空手女子が「父の日」の魔法で「シンデレラ」に
美の格闘技、ミスコン。その一つ、ミス・コスモポリタンの日本大会が、6月16日(日)大阪市内で開かれました。全国の応募者から書類審査と面接で絞り込まれたファイナリスト(最終選考出場者)の女性10人が最終審査に挑みます。
私はある出場者に注目していました。これは1人の女性が父親に届けようと挑んだ父の日の魔法の物語です。
空手にはまった子ども時代
小牧葵さん、22歳。阪神間の兵庫県西宮市出身。地元の武庫川女子大学に通う大学生です。
小牧さんの特技は、4歳の時に始めた空手。仲良しだった同い年のいとこの男の子に「負けたくない」と思ったのがきっかけでした。隣の芦屋市にある道場に通って鍛錬を重ね、5年前には全国大会の高校生女子の部で準優勝。国際大会にも出場してベスト8の成績を残しました。
大学でも空手を続け、20歳の時に日本武道館で行われた大学生の全国大会に出場。ところが…
試合で手の靱帯を切り、あごの骨を折る大けがを。選手生命は絶たれました。
「もともとこの大会を最後の試合にしようとは思っていたんです。私の空手選手としての絶頂期は中学高校で終わったと感じていましたので」
最愛の父の死がミスコン出場のきっかけに
空手をやめてからは、ひたすらアルバイトをして、そのお金で海外旅行を重ねます。その中で英語力のなさを実感。「海外の人たちと仲良くなるにはもっと英語がしゃべれないと」…そこで留学を決意します。
その矢先、大好きだったお父さんががんであることがわかります。留学を延期して家族そろっての時間を過ごしました。そして去年9月。お父さんは亡くなりました。
「父は、夢をかなえてほしいと話していました。だから父が亡くなった後に改めてオーストラリアに留学しました。父は自信を持つようにとも話していました。でも私は自分に自信がなかった。もともと見た目にコンプレックスがあったんです。空手をしていたから男の人みたいな体つきで、ひょろひょろとでかいし態度もデカい。そんな時、2歳下の妹が言ってくれたんです。『見た目にももっと自信を持った方がいいよ。もっといろんなことに挑戦したらいい』って。そんな時にこのコンテストのことを知って応募を決めたんです」
いよいよ本選 ランウェイを歩みステージでポーズ
そして始まった最終選考会本番。10人のファイナリストがまず黒のワンピース姿で一人ずつ登場し、ランウェイをウォーキング。250人ほどの観客と5人の審査員が座る席のすぐ前まで進んでステージに上がりポーズを決めます。
「心臓がドキドキしました。初めてステージに立つんですから」
小牧さんがステージに上がると、ひときわ大きな歓声があがりました。お母さんと妹をはじめ、家族や親友、親友の親、そしてお父さんのお友達が、大勢応援に駆けつけていたのです。その声援で気持ちが落ち着いた小牧さん、客席に向かって投げキッスを送りました。あれは最初からやろうと思っていたのか?それともとっさの思いつきなのか?
「実は投げキッスをしていいかどうか真里愛(まりあ)さん(主催者代表の上山真里愛さん)に聞いていたんです。そしたら『客席の歓声があったらやっていいけど、なかったらやめた方がいい』と言われて。そしたらみんなが会場で声援を送ってくれたんで、やれたんですよ(笑)」
ビキニ審査、ドレス審査、そして中間発表
続いてはビキニ審査。小牧さんはミントグリーンのビキニでさっそうと登場。ステージでポーズを決めました。
「水着は緊張しませんでした。もともと中学高校と部活は水泳部でしたから、水着は慣れているんです」
次はドレス姿での審査です。身に着けるドレスは出場者がそれぞれ準備。かなりの費用かかかります。小牧さんの赤いドレスは、肩周りのスパンコールや足もとの深いスリットなどを、お母さんと二人で手作りしたそうです。
ここで中間発表が行われます。審査得点の上位5人だけが最後の英語と日本語のスピーチ審査に進み、その中から優勝者が選ばれます。さあ、結果は…小牧さんはトップ5に入りませんでした。
「もう、めっちゃ泣きました。控え室でお弁当やけ食いしちゃいました。揚げ物とかガッツリと(笑)。ドレス審査までばっちりできたと思っていたので、何があかんかったんやろ、って考えちゃいました」
この後ドラマが待っていた
すべての審査が終わって最終結果の発表です。10人のファイナリスト全員が再び壇上に並びます。
ここで意外なことがわかります。この大会はマレーシアで開かれる世界大会への出場者を決めるものですが、今年から新たに大阪で開かれるミス・グレイトという世界大会の出場者も選ぶことになっていたのです。その出場者は中間発表の結果に関わりなく10人全員から選ばれます。いよいよ発表です。
「エントリーナンバー9、小牧葵さん!」
おもわず両手で口を覆って驚きを表す小牧さん。主催者代表の上山真里愛さんからミス・グレイト・ジャパンのサッシュ(たすき)をかけてもらいました。
受賞のスピーチで語った亡き父への思い
「昨年9月に最愛の父を亡くしたことは、私の世界を大きく変えました。でも私はかわいそうではありません。周りに恵まれているからです。たくさんの人の優しさで私はここまで来ることができました。だからこそ父の教えを守りたく、このステージを選びました。
『本当の意味で人に優しい人は、自分に自信があって余裕がある人だけだ』と父が教えてくれました。優しさとは、人種差も性差もなくて、言語を超えて世界共通でつながれるものだと、私は22年間で自信を持って言うことができます」
「いま私がここに立てていることも、私一人の力ではありません。たくさんの人の優しさに支えられて、ここに来ることができました。心の底から感謝しています。ありがとうございました」
ミスコン経験者の主催者代表にも思いが
小牧さんの横でスピーチを聞いていた主催者代表の上山真里愛さん(24)も、様々な思いがよぎりました。上山さん自身、これまでに6回ミスコンに出場した経験があります。ミスコン関係者によると、審査では時に「スポンサーの娘だから」「芸能事務所のイチオシだから」といった理由で選ばれることもあるということです。上山さんは、審査の基準を明確にして、努力が正しく報われるコンテストをしたいと考え、この日本大会を去年立ち上げました。このため入賞者の発表では、審査結果の得点が「ウォーキング」「ビキニ審査」「ドレス審査」「英語審査」などと項目ごとに紹介されました。
「出場者はみんな本気で取り組んでいます。その思いを踏みにじりたくないんです。小牧さんを選んだのは、彼女の努力を見てきたから。彼女はアスリートですからウォーキングもポージング(ポーズを決めること)もまったくできていなかった。それをこの2か月間でものすごい努力をして身に付けたんです。彼女のお父さんのことがあるからではないんです」
サイコーの父の日に
大会が行われた6月16日は、たまたま“父の日”でした。小牧さんは大会前日、インスタグラムに次のように書き込んでいました。
「明日は、スーパー最高うんちっちな父の日になりますよーーーーーーに」
大会が終わった後、着替えた小牧さんの胸元には、お父さんが亡くなる直前、家族でグアム旅行に出かけた時にプレゼントしてもらったというブルガリのネックレスが輝いていました。
「この大会で何かを残したいと思っていました。なのにトップ5に入れなくて、応援に来てくれた家族や友達も『帰ろうかと思ったわ』と話していたんです。そしたらミス・グレイトに選ばれて『よっしゃー!』って思いましたよ。お父さんもきっと見てくれていたと思います。サイコーの父の日になりました」
ミス・グレイトの世界大会は、大阪市内のホテルで9月16日に開かれます。この日は何と、小牧さんのお父さんの命日だそうです。こうなるともはや宿命的なものすら感じます。
最後に、小牧さんの受賞のスピーチから、最も印象的だった言葉で締めくくります。
「私は、我々一人一人の小さな自信から生まれる優しさは、世界を幸せにすると伝えていきたいです」
《小牧さん自身が編集した動画。お父さんと最後のグアム旅行の思い出》