文大統領が生放送で「国民との対話」…垣間見えた本音とは
19日晩、文在寅大統領は約2時間にわたる「国民との対話」を生放送で行った。散漫としていたイベントであったが、興味深い点もいくつかあった。内容を整理し評価する。
●初挑戦「国民との対話」とは
文大統領が11月10日に任期5年の折返しを迎えたタイミングで行われた、今回の「国民との対話」。これは300人の市民が文大統領を取り囲むタウンミーティング形式で行われた。
実施に先駆け、青瓦台(大統領府)では「国民の誰もが参加でき、聞きたいどんな質問でも聞ける」とその趣旨を語るとともに、「率直で格式張らない国民との対話を期待し、心を込めて準備する」という文大統領のコメントを発表していた。
青瓦台はまた、前日18日に「今日と明日19日に大統領の公式日程はなく『国民との対話』のために時間を使う」とし、期待を高めていた。
だが蓋を開けてみると「国民との対話」はこんな当初の思惑・期待とは異なるものだった。
司会進行を務めた著名歌手・ラジオ司会者のペ哲秀(ペ・チョルス)氏はイベントが支持集会なのか、真剣な討論会なのかを自身で判断しかねる様子であったし、主管する『MBC』側も会場のコントロールに失敗し、時間が経つにつれ散漫とした雰囲気が広がっていった。
こう書くと、いかにも「失敗」と受け止められるだろうが、筆者はそうは思わなかった。予定された100分を15分あまり超えて行われた「国民との対話」から見えたものは少なくなかったからだ。
●9つのポイント
この日、文大統領は20あまりの質問に答えた。
分野も多岐にわたり、子どもの安全、多文化共生、労働などの国内社会から、日韓関係や南北関係まで、さらに韓国で数年来大きなテーマとなっているフェミニズムや性的少数者に関するものまで網羅された。
(1)子どもの安全
一つ目の質問から、会場は厳粛な雰囲気に包まれた。
今年9月、スクールゾーンで起きた交通事故で9歳の息子ミンシク君を亡くした両親が、「子どもの名前を付けた法案がいくつもあるが(韓国では大きな事故があると、その再発を防ぐための法案に犠牲者の子どもの名前を付けられる慣例がある)どれも国会を通過できていない。大統領が公約した『子どもが安全な国』を実現してほしい」と涙ながらに訴えたからだ。父親は胸の前に息子の遺影を掲げていた。
実はこの両親を指名したのは文大統領だった。母親が震える声で質問するあいだ、涙目で事情を聞いていたのは印象的だった。前もって参加を認識していた様子で「事件の詳細を知っている」としながら慰労の言葉をかけた。「子どもたちの生命と安全が今よりもしっかりと保護されるよう、政府が地方自治体とともに努力する」と答えた。
原則論的な答えだったが、この日のイベントが「大統領が国民の訴えに耳を傾ける」という図式になることを予想させるものだった。
(2)多文化共生
韓国に住む、外国出身の市民もマイクを持った。韓国で暮らし14年目になるムハマド・サキップさんと妻の「ムスリムの息子が10年後に軍隊に行ったときに、豚肉を食べられなかったり、難民やムスリムへの偏見から差別されるか心配だ。そうした世代に対し準備をするべき」とした。
文大統領はこれに先立つ移住者への教育施設ではたらく教師による「多文化家庭(移民家庭)への支援が体系的でない」という質問への答えも兼ねて、まず「今年結婚した夫婦の10組に1組が多文化家族だ」と切り出した。
さらに「(移民への)差別がないというのは(韓国人と)同等にしてあげるのではなく、それぞれ異なる条件を持っている人に、その条件に合った選択をできるようにすることだ」と続けた。
(3)募兵制
韓国の若者にとって、もっとも大事な話題の一つである徴兵制も取り上げられた。
名門高校に通う高校一年生の男子生徒が、違法に徴兵を逃れたり、軍需物資調達をめぐる不正腐敗の話をひとしきりぶったあと「いつ募兵制が導入されるのか、少なくとも私が軍にいく前に導入されるのか」とストレートに質問をぶつけると会場には笑いが起きた。
さらにこれに文大統領が「あなたはおそらく募兵制の恩恵を受けられないと思う」と答えると、爆笑が巻き起こった。
実はこの募兵制の話は新しいものではない。
与党・共に民主党は若者層の票を意識し、来年4月の総選挙の公約話題に含めるのか観測気球をあげている状態だ。少子化の中、50万人の兵士を維持する徴兵制度の運営コストが高まり、今後は不可能になることが自明なこともあるため遠い未来の話題ではない。
実際に文大統領も「募兵制に移行するまでには、すべての人(男性)ができるだけ軍に服務しながら、自身の適性や能力あった軍の職務に就く努力を進める必要がある」と答えている。
(4)経済、最低賃金
文政権、いや韓国社会にとってもっとも重要なテーマである経済についての質問もあった。中でもその有用性や施行方法をめぐり今なお議論が尽きない最低賃金の引き上げが話題となった。また、来年から従業員50人以上の中小企業にも「週52時間(上限)勤労」が義務化される。
これをもって参加者から「庶民経済がさらに苦しくなるが、政府に対策はあるのか。大企業・中小企業・小商工人(零細企業)をしっかりと分け、700万人の小商工人のために基本法を制定し、小商工人庁を新設してほしい」との訴えがあった。
文大統領は「中小商工人を大企業から保護する法律はすでに制定されている」としながらも、「最低賃金の引き上げは任期半分のうち、もっとも大きな問題だった。韓国社会がひどく両極化しており、不平等が深刻であるため、最低賃金の引き上げは必ず必要と考える」と答えた。
その上で「2年間最低賃金の引き上げが少し急すぎたため、来年からはスピードを調節した状態」とし、そのスピードをどうするのかは意見が多い」と見解を述べた。そして「勤労時間短縮への対策を含め、小商工人の負担を減らす措置が国会ではやく立法されるべき」と主張した。
なお、この部分では過去歌手として活躍するも事故で四肢に障害を持つことになった男性が登場し、「介助する人々を週52時間上限制から外してくれないと、介助する人が見つからなくなる。私たちは忌避対象だ」と訴える場面もあった。
(5)検察改革
今年8月から2か月以上、韓国全土を騒がせた「検察改革」についての言及もあった。これは事前に寄せられた質問のうち、2番めに多いテーマだったそうだ。
文大統領はまず「人事問題はとても困惑した。国民の目線に合わないと批判を何度も受けた。とても申し訳ない。特にチョ・グク前長官の問題は私が指名し支持したということを離れ、結果として多くの国民に逆に葛藤をもたらし、国民を分裂させた点について、もう一度謝罪する」とした。
その上で検察改革の必要について、▲検察の中立性が確保されるべきだ。政治検察のために韓国の正義が大きく毀損されてきた。▲そのために検察に対する民主的統制がいる。検察は検察のためのものではなく、国民のためのものとして生まれ変わる必要がある、という2点を強調した。
そして政府高官や検察を対象にする『高位公職者犯罪捜査処(公捜処)』が必要だと訴えた。
筆者はこの一連のやり取りにおける、文大統領の表情や口調、仕草に目を奪われた。他のどんな話題よりも力が入り、ジェスチャーも多用しながらよどみなく言葉をつむいでいたからだ。
青瓦台の事情をよく知る人物を取材しながら「文大統領は検察改革のことになるとスイッチが入り、人の話を聞かなくなる」と聞いていたが、その一端を見た気がした。
なお、文政権における検察改革の位置づけについては、以下の記事を参照されたい。
参考記事:韓国「最強」検察に疑念の目…チョ・グク氏騒動に潜む韓国の'宿題'
https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20190905-00141385/
(6)ふたたび経済
長くなりすぎたので、あと4つだけ説明する。
会場ではふたたび、最大の関心事である経済の話に戻った。「不動産の価格があまりにも上がり庶民に影響が出ている」という話に、文大統領は「わが政府では不動産の問題に自信がある」と胸を張り、その根拠として「建設を景気浮揚の手段にしないからだ」と語った。
また、自らを日雇い労働者という男性による「中央政府と地方政府のどこにも日雇い労働者のための政策が何もない」という質問もあった。
これに対し文大統領は「良い雇用を増やすことが、就任時に行った最も重要な約束だったのに、その問題が今も解決されず申し訳ない。日雇い労働者が労働権や雇用セーフティネットの恩恵を受けられることが必要だ」とした。
この質問に答える時の文大統領もまた、真剣だった。筆者も「労働問題を専門としていた往時の弁護士時代もこうだったのかな」と関心を持った。
「怒りをどうコントロールするのか」と続いた質問に「先程のような日雇い労働に従事する方の困難な事情を聞くと、汗が吹き出る」と答えたのも印象的だった。
(7)脱北者、南北関係
また、韓国に住んで11年になるという脱北者による「脱北者の支援をどう考えるのか」という質問もあった。
これについて文大統領は「定着初期への支援はあるが、それが過ぎると持続的な支援がない。脱北者の母子のとても痛ましい事件もあり、支援が必要だと思う。脱北民は私達の憲法精神によると私達の国民だ。差別なく彼らを受け入れて政府や地方自治体でより多くの支援をするよう努力する」と述べた。
やはり原則論的な答えだったが、「差別なく受け入れる」という点はひっかかった。先日、北朝鮮でイカ漁に出た船上で16人を殺害したとされる脱北者2人の韓国帰順要望を受け入れず、北側に強制送還した事件があったからだ。この件では市民団体やシンクタンクが「憲法違反」と指摘している。
なお、韓国の憲法3条は「韓国の領土は韓半島とその付属島嶼」と定め、北朝鮮住民も韓国民と解釈できることから、脱北者受け入れの根拠となっている。
南北関係については「最近の膠着状態をどう解くのか」とかいう質問が飛んだ。
文大統領はこれについて「南北関係がもどかしいかもしれないが、大きく見ると70年間の対決と敵対を平和に、それも対話と外交を通じ平和に変えていくというものなので、時間がかかるしかない」と弁明した。
また「南北関係だけを考えれば、スピードはいくらでも出せるが、国際社会と歩調を合わせるべきで、特に米朝間の非核化交渉がすすんでいるため、米国と足並みを揃える必要がある」と説明した。
そして「3度目の米朝首脳会談が開かれれば必ず成果が出ると見ており、そうなれば南北関係もより一層余地が生まれるだろう」と見通した。
(8)日韓関係
失効を23日0時に控えた日韓のGSOMIA(軍事情報包括保護協定)について、「本当に終わるのか」という質問も取り上げられた。
文大統領はこれに対し「日本が原因を提供した」というこれまで繰り返してきた主張に終始しつつも、「GSOMIA終了という事態を回避できるのならば最後の瞬間まで日本と共に努力する」と明かした。
同時に「韓国は日本の安全保障における防波堤の役割を果たしている」としながら、「日本がそんな韓国を安保上信頼できないという理由で突如輸出統制を行った」と不満を述べた。
その上で「韓国としては米韓同盟が核心だが、日米韓の安保協力もとても重要だ。GSOMIAが終了しても日本と安保上の協力はする」とし、「日本がGSOMIA終了を望まないならば、輸出統制措置と共に、この問題を解決できるような努力を韓国と共にしていくべきだ」と訴えた。
なお、GSOMIA失効の可能性と韓国側の事情については筆者の以下の記事に詳しい。ぜひご一読願いたい。
参考記事:日韓はワンクッションを置くべき…知られざる韓国の深い事情
https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20191118-00151417/
(9)女性差別、性的少数者差別
終盤では、女子中学生が「大統領が自らを『フェミニスト大統領』と読んだことを感銘深く聞いた。韓国の男女賃金格差はOECD加盟国の中で不動の1位で、100大企業でも男性7700万ウォン(約700万円)、女性4800万ウォン(約430万円)と格差が大きく、女性青少年にとっては暗鬱だ。どう解決するのか」と鋭い質問を飛ばした。
文大統領はこれに対し「女性の経済活動の参加率、女性雇用率、女性賃金差別や公共分野への女性指導者の進出といった部分で、『ガラスの天井(見えない天井の意)』があることは厳然たる事実だ」という認識を示した。
さらに、やはり世界最低の出産率を持ち出しながら「欧州を見ると、女性の雇用率が高くなるほど出産率がよくなる現象がある。仕事と家庭が両立できるときに結婚して子どもを生むことができる。男女平等により関心を持つ」と、ややピントが異なる(?)意見を明かした。
次いで、「性的少数者に対する包容政策が見えない。同性婚は時期尚早と発言したが、少数者にたいする政策をどうするつもりか」という質問もあった。
これに文大統領は「同性婚について、合法化するには韓国社会が合意に至っていないのは厳然たる事実だ。より多くの議論を経て社会的な合意が成し遂げられたとき合法化される問題」と述べると同時に、「一方で、いかなる差別もしてはいけないと考える」と述べた。
文大統領はすべての質問が終わったあと、締めの言葉として任期の話題を持ち出した。今回のイベントが任期半分を過ぎたことがきっかけで行われたことと関係しているのだろう。
「任期の半分の間、一生懸命にやったが、評価は国民に任せる」とし、「特に雇用・経済または人事や国民統合の分野で物足りないと思う人が多いことを知っている」と告白した。
その上で「任期の前半のあいだ、正しい方向を設定し基盤を築いた。その成果が出ていると思う。後半ではより確実な成果を実感できるようにする」と決意を語った。
また、「任期の半分が過ぎたとも言えるし、半分が残ったとも言える。私は残っていると思う」という言葉からは、与党に近い一部でささやかれる来年4月の総選挙以降の「挙国内閣構想」などを念頭に置いたのか、まだ見ぬ改革案への意欲がにじみ出ていた。
●「ファンミーティングのようだった」?
長々と内容を追ってきたが、文大統領がキリキリ舞いになるような激しい質問はなかった。
もし筆者があの場にいられたならば、「2011年末に金正恩政権となって以降、北朝鮮に抑留されている韓国人6人はなぜ今も消息がないのか」とぜひ聞いてみたかった。
また、途中である参加者から「保守派と進歩派に両極化する問題を解決してほしい」という質問があったように、「合理的な保守派を国政のパートナーと考えているのか」という質問もしたかった。
その上で、一部の保守系メディアが指摘するような「ファンミーティングのようだった」(20日、中央日報)という批判を考えてみたい。これは会場に文大統領の支持者が多く、事前にスクリーニングしていたのではなかったのかという「疑惑」と共に語られている。「やらせ」という批判だ。
一般市民は誰もが参加できるが、事前に電話インタビューがあると同時に、質問したい内容についても明かすようになっていた点も、こうした主張の根拠となっている。
だが実際に、会場の様子はわれ先にと質問したい人が大声を出すなど、次第にカオス化していた。時間もオーバーするなど統制が取れない状況になっていた。
司会進行がペ氏であったという人選ミスと、質問の場はいつしか大統領に対する「直訴の場」に変わっていったという理由があったとはいえ、怒号も飛び交う現場を前に、文大統領の支持者だけを集めたとは考えにくい。
なお、この日のイベント終了後、ツイッター上で実際に参加した市民の感想をチェックすると、「終了後にとても多くの『文大統領、愛しています!』という叫び声が上がった」という発言があった。積極的な支持層がそもそも多く申請していた可能性もあるだろう。
●評価:3つの成果と意義
短く評価してこの記事を終わりたい。このイベントの成果は3つに要約できる。
一つ目は、大統領の本音が垣間見えた点だ。前述したように文大統領がどの話題にどんな関心を持っているのかが見て取れた。特に検察改革の件では並々ならぬ意気込みがある点がよく分かった。
一方で、前に引用した参加者のツイートによると、同性婚の話が出た時に横に座っていた金尚祚(キム・サンジョ)青瓦台政策室長が「この質問がきたか!」と不安な様子を見せていたという。時代の要請と文大統領の認識差がどんな所にあるのか、という点で興味深いエピソードだ。
二つ目は、韓国社会を構成する多用な人々が一堂に会した点だ。移住民から脱北者、障害者や中学生まで、兵士を抜かしたあらゆる人々の姿があった。これは視聴者に「韓国社会の今の姿」認識させる重要な効果があっただろう。
そして三つ目は、原則論的で無難な意見に終始し「政見放送だ」との批判を受け入れつつも、大統領が一般市民と触れ合う姿を見せたことだ。文大統領は気さくなイメージがあるが、実は記者との触れ合いも少なく、市民を前に演説を積極的にぶつスタイルでもない。
そんな文大統領が、生放送で語る姿は単純に新鮮だった。以前あったように、厳しい質問を浴びせる対談は記者と行い、市民の率直な質問に答えるのは今回ような形式と分けて、今後も行っていってよいだろう。
参考記事:文大統領2周年インタビュー、「無礼記者」への批判の本質
https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20190512-00125743/