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トランポリン界のニューヒロイン・森ひかる 天真爛漫な21歳の「武器」

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
19年世界トランポリン選手権で金メダルに輝いて歓喜する森ひかる(写真:アフロ)

 天真爛漫な世界女王が、地元で開催されるスポーツの祭典に胸を焦がしている。トランポリンの19年世界選手権女子金メダリストで、東京五輪の日本代表に内定している森ひかる(金沢学院大3年、金沢学院大クラブ所属)は、東京都出身の21歳。武器は、縦3回宙返りにひねりを入れた2種類の「トリフィス」という大技だ。

 7月30日は東京五輪で行われるトランポリン女子決勝の1年前。日本トランポリン界悲願の金メダルを目指すニューヒロイン候補にスポットを当てる。

■「自分じゃないくらい、笑顔が消えました」

「無理はせず、楽しむことを忘れないように、できることをやっています。大学のトランポリン部の仲間たちと一緒に練習やトレーニングをすると励みになりますし、頑張れます」

 6月30日。日本トランポリン界のエースである森は、16歳の時から拠点としている石川県金沢市の金沢学院大学で練習を行い、現在の率直な気持ちをコメントとして寄せた。

 大学では4月中旬から5月下旬まで活動が自粛となり、森も自主トレを余儀なくされた。4歳でトランポリンを始めて以来、「こんなに長く休むのは初めて」(森)。体幹トレーニング、イメージトレーニング、縄跳びなどを続け、コンディションを維持したという。

 しかし、モチベーションを保つのは難しかった。

「何年もかけて“20年7月”に合わせてきたので、急に1年延期と言われてもなかなか前を向けず、自分じゃないくらい笑顔が消えました」

普段の森はとびきりの笑顔が魅力の21歳(金沢学院大学第二体育館にて:代表撮影)
普段の森はとびきりの笑顔が魅力の21歳(金沢学院大学第二体育館にて:代表撮影)

■リオの時は年齢制限が……誰よりも長く、東京五輪だけを見つめてきた

 とびっきりの明るさで、その場をパッと明るくさせるのが森の魅力。天真爛漫な彼女が「笑顔が消えた」と言うとは……。

「東京五輪」という目標がいかにアスリートにエネルギーを注いできたか。また、アスリートが東京五輪にどれだけエネルギーを注いできたか。そのことをあらためて感じさせる言葉だった。

 心中を察するに余りある努力を積み重ねてきた。東京五輪の開催が決まった13年9月、森は東京在住の中学2年生。その3カ月後の同年12月、「7年後」を想像しながら高揚する気持ちで全日本選手権に臨むと、男女を通じて史上初となる中学生での全日本選手権優勝を果たした。

「ビックリしています」と、信じられないような表情を浮かべながら、「東京五輪でも優勝したい」ときっぱりと言った。3年後の16年にはリオデジャネイロ五輪があったが、年齢制限により出場できないことが分かっており、東京五輪を見つめてきた時間は誰よりも長かった。

■高1でトランポリン王国の石川県に転校

 リオ五輪イヤー前年の15年、森は東京都内の高校に進学した。しかし、より高いレベルの環境でトランポリンに打ち込みたいという思いが日に日に増した。

「トランポリンに懸けたい」と気持ちを固めた森は、高1の秋に、あこがれの岸彩乃(ロンドン五輪出場)とともに練習のできる金沢学院高校に転校した。トランポリン王国と呼ばれ、何人もの五輪選手を輩出してきた石川県。転校にともなって、森は母と石川県で暮らし始めた。実家には父と兄2人が残った。いわば、一家そろっての決断である。森の「何年もかけて」という言葉には実感がこもっている。

 ただ、東京五輪の1年延期で気持ちが大幅に落ち込みはしたが、ここでへこたれないのが彼女の強さだ。周囲の人々の支えもあり、生来の前向きな気持ちが復活した。五輪延期決定から約3カ月がたった頃、森はこう言った。

「諦められないという気持ちが高まると同時に、この1年という時間を無駄にせず、何か意味があるものにしようと思うようになりました。何年か後に、この期間があってよかったと思えるようにしたいです」

:つま先までピンと伸びた空中姿勢が美しい(金沢学院大学第二体育館にて:代表撮影)
:つま先までピンと伸びた空中姿勢が美しい(金沢学院大学第二体育館にて:代表撮影)

■小6でマスターしていた2種類の「トリフィス」

 東京五輪で見せたい大技がある。3回の縦回転中にひねりを入れる「トリフィス」だ。森は「屈身」と「抱え込み」の2本を試合で使っているが、これができるのは世界でも限られた選手だけ。

 トランポリンは約20秒間に10本の技を連続で行う採点競技。トリフィスを跳ぶにはジャンプの高さと正確性が求められるため、連続する10本の技に組み込むのは極めて難しいのだが、森はこのトリフィスを小学生の頃からマスターしていたというのだから驚きだ。天才と呼ばれるゆえんである。

「トリフィスは、小6ぐらいに2本入れるのを覚えて、中学生になってからは試合でもやっていました。その頃は、余裕でできていて、自分では“これが普通だ”と思っていました」

 けれども、金沢学院高校に転校した後、基礎に立ち返るためにいったんトリフィスを2本とも抜いた演技構成に変えた。

 それから3年が過ぎた19年夏、満を持してトリフィス2本を組み込む“勝負構成”を導入。12月に東京五輪会場となる有明体操競技場で行われた世界トランポリン選手権でトリフィス2本を美しく決め、見事に優勝を飾った。

 森は言う。

「トリフィスを抜いて練習していた時期は、これで大丈夫かと不安になることもありました。でも、難度が低い技のみの構成だと、高得点を取ろうと思ったら、1本もおろそかにすることはできない。1本1本の詳細な注意点が全部頭に入るようになったことが、今に繋がっています。しっかり綺麗に高さと場所を意識してやっています」

 難度を下げ、基礎を丁寧に磨き上げたことで、森は世界的にも定評のある「ミスの少ない選手」となっていた。

森を見守るのは丸山(旧姓・古)章子コーチ。2000年シドニー五輪で日本女子史上最高成績である6位入賞を果たした日本トランポリン界のパイオニアだ(金沢学院大学第二体育館にて:代表撮影)
森を見守るのは丸山(旧姓・古)章子コーチ。2000年シドニー五輪で日本女子史上最高成績である6位入賞を果たした日本トランポリン界のパイオニアだ(金沢学院大学第二体育館にて:代表撮影)

■生まれ育った東京を舞台に、頂点を目指す

 東京五輪は森にとって、文字通りの「地元開催」となる。これは利点だ。

 金メダルを獲った昨年の世界選手権で、森を指導する丸山章子コーチはこう語っていた。

「ずっと、地元開催はプレッシャーの方が大きいと思っていたのですが、彼女にとっては地元の友だちが会場に応援にきてくれたり、地元開催の良さを感じる大会でした。彼女自身、最初はプレッシャーを感じていたと思うのですが、エースと呼ばれるにはこの中でもしっかり演技をしていかないといけないと思って送り出し、その結果、しっかりと演技をしてくれてホッとしています」

 今、森は1年後を見据えて気持ちを切り替えてトレーニングに励んでいるという。

「東京五輪が1年延期となったとはいえ、大きな舞台であることに変わりはなく、最後はそこで自分の力をしっかり出し切れるよう、あと1年、頑張っていきたいです」

 伝家の宝刀である「トリフィス」と地元の声援。2つの武器を携えている21歳は、「笑うと気分も上がる。今後も笑顔を忘れないようにしていきたいと思います」と、今、再びのスマイルを見せている。

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【連載 365日後の覇者たち】1年後に延期された「東京2020オリンピック」。新型コロナウイルスによって数々の大会がなくなり、練習環境にも苦労するアスリートたちだが、その目は毅然と前を見つめている。この連載は、21年夏に行われる東京五輪の競技日程に合わせて、毎日1人の選手にフォーカスし、365日後の覇者を目指す戦士たちへエールを送る企画。7月21日から8月8日まで19人を取り上げる。

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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