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言わなければ伝わらない! 働きかけることで行政を動かす介護職と聞く耳を持つ行政の関係

宮下公美子介護福祉ライター/社会福祉士+公認心理師+臨床心理士
国や自治体の対応に不満があっても「伝えるすべがない」と諦めている介護職は多い(写真:イメージマート)

不満は訴えなければ伝わらない

高齢一人暮らし世帯の増加。8050問題。ヤングケアラーやダブルケアの問題。そして、介護職不足問題。介護現場を取り巻く問題は年々、多様化、深刻化し、現場の介護職だけでは解決しがたい問題が増えている。介護現場を取材していると、こうした問題に関し、国や自治体に対する批判の声をしばしば耳にする。

集約すると、こんな声だ。

「国も自治体も介護現場の実態をわかっていない」

そうこぼす介護職に対し、筆者は「では、実態や不満を国や自治体に伝えていますか」と問いかける。するとよく聞かれるのは、「どこでどう伝えていいか分からない」「伝える場がない」という答えだ。

筆者が介護現場を取材して記事を書くのは、現場の声を代弁者として伝える意図がある。しかし、本来なら現場の介護職が直接、行政や国に対して訴える方が「不満」「困り感」はストレートに伝わるはずだ。

実際、直接、国や自治体に働きかけて、制度を変えた介護職はいる。例えば、今ではあちこちで運営されている「働くデイサービス」を実現した、特定非営利活動法人町田市つながりの開・理事長の前田隆行さん。

デイサービス「DAYS BLG!」を運営しながら、「介護保険サービスの利用者が働くことは認められない」という厚生労働省と、5年にわたり折衝を重ねた。「認知症になっても人の役に立ちたい」という要介護者の思いに応えるためだ。そして、ついにデイ利用者の有償ボランティア活動を国に認めさせた。

折衝の過程では、厚生労働省の担当者からこんな声も聴いたという。

「自分たちは制度を作ることはできる。しかし、制度のどこが実際の運用での妨げになっているか把握するのは難しい。それを知るためには、現場からの声がどうしても必要だ」

介護現場の現状に不満があるのに、行政に伝える努力を十分にしていないとしたら、何ともったいないことか!

※前田さんの活動については、『医療と介護NEXT』(メディカ出版刊。休刊)2015 vol.1 no.3の筆者執筆の記事より一部改変して引用。

前田隆行さん(写真右から2人目)は、5年間粘り強く厚生労働省と折衝を重ねて、デイ利用者の有償ボランティア活動の承認を得た(写真はBLGのホームページより転載)
前田隆行さん(写真右から2人目)は、5年間粘り強く厚生労働省と折衝を重ねて、デイ利用者の有償ボランティア活動の承認を得た(写真はBLGのホームページより転載)

横浜市を動かした介護職の訴え

ここからは、窮状を訴えた介護職と、その声に応えた自治体の一例を紹介したい。

神奈川県横浜市と介護職とのやりとりだ。

横浜市は、2024年4月に「横浜市介護事業者向けハラスメント相談センター」(以下、相談センター)を開設した。

横浜市が相談センターを開設したのは、ケアマネジャーで訪問介護・居宅介護支援事業所「ステップ介護」所長の日髙淳さんからの強い訴えが、ひとつのきっかけだ。横浜みなと介護福祉事業協同組合理事や日本ホームヘルパー協会横浜支部長も務めている日髙さんは、こう語る。

「2023年に私自身、ケアマネをやめたくなるような利用者の家族からの精神的暴力を受けたことがあったんです。しかもこの件では、『中立・公正』であるはずの横浜市の苦情解決機関から利用者側に立った聞き取り、指導があり、さらにダメージを受けました。

利用者にはこの機関のほか、国民健康保険団体連合会、自治体など不満を訴える先が複数あります。しかし、私たち介護職は、ハラスメントを受けてもどこにも訴える先がない。そのつらさを改めて感じました」

介護職等の支援職が利用者やその家族からハラスメントを受けても訴える先がないのは、以前から指摘されていた問題だ。自治体で最初に介護職等のハラスメント相談窓口を設置したのは、兵庫県。訪問看護師が訪問先で薬物が混入したお茶を飲んで昏倒した事件をきっかけにハラスメント調査が行われ、様々な施策と共に、2017年に開設した。

しかし後を追う自治体はなく、ようやく増え始めたのは2022年に埼玉県ふじみ野市での在宅医等殺傷事件が起きてからだ。しかしその動きは、今も鈍い。

日髙さんは、「主任ケアマネジャーでなかったらケアマネをやめていたと思う」と言うほど、利用者家族の精神的暴力に追い詰められた(写真はイメージ)
日髙さんは、「主任ケアマネジャーでなかったらケアマネをやめていたと思う」と言うほど、利用者家族の精神的暴力に追い詰められた(写真はイメージ)写真:イメージマート

「介護事業者を守ることも運営支援」

利用者家族からの精神的暴力に苦しんだ日髙さんは、横浜市健康福祉局高齢健康福祉部(以下、横浜市職員は部名まで同様)介護事業指導課長の平尾光伸さんにこう訴えた。

「利用者や家族の中には、度を超した対応を求める人もいます。それでも事業所には訴える先がありません。必ずしも問題が解決しなくてもいい。訴えを聴いてもらえるだけでも頑張ろうという気持ちになれる。そういう場がないと、介護職は泣き寝入りしたまま退職してしまいかねません」

この訴えを聞き、平尾さんはそれまで業務に携わる中で介護事業所側に立った視点の意識が薄かったことに気づかされたという。

「介護事業指導課では、利用者に対して質の高い介護サービスの提供を担保することを目的に介護事業所への指導・運営支援を実施しています。またその中では、事業所のサービス提供に対する利用者や家族の苦情・不満の訴えから事業所側へ是正を促すということもあり、あくまで利用者側の目線に立った動きが中心でした。

しかし、日髙さんから介護の現場で起きている現状の訴えを聞かせていただいた時に、事業者側の声を行政がしっかりと受け止めて『介護事業者を守ることも運営支援の一つ』ということに気づかされました。

ちょうどそのころ、令和6(2024)年度の予算編成に向けて、介護職員の負担軽減、定着に向けた支援の課題について議論を進めている時期だったこともあり、すぐに事業者側を守るための新たな取組を検討し、予算計上を目指して動き出しました」(平尾さん)

そして前述の通り、2024年4月、相談センターを開設したのである。

高齢健康福祉部長の粟屋しらべさんは、相談センターについてこう語る。

「開設して間もないこともあり、6月末現在で相談件数は18件です。しかし、相談センターの開設を告知したホームページへのアクセス数は伸びています。相談したいことはあっても、まだ様子を見ていたり、本当に相談してもよいのか迷っている段階なのかもしれません。

これからは新しく介護職員となる人材確保も重要ですが、既に働いている方が安心して働くことができ辞めていくことなく定着してもらうことが必要不可欠です。そのための一つとして、この相談センターが介護職員の皆様の支えとなれればと考えています」

6月25日からは、相談センターのオンライン説明会を開始した。この説明会は、7月1日時点、つまり開始1週間ですでに146件視聴されたという。説明会をオンデマンド方式とした理由については、日々の業務が多忙な事業所に配慮して、それぞれの都合の良いタイミングでいつでも視聴できるようにしたということで、こういう所にも事業者側の視点に寄り添った姿勢が垣間見える。

また横浜市では、相談センターのことをより多くの事業者に知ってもらうための説明リーフレットも作成。こちらはすでに同じく7月1日現在で1184件ダウンロードされている。またこれとは別で今後9月以降に、ハラスメント対策の知識や対応方法を学べる研修実施を企画しているということだ。

ハラスメント相談窓口を先行して開設している兵庫県や埼玉県でも、相談件数自体は決して多くない。しかし、まさに粟屋さんの指摘通り、介護職等からは「相談できる先があるだけで安心」という声が多い。

今後、介護職不足はさらに逼迫していく。介護職等の就労を守るため、ハラスメント相談窓口の設置、そして相談件数を度外視したその継続は、どの自治体においても必要になるだろう。

横浜市のハラスメント相談センターのA4版リーフレット。ハラスメント事例を3ケース紹介したA3版二つ折りのリーフレットもありどちらも横浜市のホームページからダウンロード可能(横浜市ホームページより転載)
横浜市のハラスメント相談センターのA4版リーフレット。ハラスメント事例を3ケース紹介したA3版二つ折りのリーフレットもありどちらも横浜市のホームページからダウンロード可能(横浜市ホームページより転載)

一時的な支援より就労を継続できる支援を

横浜市はこのほかにも様々な施策を、介護職等と頻回にやりとりしながら検討、実施している。横浜市介護支援専門員協議会(YCM)代表理事の加藤由紀子さんは、担当課職員から意見を求める電話があるという。

「例えばケアマネの法定研修の参加費のこと、AIケアプランのことなど、ケアマネに関する様々な問題について、現場の声を聞きたいと電話をいただきます。現場のことをよく考えてくださっていると感じ、こちらも率直な意見を伝えるようにしています」(加藤さん)

例えば、5万円前後かかる法定研修の参加費を助成するのはどうだろうかと聞かれたとき。加藤さんは、「それは大変ありがたいが、それより研修日数を短くしてケアマネとしての実働時間が減らないようにしてもらえる方がありがたい」と伝えたという。

「費用もですが、利用者支援で訪問や電話連絡などさまざまな調整を行うケアマネとしては、研修に参加していると業務に支障が出る場合があります。研修会場では、休憩時間になると何人ものケアマネがスマートフォンを持って廊下に飛び出します。研修の間は電話対応ができないので、受信した電話に折り返し電話をかけるんです。

研修費の助成など一時的な支援より、ケアマネが今後も仕事を続けやすい環境を整える視点で考えてほしいと伝えています」(加藤さん)

利用者からの緊急連絡に対応しなくてはならない場合もあり、研修の休憩時間はスマホを持って廊下に走るケアマネが多いという(写真はイメージ)
利用者からの緊急連絡に対応しなくてはならない場合もあり、研修の休憩時間はスマホを持って廊下に走るケアマネが多いという(写真はイメージ)写真:イメージマート

ケアマネの「シャドーワーク」問題は

ケアマネについては人員不足、そして、その背景の一つとされる業務負担の軽減が全国的な課題となっている。本来業務であるケアマネジメントや給付管理以外の様々な業務がケアマネ宛てに持ち込まれ、無報酬の「シャドーワーク」となっているからだ。

高齢在宅支援課長・吉原祥子さんは、この問題について具体的にどのような業務が依頼されているかを聞き取り、分析を行っていると語る。

「ケアマネジャーに挙げていただいたら、『電球を替えてほしい』『入院中、犬を散歩させてほしいと頼まれた』など、100個以上のシャドーワークがありました。明らかにケアマネジメント業務ではないものも多く、かつてであれば家族が担っていたことを、ケアマネジャーがやむなく引き受けている印象です。

ケアマネジャーは困りごとの解決策をインフォーマルサービスも含めて利用者と一緒に考えていくところまでが仕事です。しかし、中には自分自身でその業務を処理するのも仕事のうちだと誤認しているケアマネジャーがいるという話も聞きました。ケアマネジャーとして何に注力すべきかを、改めて伝えていくことも必要かもしれません」(吉原さん)

犬の散歩は有償ボランティアや「便利屋」に、役所に提出する書類は行政書士など士業の専門職に。本来、ケアマネがやらなくてよい依頼ごとは、ケアマネ自身も意識して手放していく必要がある。

ケアマネが抱える諸課題については国でも検討を進めており、2024年秋にも中間報告が出る見通しだ。ケアマネの諸課題について、前出のYCM加藤さんは言う。

「国でもシャドーワークの問題について検討を進めていますが、介護報酬に加算を付けてケアマネの業務にするような判断はやめてほしい。そう国に伝えてほしいと、横浜市には要望しています」

現場の声を集約して伝え、国を動かすことも、介護職等が自治体に期待する役割の一つだ。横浜市にはケアマネ等介護職の後方支援が期待される。

一人暮らしの利用者などからの「電球を替えてほしい」という依頼など、ケアマネジャーは本来業務ではない様々な依頼を受けている(写真はイメージ)
一人暮らしの利用者などからの「電球を替えてほしい」という依頼など、ケアマネジャーは本来業務ではない様々な依頼を受けている(写真はイメージ)写真:イメージマート

介護事業所と自治体が共に考える「これから」

横浜市では、このほかにもICT導入費用の補助などの業務改善支援や、人材確保支援として法人が介護職員の住居借上げを実施するための費用を補助するなど、介護事業所に対して様々な支援を行っている。

介護人材不足が深刻化している中、2024年度介護報酬改定では、「生産性向上推進体制加算」が新設された。サービスの質の確保、職員の負担軽減、ICT機器の導入、介護助手の導入などをさらに推進することが目的だ。これを受けて「横浜市では業務改善や生産性向上の意義、必要性への理解を促すところから支援する予定」と、高齢健康福祉課長の鴨野寿美夫さんは語る。

「働き手が不足する中、介護人材の確保とあわせて、今いる人材の活躍を促し、働きがいのある職場づくりを進めて定着を支援しなくてはなりません。働きがいのある職場にするには、専門職が専門業務に集中できる環境を整える必要があります。それはICTやロボットの活用だけでなく、いわゆる介護助手の導入によって周辺業務をカバーすることでも促進できます。

あるいは、週休3日制の導入などもあっていい。それぞれの職場でどのような業務改善に取り組みたいかを検討していただき、そこに短期的にコンサルティング事業者の支援を入れていく。その結果を成果報告会のような形で市内の事業所にフィードバックする取り組みを、今年度は進めていく考えです」

どのような支援メニューをそろえても、介護職、事業所に有効活用してもらえなくては意味がない。横浜市では、だから現場の声を聞くことを大切にしている。例えばICTの導入が進まない背景に関しては、導入コストの問題だけでなく使いこなせるかが心配だという声があると知り、導入後の“伴走型”の支援についても検討しているという。

横浜市としては、今後の介護はどうあるべきだと考えているのだろうか。

前出の粟屋さんに聞いてみた。

「すべてのサービスが十分あるとは言えないかもしれませんが、横浜市ではいろいろな選択ができる状況にあります。それは横浜市の強みです。このサービスの量と質を今後も確保していきたい。将来にわたって介護サービスが安定的に提供できる横浜市でありたいのです。そのためには、介護人材を確保し定着していただくことが欠かせません。介護が選ばれる仕事となるよう、介護事業所のみなさんと一緒に取り組んでいきたいと思っています」

少子高齢化の進展により、人材不足は介護業界に留まらない。今後は各業界入り乱れての人材獲得合戦が激化していくだろう。介護保険制度に基づいて提供される介護サービス、そして介護業界は制約が多く、課題は人材不足だけでなく山積みだ。だからこそ、介護職、介護事業所、自治体が率直に意見を交わしながら、その自治体なりのあるべき姿を見出していく必要がある。

前出の日髙さんは、こう語る。

「今の横浜市職員の方々は、私が介護事業に携わるようになってからの20年余りで最も事業所の声を聴いてくださいます。ほんとうにありがたいことです。もっといろいろ意見を交わしながら、これからの横浜の介護を共に考えていければと思います」

さて、あなたの自治体では率直な話し合いができているだろうか?

介護職、介護事業所、自治体職員、それぞれの立場で振り返り、考えてみてほしい。

(2024年7月1日取材)

介護福祉ライター/社会福祉士+公認心理師+臨床心理士

高齢者介護を中心に、認知症ケア、介護現場でのハラスメント、地域づくり等について取材する介護福祉ライター。できるだけ現場に近づき、現場目線からの情報発信をすることがモットー。取材や講演、研修講師としての活動をしつつ、社会福祉士として認知症がある高齢者の成年後見人、公認心理師・臨床心理士として神経内科クリニックの心理士も務める。著書として、『介護職員を利用者・家族によるハラスメントから守る本』(日本法令)、『多職種連携から統合へ向かう地域包括ケア』(メディカ出版)、分担執筆として『医療・介護・福祉の地域ネットワークづくり事例集』(素朴社)など。

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