名古屋発祥の公園遊具「富士山すべり台」に国交省のお墨付き。唯一無二の研究家のホンネとは?
公園制度ができて150周年の記念公園に登録
名古屋の公園でしばしば見かける富士山のような形の遊具、通称「富士山すべり台」(正式名称「プレイマウント」)。その第1号が、先ごろ国土交通省の「都市公園制度制定150周年記念公園施設」に登録されました。
都市公園制度の始まりは1873(明治6)年。各地の名所が公有地化・開放され、東京の浅草公園や上野公園などが「公園」に指定されました。今回はこれを記念する事業の一環で、都市公園の役割を象徴する全国165の施設が登録されました。
名古屋市から登録されたのは1966(昭和41)年につくられた吹上公園(名古屋市昭和区・千種区)の「プレイマウント」、そして2020年にリニューアルしたHisaya-odori Park(久屋大通公園)の「ミズベヒロバ」の2件。市民に愛されてきた昭和の遊具、最新の映えスポットという対照的な2施設がピックアップされました。
名古屋市の図面を元に職人らが現地で手づくり
富士山すべり台(ここからは親しみをこめてこう呼びます)は、名古屋発祥の公園遊具。主に昭和の時代、公園の整備に合わせてつくられ、周辺地域を含めて100基以上が現存します。一度にたくさんの子どもたちが遊べるようにと設計されたデザインは、児童数が多かった時代性を反映したもの。名古屋市の職員が図面を引き、それを元に造園や土木の業者、左官の職人らが手がけました。公園ごとに異なる業者が担当し、図面にも細かい指示はなかったため、ひとつひとつ色や細部の仕上げが微妙に異なるのもユニークです。
今回の登録について、名古屋市の担当者はこう語ります。
「公園にある数多くの遊戯施設の中でも、プレイマウントは遊んだ頃の思い出や登った時の喜び、そのシンボル性など、市民の皆様にとって大変愛着のある遊具だと認識しています。今後も親しんでいただけるよう、名古屋発祥の遊具としてPRしていけたらと思っています」(名古屋市緑政土木局担当者)
名古屋っ子ならみんな大好き。でも名古屋発祥とはみんな知らない
休日に現地を訪れると、たくさんの子どもたちが富士山すべり台に登っては滑り、楽しそうに遊んでいました。
「この公園は初めてですけど、近所の公園にもあるので“富士山公園”と呼んでよく遊んでいます。親は見ていてちょっとはらはらしますけど、子どもは全然怖くないみたいですね」(6歳の男の子のお母さん)。「自分も子どもの頃からここで遊んでいました。自分は“富士山”と、子どもたちは“お山”と呼んでいます。上の子は上まで登って滑っていて、下の娘はまだ途中までしか登れませんが、それでも楽しそうです」(3歳と1歳の娘さん連れのお父さん)
このように親しまれている富士山すべり台ですが、「名古屋と近郊にしかない」というと、ほぼ全員が「えっ、そうなんですか!?」と驚きます。今、遊んでいる子どもたちの親世代にとっても幼少期から慣れ親しんできた遊具のため、どこにでもあると思っている人が多いのです。
また、実はほんの数年前まで、当の名古屋市も富士山すべり台の歴史を正確に把握してはいませんでした。どこにいつつくられ、何十基現存するのか、公式な記録は一切存在していなかったのです。
市も把握していなかったデータを徹底的に調査
これを丹念に調べ上げたのが愛知県在住の会社員、牛田吉幸さんです。その調査研究の成果は、2021年に『名古屋の富士山すべり台』という一冊にまとめ上げられました。同書は現存する127基(出版当時)の富士山すべり台を、写真、公園・団地名、所在地、設置年、形と直径など詳細なデータとともに紹介。製造に関わった関係者、彫刻の専門家のインタビューまでを盛り込んだ、ニッチでマニアックすぎる民俗文化史ともいうべき内容となっています。
“唯一無二の富士山すべり台研究家”、牛田さんですが、意外や最初は深い興味を持って調べ始めたのではなかったといいます。
「写真が趣味で、それまでも鉄道や、本物の富士山のある風景などを被写体にしてきました。かれこれ20年ほど前に、他に何かいいネタはないかと思っていたところ、名古屋市内の公園でふと富士山型の遊具が目に入ってきた。そういえば時々目にするな、と思って周辺の公園にも足を運ぶとやっぱりある。でも、よく見ると色や形が少しずつ違う。“同じ構図でたくさん撮ると面白いのでは・・・”とひらめいて、写真をコレクションするようになったんです」
牛田さんが公園をめぐって調べていくと、どうやら富士山型の遊具は名古屋とその周辺にしかないことが分かってきました。しかし、図書館にも市役所にも、数や設置年に関する資料はありません。そこで牛田さんはこつこつと公園に足を運び、さらには過去の航空写真を年度ごとに丹念にチェック。航空写真で公園の中に「◎」の形に見えるものがあればそれが富士山すべり台です。◎を見つけたら過去の写真をさかのぼり、同じ場所に◎がなければその撮影年か翌年に富士山すべり台がつくられたことになります。そんな気の遠くなるような作業を積み重ねて、所在地や設置年の記録をまとめ上げていったのです。
本の出版と前後して、地元のニュース番組でとり上げられたり、牛田さんが図書館での写真展や町歩きのツアーを開催するなどし、富士山すべり台への関心はじわじわ高まっていきました。今回の国交省の事業への登録の背景に、牛田さんの研究があったことは間違いありません。
国交省のお墨付きを研究者はどう受け止めた?
そんな牛田さんは、今回の富士山すべり台の国交省の事業への登録をどう感じているのでしょうか?
「公園や公園遊具が研究の対象になる、その貴重な第一歩だと感じています」
富士山すべり台が日の目を見てうれしい・・・というよりも、牛田さんが思いをはせるのが全国の公園と遊具の検証です。
「関東大震災の復興事業でつくられたコンクリート製すべり台がある東京の川南公園(江東区)や、コンクリート製築山遊具第1号の入谷南公園(東京都台東区)の石の山、北九州市に数多く見られるタコのすべり台も登録されています。公園の遊具は都市計画の下につくられ、時代を反映しているもの。にもかかわらず、検証される前に撤去されてしまうものも多い。歴史的にどんな意味や価値があるのか、今回の登録をきっかけにちゃんと研究されるといいな、と思っています」
コンクリート製遊具の多くは昭和の時代につくられたもの。近年は安全面への配慮から、コンクリートという素材が遊具に用いられることはほとんどなくなっています。しかし、だからといって富士山すべり台は決して過去のものではないと牛田さんはいいます。
「標準図面を元にかつてと同じようにつくれることに価値がある。現存するものをすべて残すことは難しいでしょうが、つくろうと思えばつくれる状態を維持することが重要です。事実、2019年に名古屋市で20年ぶりに富士山すべり台が新設されました。表面の研ぎ出しができる左官職人は全国でも減っていて、様々な技術を継承するためにも、式年遷宮みたいに20年に一度くらい新作をつくれるといいですね」
名古屋市も「公園自体が姿を変えていく可能性があり、今後プレイマウントの撤去や更新もあり得ます。しかし、可能な限り補修などをしながらこれからも大切にしていきたい。地域の皆様の思いを尊重しながら、ひとつひとつ判断していきたいと考えています」(緑政土木局担当者)と話します。
公園、そして公園遊具は広く親しまれながらも深く顧みられてこなかった、こぼれ落ちた民俗文化です。あらためて着目して調べていくと、思わぬ時代背景や地域性が浮かび上がってきます。名古屋を訪れた際には是非、富士山すべり台のある公園に足を運び、同時に皆さんの町にある公園にも目を向けてみてください。
(写真撮影/クレジット入りの写真は牛田吉幸さん撮影。他は筆者)