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J3最終節。前代未聞のぬか喜びはなぜ起こったか

大島和人スポーツライター

必死に戦っていたからこそ、極限の緊張に見舞われていたからこそのハプニングだったのだろう。11月23日、南長野運動公園総合球技場で行われた明治安田生命J3リーグ最終節の大一番「AC長野パルセイロ×FC町田ゼルビア」の試合後に、前代未聞のどんでん返しが起こった。

FC町田ゼルビアはこの試合をJ3リーグの2位で迎えていた。しかし勝ち点で首位・レノファ山口に並び、山口が負けなら引き分け以上で逆転優勝、J2昇格が決まる状況だった。町田は後半19分に先制されたものの、後半29分にFW鈴木孝司のヘディングシュートで追いつき、試合は引き分けに終わった。

試合が終わるとピッチ内は静寂に包まれ、町田の選手たちはベンチの方を見やった。キャプテンの李漢宰はそのときの状況、心境をこう振り返る。

「整列しているときにベンチを見たら、誰も喜んでいなかった。駄目だったんだ。入替戦に切り替えないといけないなと思った」(李)

しかし同時進行で行われていた鳥取と山口の試合は、鳥取のリードで後半ロスタイムを迎えていた。つまりそのまま終われば町田の昇格が決まる状況だった。ただ町田はピッチ内の戦いに集中するため、ライバルの試合経過を敢えて選手に伝えていなかった。相馬直樹監督自身も情報を入れる、入れないはスタッフに任せて、選手と同様にライバルの経過を気にかけていなかったという。

タイムアップの笛から約1分半後。町田のベンチにいた選手たちが喜び勇んでピッチに駆け出した。試合を終えた選手たちもそれに呼応して感情を爆発させる。勝ち点8のビハインドから9戦無敗で終盤戦を掛け抜けた、劇的な逆転優勝の瞬間……となるはずだった。

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テレビ中継の実況を担当していた横田光幸アナウンサーは、モニターで山口戦の経過を追っていた。直後は「時間差があるので、もしかしたら10秒後に試合が終わるのかと思って見ていた」という。ただ山口戦は後半のキックオフが町田戦より2,3分遅れ、ロスタイムは4分と発表されていた。

「これは違うぞと。終ってない、でも喜んでいる…。分からないままでやるしかない。映像を見ても(山口戦は)やっているので、このまま終わるのかと思いながらも『まだ正式な情報は届いていません』と伝えて……。そうしたら点が入ったんです!(歓喜の瞬間から)2分くらいしたら点が入った」(横田アナ)

現在は長野でプレーし、町田にも5年間在籍していた勝又慶典は、まず複雑な気持ちで、そして古巣の“昇格”に少し喜びを感じながら、町田側の様子を眺めていたという。しかし長野側はまず堀江三定社長が、ピッチ上で山口戦が2-2となったことに気付いた。それを知った選手たちは戸惑う。「じゃあ、町田の昇格は無いよね?」「でも町田がすごい喜んでいるから」「どうするの?誰か言いに行かないと……」。そんな会話をしていたところに、元チームメイトの深津康太(町田)が歩み寄ってきた。

勝又「ふかっちゃん(深津)は『ありがとう』って言いに来たんだけど…」

深津:「『ありがとう』って言ったんだけど、長野の選手が『2-2らしいよ』っていうから『嘘でしょ?』って」

元をたどると、あるインターネットサイトが「鳥取2(終了)1山口」という速報を試合終了前に出してしまったことが発端だったようだ。それを見たメインスタンドの観客が喜び、ベンチの選手が気づき、ピッチ内も……という流れで、誤った情報が伝わってしまった。そのまま終われば結果オーライで済んだ話だが、山口が後半51分に平林輝良寛のゴールにより追いついたことで、町田はぬか喜びの悔しさを味わうことになってしまった。緊張が解けて感情が爆発した選手やスタッフに対して、確認が甘かったと責めるのは酷な話だろう。ともあれ“昇格”はわずか3分足らずの幻に終わった。

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李は「地獄から天国に行って、まだ地獄に落ちた感じ」と、よもやのどんでん返しを振り返る。

しかし町田はJ3の2位を決め、J2・J3入替戦(vs大分トリニータ)への挑戦権を得た。第1戦は11月29日に町田、第2戦は12月6日に大分で開催されるホーム&アウェイの戦いが、最終決戦となる。J2昇格の望みはまだ失われておらず、昨季は勝ち点1差の3位に止まり、悔しい思いをしたチームにとっては一歩前進だ。

「この喜びを本当に喜びに変えられるように、ちょっと予行練習したと思って(入替戦を)戦っていきたい」(李)

前代未聞の“ぬか喜び事件”がチームにとって笑い話になるか、それとも救いのない記憶になってしまうか。それが決まるのは12月6日の大分銀行ドームである。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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