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新型コロナ、介護職不足で介護事業者の倒産、休・廃業が過去最多に。超高齢社会の介護、どうすればいい?

宮下公美子介護福祉ライター/社会福祉士+公認心理師+臨床心理士
2022年、介護事業者の倒産は過去最多だった(筆者撮影)

介護事業者の倒産、過去最多。さらにケアマネジャー不足も

2022年は介護事業者の倒産や休・廃業が過去最多となった(*1)。新型コロナの影響もあるが、介護職不足も大きく影響している。介護ニーズはあるのに人員不足でサービス提供ができず、介護事業者が撤退したり、施設を閉鎖したりしているのだ。

施設が閉鎖になれば、新たな入所先を見つけるか、在宅での介護を選択することになる。在宅介護となれば、頼りはサービスをコーディネートするケアマネジャー(ケアマネ)だ。しかしそのケアマネも今、全国的に不足しており、一部地域では「ケアマネ難民」が生まれる恐れも出てきている。

ケアマネ不足の原因の一つは、「介護職員処遇改善加算」など、介護職の給与水準を高めるために設定された介護報酬だ。これまで介護職は、経験を積んでケアマネ資格の取得を目指すことが多かった。夜勤がなく、給与水準が介護職より高かったことも、その要因となっていた。

ところが、この「処遇改善加算」により一部法人では介護職とケアマネの給与水準が逆転。ケアマネ職に就く一つのメリットが損なわれた。

妻が介護職だという管理職でもあるケアマネは、「同じ法人で働く妻には年100万円以上の臨時ボーナスが支給され、妻の年収の方が高くなった」と明かす。

すでに、2018年からの受験資格の変更により、ケアマネ受験者数・合格者数は激減している。さらにこうしたこともあって、資格を取得しても実務に就く人が一層減ってしまったのだ。

*1 出典:介護施設閉鎖で惑う「介護難民」倒産最多、支援が急務(2023年3月24日/日本経済新聞)

ケアマネジャーは受験資格変更により、2018年度から受験者数、合格者数が大幅に減った(グラフは厚生労働省発表のデータを元に筆者が作成)
ケアマネジャーは受験資格変更により、2018年度から受験者数、合格者数が大幅に減った(グラフは厚生労働省発表のデータを元に筆者が作成)

現実味を帯びてきた「介護難民」という状況

ケアマネがいなければ、自分自身でケアプラン(介護サービス計画)を作成するという方法もある。しかし、煩雑な保険請求業務なども自ら行わなければならず、現実的ではない。

「介護難民」という言葉は、まさに現実味を帯びてきているのだ。

人材不足は、当然、ケアマネだけではない。ケアマネ不足より以前から多くの介護関係者が危機感を持っているのが、訪問介護のホームヘルパー不足だ。

介護労働安定センターによる令和3年度介護労働実態調査では、8割の事業所が、ヘルパーが不足していると回答している(グラフは筆者作成)
介護労働安定センターによる令和3年度介護労働実態調査では、8割の事業所が、ヘルパーが不足していると回答している(グラフは筆者作成)

平均年齢54.4歳で50歳以上が7割近くを占めるホームヘルパー(*2)は、順次リタイアが進むことが避けられない。現在も、訪問介護事業者が求人を出しても「応募者ゼロ」というケースは多い。ホームヘルパー不足が今後さらに深刻化するのは確実だ。

ホームヘルパーは介護職員より年齢層が高い。主力は60代で、70代も1割強。元気な高齢者が要介護高齢者を介護している状態だ(グラフは令和3年度介護労働実態調査のデータを元に筆者が作成)
ホームヘルパーは介護職員より年齢層が高い。主力は60代で、70代も1割強。元気な高齢者が要介護高齢者を介護している状態だ(グラフは令和3年度介護労働実態調査のデータを元に筆者が作成)

下記のグラフの通り、2020年から求人倍率(求職者1人に対する求人数)は、全体的に低下傾向にあるが、全職種平均に比べると、介護サービス職ははるかに高い状態が続いている。

▼介護サービスの職業、社会福祉の専門的職業、全職種平均の求人倍率推移

グラフ出典:令和4年版 労働経済の分析 -労働者の主体的なキャリア形成への支援を通じた労働移動の促進-
グラフ出典:令和4年版 労働経済の分析 -労働者の主体的なキャリア形成への支援を通じた労働移動の促進-

昨今、各業界での給与水準の引き上げが相次いでいる。このため、せっかく上昇した介護職の給与水準も、相対的に見れば高いとは言えないだろう。介護業界の求職者が急激に増えることは望みにくい状況だ。

*2 出典:公益財団法人介護労働安定センター 令和3年度事業所調査「事業所における介護労働実態調査 結果報告書」

認知症のある人が病院、施設からあふれる時代が

今後は認知症のある人も増え続ける。7年後の2030年には、高齢者の5人に1人が認知症という推計が示されている。どうあっても、介護職による介護だけではカバーしきれない時代はやってくる。

神奈川県川崎市で30年以上にわたり、認知症のある人の家族の支援をしてきた「川崎市認知症ネットワーク」代表の柿沼矩子さんは、これからの認知症のケアは町づくりに焦点を当てていく必要があると語る。

「川崎市認知症ネットワーク」代表の柿沼矩子さん。介護保険がまだないころ、認知症の父の介護中に家族会を立ち上げた。その後の介護保険を使った母親の介護経験も踏まえ、家族支援を続けている(写真は本人提供)
「川崎市認知症ネットワーク」代表の柿沼矩子さん。介護保険がまだないころ、認知症の父の介護中に家族会を立ち上げた。その後の介護保険を使った母親の介護経験も踏まえ、家族支援を続けている(写真は本人提供)

「認知症の人が増えていけば、病院や施設では対応しきれなくなり、在宅中心に支えなくてはならないときが来ます。今からそのときに備えて、地域で支えられる町づくりが必要だと思っています」(柿沼さん)

しかし、若い世代は仕事に忙しく、なかなか地域に目が向かない。長く地域での認知症支援を続けてきた柿沼さんは、支援仲間が75歳超の後期高齢者となってきたことに危機感を持っている。

「子どもも障がいのある方も、認知症の方たちも地域社会の一員として出会い、つながってほしいですね。そして、こうした方たちみんなで、認知症ケアを含む地域の課題を『お互いさま』と支え合う。そんな『地域ケア』の仕組みを作っていかないと、認知症ケアはいずれ成り立たなくなると感じています」(柿沼さん)

認知症がある人は今後さらに増加し、認知症になる確率(有病率)も高まっていく(グラフは厚生労働省発表のデータを元に筆者が作成)
認知症がある人は今後さらに増加し、認知症になる確率(有病率)も高まっていく(グラフは厚生労働省発表のデータを元に筆者が作成)

要介護になっても地域で自立して暮らすには

地域で支援を必要とする人は、認知症のある人だけではない。いや、広く言えば、他者から何の支援も必要としない人などいない。誰もが様々な人、物、制度、機関などによる支援に依存して生活している。

かつて「依存」は「自立」の対立概念と言われた。しかし今では、「多くの依存先を持つことが自立」とされる。様々なサポートを上手に使いこなすことで、人は自立できるのだ。

物、制度、機関などは、自分に必要な情報を入手・活用する「情報リテラシー」を高めれば、アクセスしてサポートを得られるだろう。

しかし「人」からのサポートを受けるには、時間をかけて関係をつくる必要がある。そして、地域生活を送る上では、物、制度、機関などではカバーしきれない部分がある。そこは「人」に頼らざるを得ない。在宅介護は特にそうだ。

介護人材不足が深刻化する中、それを理解している地域密着の介護事業者は、地域に分け入り、住民との関係づくり、町づくりに取り組んでいる。

たとえば、神奈川県藤沢市の六会地区。

介護事業者「あおいけあ」は、2001年の設立以来、20数年をかけて、地域での信頼を築いてきた。

そして、介護サービスだけですべてをカバーするのではなく、地域で暮らす人たちがゆるやかにつながり、互いの力を借りやすい環境をつくってきた。

認知症のある高齢者や発達障がいのある子ども、引きこもりの子どもなど、様々な事情を持つ人も居心地の良い場づくりを進めてきたのは、こちらの記事①で紹介したとおりだ。

認知症グループホームや小規模多機能型居宅介護などを運営する「あおいけあ」(神奈川県藤沢市)は、設立から20年余りかけて、地域住民とのいい関係を築いてきた(筆者撮影)
認知症グループホームや小規模多機能型居宅介護などを運営する「あおいけあ」(神奈川県藤沢市)は、設立から20年余りかけて、地域住民とのいい関係を築いてきた(筆者撮影)

利用者と介護職が共に町を歩き、顔をつなぐ

地方都市ではどうか。

たとえば、広島県福山市の鞆の浦。

ここはジブリ映画「崖の上のポニョ」の舞台となった、瀬戸内海に臨む美しい漁港である。2022年3月現在の人口は約3500人。高齢化率は48.5%。約2人に1人が高齢者で、しかも3割が後期高齢者だ。

毎年100人近い人口減少が続く。介護職の確保も容易ではない。「介護難民」が発生してもおかしくない状況だ。

2004年に開設した、「鞆の浦・さくらホーム(以下、さくらホーム)」(*3)代表の羽田冨美江さんは、そうした状況がくることを見通していた。そして開設当初から、地域住民の力を借りられる関係づくりを意識し、職員には要介護の利用者と共に地域に出ることを求めた。

現在、「さくらホーム」が運営する小規模多機能型居宅介護(*4)の利用者は90代の夫婦と一人暮らしの高齢者が8割を占める。高齢世帯の介護力は著しく乏しい。

鞆の浦は狭い町である。

利用者と町を歩けば、利用者を知る住民から声がかかる。職員は挨拶を交わしながら顔なじみを増やし、同時に利用者の人間関係を把握するよう努めた。いざという時に力を借りるためである。開設から10年もすると、職員たちは町のほとんどの住民と顔なじみになった。

*3 鞆の浦・さくらホーム……通って利用するデイサービスを併設する、認知症グループホーム。鞆の浦では、通い・訪問・泊まりを組み合わせて利用できる「小規模多機能型居宅介護」の事業所1カ所とそのサテライト事業所2カ所などを運営している。

*4 小規模多機能型居宅介護……通い・訪問・泊まりを組み合わせて利用できる介護保険の地域密着型サービス。在宅介護の限界点を引き上げる切り札的サービスと言われている。

「鞆の浦・さくらホーム」代表の羽田冨美江さん。鞆町を歩くと、様々な人から声をかけられるが、そのたびに「いつもありがとうねぇ」と笑顔で応える姿が印象的だ(写真は本人提供)
「鞆の浦・さくらホーム」代表の羽田冨美江さん。鞆町を歩くと、様々な人から声をかけられるが、そのたびに「いつもありがとうねぇ」と笑顔で応える姿が印象的だ(写真は本人提供)

「頼む」のではなく「頼る」ことで住民の力を借りる

そうして住民との間に頼み事をしやすい関係をつくっても、職員も羽田さんも「お願いします」「手伝ってほしい」とは言わない。

「『助けてほしい』『どうしたらいいかわからなくて困っている』と伝えます。こちらが“頼る”と、みんな力になってくれるんです」(羽田さん)

「頼む」のではなく「頼る」。そうすることで、住民の自発的な行動を引き出す。負担が大きくなりすぎない程度に。

在宅で寝たきりの、ある利用者の家には、午前・午後の数時間、地域住民が訪れている。そして、「さくらホーム」の職員が訪れると交代して帰るのだという。

「見守りが目的ですから、住民の方たちは利用者の横でテレビを見たり、雑誌や新聞を読んだりするだけです。それでも安心ですよね。何かあったら、連絡してもらえますから」(羽田さん)

住民にとっても負担が少ない支援だ。しかし、この支援の意味はそれだけではない。

近隣住民に助けられながら何とか在宅で暮らしてきた高齢者が介護サービスを利用しはじめると、途端に疎遠になる住民は少なくない。「プロが介護するのだから、もう任せておけばいい」と考えるからだ。

それでは結局、介護職だけで要介護者を支えることになってしまう。そうならないよう、介護事業者には住民同士のつながりを断ち切らない配慮が必要だ。

「ただそばにいる」という支援は、それまでのつながりを保つという点でも意義は大きい。

築300年超、江戸時代に建てられた酢の醸造所を改築した「鞆の浦・さくらホーム」(筆者撮影)
築300年超、江戸時代に建てられた酢の醸造所を改築した「鞆の浦・さくらホーム」(筆者撮影)

「知らない」ことが「恐れ」を生む

「さくらホーム」が支援しているのは高齢者だけではない。2014年には、心身に障がいを持つ子を対象とした放課後等デイサービス(*5)「さくらんぼ」を開設した。生きづらさを抱えている子どもを含め、誰もが安心して過ごせる町をつくりたいと考えたからだ。

「さくらホーム」主催の餅つき大会に、重度心身障害児を連れて行ったときのこと。地域住民から、「餅つきは手伝うが、重度障害の子がいると見ていてかわいそうで餅つきが楽しめない。来年から連れてこないでくれ」と言われたことがあった。

羽田さんは、あえてその言葉を聞かなかったことにした。

「それで、翌年もその子を連れて行ったんです。すると、『連れてこないで』と言った住民さんのほうから詫びてきてくれて。それだけでなく、『これがつきたてのお餅だぞ』とその子のほっぺに触れさせてくれたり、その子と触れ合いながら楽しんでくれました」(羽田さん)

人は「知らない」ことによって、恐れを感じる。認知症のある人も障がいのある子どもも、隔離して他者と触れ合わないままでは、理解し合うことができず、「何となく怖い」ままだ。

しかし触れあってみれば、自分とさして変わらない「ひとりの人間」であることに気づく。

お祭りで住民たちが障がい児と触れ合ったことで、その後は一緒に町を歩いていると、いろいろな人が声をかけてくるようになったという。

*5 放課後等デイサービス……小学生から高校生までの心身に障がいを持つ子どもたちが、放課後や夏休みなどの長期休暇中に過ごす居場所

元保育所を活用した放課後等デイサービス「さくらんぼ」は、広い園庭があり、すぐ裏には海。子どもたちが思い切り遊べる環境だ(筆者撮影)
元保育所を活用した放課後等デイサービス「さくらんぼ」は、広い園庭があり、すぐ裏には海。子どもたちが思い切り遊べる環境だ(筆者撮影)

地域の法人同士が協働する時代に

「さくらんぼ」は、単に障害のある子どもたちの居場所をつくるだけではない。学校とも連携し、子どもたちが過ごしやすい環境を整えている。

利用者に不登校の中学生がいた。

学校には行けない。

しかし、「さくらんぼ」の畑仕事には喜んで取り組んでいる。

そこで、少しでも学校に行けたら、そのあと「さくらんぼ」に来て取り組んだ畑仕事も含めて出席扱いにしてもらえるよう、学校に働きかけた。

遊びなど自分のやりたいことでの成功体験を通して成長を促すというのが、「さくらんぼ」の支援方針だ。

羽田さんは今、障害者の就労支援事業所の開設に向けて準備を進めている。この事業所は、障害者施設やこども園など、他の法人と協力しながら運営していく予定だという。

「この町をいろいろな人が住みやすい町にしようと、声をかけたらスッと受け入れてもらえたんですよ。ここ数年で、他法人との連携はとてもスムーズになりました。時代の変化を感じます」(羽田さん)

地域の法人や住民が協働し、互いに支え合える関係を築いていくことで、自分たちの暮らす町はより住みやすくなっていく。鞆の浦では、そのことに気づき、自ら動き始める人が増えてきたのだ。

自分たちの町を変えていけるのは自分たちだと気づけるか。

そして、自ら動いていけるか。

それによって、10年後、20年後、自分の暮らす地域の「介護難民」発生を防げるか、そして、どれだけ暮らしやすい地域にできるかは変わっていくだろう。

介護福祉ライター/社会福祉士+公認心理師+臨床心理士

高齢者介護を中心に、認知症ケア、介護現場でのハラスメント、地域づくり等について取材する介護福祉ライター。できるだけ現場に近づき、現場目線からの情報発信をすることがモットー。取材や講演、研修講師としての活動をしつつ、社会福祉士として認知症がある高齢者の成年後見人、公認心理師・臨床心理士として神経内科クリニックの心理士も務める。著書として、『介護職員を利用者・家族によるハラスメントから守る本』(日本法令)、『多職種連携から統合へ向かう地域包括ケア』(メディカ出版)、分担執筆として『医療・介護・福祉の地域ネットワークづくり事例集』(素朴社)など。

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