、8人がヨミョン学校の受け入れに賛成、3人は学校の話自体を知らず、残る1人のみが反対という結果だった。
賛成派の声は「みな同じ人間なのに、受け入れない理由がない」、「自分の子どもが同じ状況になったと思えば当然」、「法的な手続きをきちんと踏んでいるのに反対しない」、「ニュータウンには東南アジアから来た人も住んでいる。国際化の時代だ」、「弱者に対する譲歩がいる」などというもの。
こうした人々に「反対する人をどう思うか」と聞いてみた。すると「ゴミ焼却場とリサイクルセンターで住民は敏感になっている」、「脱北青少年たちが地元の学生と衝突するか心配だ」、「福祉施設や学校が足りないのは事実」との答えが帰ってきた。
一方、反対の意思をはっきりと示した60代の女性は、強い口調と表情でこう語った。
「学校の受け入れは絶対にダメだ。勝手に土地用途を変更するのは、行政と権力の横暴でしかない。恩平区の住民があまりに安く見られている。反対する私達に『ニンビー』というレッテルを貼るのも我慢できない。脱北者の学校はダメだ」。
「脱北者の学校だからダメということではないのか?」と聞くと、無言で手を振って立ち去っていった。
いずれにせよ、反対派がそう多い様子でもなかった。確かに、ネットの書き込みも「カフェ」では特定の人物が繰り返し行っていた。一部、頑強に反対する住民たちがいると理解できる。
賛成派の40代の女性2人は「各自の意見を尊重する雰囲気がある。強く反発する人がいるからと、それに従うということではない」と静かに語った。気温が零下にまで下がった日だったが、人々は「寒い中ご苦労さま」と声をかけてくれた。
●来年4月の総選挙をにらむ
行政はどうか。まず、ソウル市の教育政策課長に話を聞いた。担当者は電話で、「あくまでも恩平区と地域住民が解決する問題。ヨミョン学校は正式に認可された学校だ。ただ、一部住民の反対が強いことは認識している。皆が話し合って説得する作業がいる」と述べた。
「近日中に対話する会などを組織する予定があるのか」という質問には「ないが、だからといって移転を放棄するということでは全くない。もう少し時間がいる」と答えた。
一方、恩平区の都市計画課長はやはり筆者との電話で、「再整備促進計画からヨミョン学校の用地変更の件を保留した状態だ」と語った。つまり、ヨミョン学校はまだこの土地を購入することができないということだ。
「住民の反対をどう受け止めているのか」という質問には、やや興奮した様子で「住民からの請願投書が続いている。100通を超えた。これには全て文書で返信する必要がある。電話での抗議も多い」と答えた。これもやはり、一部の熱心な住民の反応といえる。
今後の予定については、「まだ区としては計画がない。当分の間は区でどうにか、という話はない」とのことだった。
両者ともにやたらと「時間」を強調している。実はこの背景には来年4月15日に迫った総選挙がある。恩平区の金ミギョン区長は与党・共に民主党所属で、2つある選挙区はいずれも共に民主党が議席を保持している。
ネットで反対派の住民が「共に民主党はアウト!」「民主党の金ミギョン区長に抗議!」と書き込む中、与党側としても下手に刺激することで票を減らすことを危惧しているのだ。
現場でインタビューした住民たちも、こうした事情を熟知している様子だった。「4月になれば動くだろう」と語る人が複数いた。
●あぶりだされた3つの問題
このように、いったん膿を出し切った感のある状態となっているが、筆者には今回の一連の出来事が韓国社会の縮図に思えてならない。主に以下の3つの点を読み取った。
(1)ソウル市内の発展格差とマンション信仰
恩平区は25あるソウルの区のうち、財政自立度で23位であり、税収額も20位前後にとどまっている(いずれも2018年)。これに対し、住民たちは剥奪感や劣等感を抱いているようだった。
インタビューした住民のうち、同区で定年まで公務員として務めたという男性は「恩平は発展が遅れた地域だ。行政は配慮に欠ける部分がある」と語り、子どもがぎゅうぎゅう詰めの学校生活を余儀なくされている住民たちは「国に放置されている」と感じている。
一方、庶民が全財産をかけて買ったマンションの価値を過度に意識する、首都圏特有の一種のマンション信仰とも呼ぶべき風潮も感じられた。地域が発展してこそ、マンションの価格が上がる。
「忌避施設」の建設を避ける今回の動きからは、2017年ソウル江西区で障碍者児童のための特殊学校を建設する際、住民たちが反対した事件を思い起こした。当時、住民との討論会の席でひざまずき、涙ながらに建設を頼みこむ障碍者児童の親の写真は大きな話題を呼んだ。
反対の理由は「マンション価格が下がる」というものだった。世論の支持もありなんとか工事にこぎつけたものの、住民の反対は工事中にも続き、開校予定は9度も延期されている。来年3月に開校の予定だ。なお、韓国紙によると周辺のマンション価格は上昇を続けているという。
(2)北朝鮮出身者への偏見
これは今さら強調するまでもないだろう。韓国には現在、約3万3千人(統一部統計、19年9月)の脱北者が暮らしているが、依然として偏見は根強い。
前述したように地域住民は「地元の学生と衝突しないか心配だ」と簡単に言うが、これこそが偏見だ。他にネットでは「小さな子がいるのに、脱北者の学校ができるのは不安」といった書き込みもあった。
ヨミョン学校に通う生徒も、これを感じている。
趙教頭先生は先月の公聴会の後、その結果を生徒たちに伝える朝礼の席でついに涙をこらえ切れなかったという。詳細を語らなかったが、「ニュースのコメントを見ないように」と伝えたという。
生徒はどう受け止めたか。
筆者のインタビューに答えたキム・ソル(仮名、22歳男性)は「反対があると聞いていたが、ここまでとは思わなかった。ニュースを探してコメントを読んでみたが、脱北者という名前ひとつで嫌い、『よりによってなぜ脱北者の学校なんだ』という書き込みを見て、胸が痛んだ」と語る。
また、パク・ミョンシム(仮名、20歳女性)は「先生と一緒に泣いた」と当時を振り返る。「住民が反対しているという声を聞いて、社会的に疎外されていると感じた」とのことだ。
筆者が「賛成も多かった」と取材の結果を伝えると、ホッとした声で「実はニュースのコメントをたくさん見たが、応援してくれる人も多く力づけられた。移転できたら地域の人に貢献したい」と語るのだった。
(3)報道姿勢の問題
最後に、韓国メディアの報道姿勢における問題を指摘したい。前述したように、反対住民を一方的に「ニンビー」と見なし、対立を煽る報道を続ける姿勢は批判を受けるべきだろう。
現地住民の中には、趙教頭先生に対する不満を顕わにする者も少なくないが、これは発言の中で「強い部分」だけを切り取って報じるメディア側に責任がある。
同先生は筆者に対し「記者はたくさん尋ねてくる。丁寧に応対するようにしていて、事を荒立てないように記事を書いてくれと頼むが、出てくる記事はセンセーショナルなものが多い」と不満を述べている。
また、現地取材を行わない姿勢も問題だ。ニュータウン自体が抱える問題と、北朝鮮出身者への偏見という問題がごっちゃになり、逆に分かりにくくする報道が多く目についた。反対多数ではない、という前提をまず見せられなかった。
●「子どもたちに愛情を」
移転をめぐる一連の事態は小康状態にある。趙教頭先生は、反対住民側との接触を試みているが、住民側はこれを受け入れない状況が続く。
そんな中、趙教頭先生はヨミョン学校を続けてきた歴史と、そのやりがいをこう明かす。
「学校に通う子どもたちの顔が明るくなるのが何よりも嬉しい。勉強は必要になればいずれする。だが『自分は愛されているんだ』と感じることは、生きる力になる。うちの生徒たちは、国からも親からも愛情を十分に受けてこられなかった子が多い。この子たちが愛情を感じられるようにしたい」。
また、学生たちについてはこう説明する。
「生徒たちはいわば、南北分断の死角にいる子どもたちだ。中国で生まれた子どもはまさに、歴史の死角ともいえる地域で涙と共に生まれた。そんな子どもたちが韓国であたたかく抱かれて成長してほしい。これは韓国だけの狭い問題ではない。世界中の傷ついた子どもたちに、『よく我慢した』と大人が抱きしめてあげられるのかどうかという話でもある」。
最後に、今後はどうするのか。
「今の校舎に移って来た時も、建物のオーナーは反対していた。それが生徒たちと触れ合い、生徒たちが学校の周囲もきれいに掃除する姿を見て変わった。奨学金も作ってくれた。生徒たちは苦労をしてきているので、皆あたたかい。恩平に移る時は騒ぎになっても、地域に貢献する生徒たちだ。ぜひ受け入れてほしい」
ここまで読んでいただき、「ニュータウン内の学校不足問題を改善するべき」という冒頭の書き込みの謎が解けただろうか。
これは大人が解決するべき問題である。行政は住民の要求に向き合いこれを解決すると共に、ヨミョン学校が新たな地でスタートできるよう支援をしていく必要があるだろう。今後も推移を見守っていきたい。