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「理想は“介護“のない社会」。認知症ケアで知られる「あおいけあ」加藤忠相氏が示す介護事業者の役割

宮下公美子介護福祉ライター/社会福祉士+公認心理師+臨床心理士
“介護”のない社会とはどんな社会だろうか?(写真:イメージマート)

認知症ケアで知られ、海外からも視察に来る介護事業者「あおいけあ」(神奈川県藤沢市)の代表取締役社長、加藤忠相さん。介護業界ではあまりにも有名な人だ。2021年2月には、不動産会社とコラボレーションし、共生型アパート「ノビシロハウス」を開設した。そんな加藤さんの足跡をたどり、「介護」だけではない介護事業者の役割を2回に分けて紹介する。

あおいけあ代表取締役社長の加藤忠相さん(Facebookより引用)
あおいけあ代表取締役社長の加藤忠相さん(Facebookより引用)

一人称で考える

顔を洗う。歯を磨く。着替える。食事をする。風呂に入る。仕事をする。遊ぶ――当たり前のように繰り返される日々の営み。それを「当たり前」と思えるのは、こうした営みを滞りなくできるからだ。しかし「要介護」になると、すること自体を諦めたり、人から「介護」を受けながら行ったりすることになる。

「“介護”って“介助”して“護る(まもる)”ことでしょ。嫌いなんですよね、僕は。誰だって、介助されて護られることなんて望んでいないでしょ?」と加藤忠相さんはいう。

加藤さんが「あおいけあ」を立ち上げたのは2001年、24歳の時。大学卒業後に就職した特別養護老人ホーム(特養)の「介護」に納得できず、退職。上司や先輩から「わけのわからないこと」を言われずに仕事をするために、自分でグループホーム、デイサービスを開設した。

開設前、加藤さんは先進の介護事業者を見学した。そこで見たのは、それまでの生活の延長線上で「当たり前」に暮らす、介護施設の高齢者たちの姿だ。

一方、当時の特養で加藤さんが経験してきたのは、時間どおりに食事や入浴を提供し、おむつ交換を行う、「介護」という名の「わけのわからない」仕事の回し方。

その違いに衝撃を受けた。

そして、加藤さんは「自分自身が住みたい家は?」「自分の老後だったらどうしたいか?」と、“一人称”で考える介護の提供を志した。

開設した事業所では、当時、当然のように行われていた「ドアに鍵をかける」ことを辞めた。あるべき介護の姿はイメージできていた。しかし、現実はそう簡単にはうまくいかない。

鍵のかかっていないドアから抜け出す利用者を追いかける日々が続いた。

「結局、なぜ出ていきたくなるのかを、まだ“一人称”で考えられていなかったということでしょうね」と、加藤さんは当時を振り返る。

「福祉職はよく『あなたの気持ちはわかる』と言いますけど、何を根拠に『わかる』と言えるんだろうって思う。僕はわかりたいとは思うけれど、正直、わからない。だから、自分だったらどうか、と考えるほうがいいな、と」

当時、毎日のように追いかけて歩いた2人の高齢者が、それを改めて教えてくれた。そんな2人の顔を、加藤さんは今も鮮明に覚えているという。

「あおいけあ」は加藤さんの自宅敷地にあり、グループホーム、小規模多機能型居宅介護とそのサテライト事業所2軒が建つ。壁を撤去し、写真中程の通路を地域住民の通勤・通学路として開放している(筆者撮影)
「あおいけあ」は加藤さんの自宅敷地にあり、グループホーム、小規模多機能型居宅介護とそのサテライト事業所2軒が建つ。壁を撤去し、写真中程の通路を地域住民の通勤・通学路として開放している(筆者撮影)

最初に開設したグループホーム「結」。施設然としたつくりを嫌った加藤さんの「一人称」の好みでログハウスメーカーによる建築(筆者撮影)
最初に開設したグループホーム「結」。施設然としたつくりを嫌った加藤さんの「一人称」の好みでログハウスメーカーによる建築(筆者撮影)

「介護」ではなく「ケア」を

“一人称”で考えるようになったからといって、それですぐに何かが劇的に変わったわけではない。

大きく変わったのは、日中通って利用する「デイサービス」を、2013年に「小規模多機能型居宅介護(小多機)」に事業転換してから。小多機は、通い・訪問・泊まりを組み合わせて365日24時間対応で利用できる、在宅生活を支える切り札的サービスだ。

利用時間が限られ、事業者側ができることにも制限が多い「デイサービス」に比べて、小多機は自由度が高く、事業者による創意工夫の余地が大きい。その分、事業者の力量が試されるサービスとも言える。

時間にも空間にも制限がなく、何をやっても自由。

「自由って、戸惑うんですよ。僕も戸惑った。6時間、通いで利用してもらっている間、何をしたらいいんだろうって。自分が持っている『引き出し』を開けたってたいした物は入っていないし、間が持たない。どうしようって思いました」

そこで気づいたのが、「利用者の引き出しを開ける」ことだった。

「どこで生まれたの? そこって何がおいしかったの?って、相手に興味を持って聞くと、いろいろなものが出てくるんです。それじゃ、それ食べようよ、一緒につくろうよって。そのまま買い物に行ったり、料理をつくったり。小多機はそれができる環境でしたから」

そこから職員も変わっていった。「介護」とはこういうものと「枠」の中で考え、指示を待って動くタイプの職員は自然と去って行った。残ったのは、加藤さんの指示を待つのではなく、「この利用者をもっと知りたい」「この利用者とこういうことがしたい」と、利用者と共に過ごしながらよりよい「ケア」を手探りで実践していく職員たち。

「ケアって『気づかい』でしょ。『お先にどうぞ』『ありがとう』みたいに、お互い気づかい合ってはいるけれど、世話をしているつもりもされているつもりもない。それが多分、良い状況なんじゃないですか」

それが、加藤さんが考える「ケア」。「ケア」が広がれば、「介護」はいらなくなる。加藤さんにとっては、そんな社会が理想だ。そして、「ケア」は、「介護」「普通」「社会保障制度」などの枠には収まらない。

枠に収まらない「ケア」が何を生み出すのか。

それについてはこちら↓の記事を読んでほしい。

「普通って何?」。「あおいけあ」加藤忠相氏が示す「介護」という枠を意識しない介護事業者のあり方

介護福祉ライター/社会福祉士+公認心理師+臨床心理士

高齢者介護を中心に、認知症ケア、介護現場でのハラスメント、地域づくり等について取材する介護福祉ライター。できるだけ現場に近づき、現場目線からの情報発信をすることがモットー。取材や講演、研修講師としての活動をしつつ、社会福祉士として認知症がある高齢者の成年後見人、公認心理師・臨床心理士として神経内科クリニックの心理士も務める。著書として、『介護職員を利用者・家族によるハラスメントから守る本』(日本法令)、『多職種連携から統合へ向かう地域包括ケア』(メディカ出版)、分担執筆として『医療・介護・福祉の地域ネットワークづくり事例集』(素朴社)など。

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