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「酒蔵を守りたい」台風19号浸水の老舗酒造、仲間の支援で仕込み続ける

なかのかおりジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員
酒蔵の再建に取り組む福島県本宮市の大天狗酒造 なかのかおり撮影

福島県本宮市の「大天狗酒造」は1872年創業の老舗だ。2019年10月の台風19号で、酒蔵が60センチ浸水した。瓶詰めや瓶洗いの機械は壊れ、仕込み直前の米と麹も、湿気で使えなくなってしまった。力になってくれたのは県内外の知人たち。片付けに駆けつけたり、SNSで支援を呼びかけたり。地域のために酒造りを続け、にぎわいを取り戻すため、酒蔵を改装し、一部を交流スペースにする計画を立てた。クラウドファンディングが1月に始まり、同時に手作業で仕込みの真っ最中だ。現地を訪ね、社長の伊藤滋敏さん(65)に聞いた。

社長の伊藤さんと杜氏の小針さん親子 なかのかおり撮影
社長の伊藤さんと杜氏の小針さん親子 なかのかおり撮影

創業明治5年。酒造業を始める時、倉庫に残った行李から天狗のお面が見つかり、「大天狗酒造」と名付けられた。安達太良山の伏流水と県産米を使い、少量ずつ手作業で仕込む。多くは地元で消費され、昔から続くお祭りの際も愛飲されてきた。

●あっという間に水が

各地に被害が広がった、2019年10月12日の台風19号。就寝していた伊藤さん一家が、水が上がってきていると気がついたのは、日付が変わる頃だったという。その日は、避難所を開設したので避難を、という防災無線がずっと入り続けていた。「雨も上がったし、大丈夫だと思っていた。ところが、気がついてから一気に水かさが増えた。阿武隈川の堤防は改修中で、古い低い部分から水が溢れてきたらしい。さらに安達太良川も決壊。すごい勢いで濁流が流れて、外にはとても出られない状況でした」

伊藤さんは、とにかく蔵の物を片付けなければと思い、家族4人で蔵にある米と、作ったばかりの麹を少し高いところにあげた。電源も落としておいた。どんどん水かさが増え、隣接する公共施設の避難所へ、工場の窓からつたって避難した。避難所で、一晩過ごした。蔵や家の中はどうなっているんだろう、と心配でたまらずじっとしていられなかった。

●近隣の酒蔵が減る中で

酒蔵は長い歴史の中、水害に合ったことはなかった。伊藤さんは早稲田大学を卒業後、醸造試験場で酒造りの基本を勉強した。その後、実家に戻り、卸会社に勤めた。30代前半は、岩手から出稼ぎに来ていた南部杜氏と一緒に、蔵で働いた。

父が亡くなって、社長になった。当時は、近隣の酒蔵が合同で、隣接する二本松市に工場を作り、集約製造していた。原酒になるまで、そこに通って作業した。瓶詰めや保管は、それぞれの蔵でやっていた。ところが日本酒が売れなくなって、他の酒蔵が辞めていった。10社ぐらいあったのが、その半分以下に減り、本宮では唯一残った。15年ほど前から、大天狗酒造で全ての作業をするようになった。

「外国のお酒に押され、高齢化社会が進んだこともあり、日本酒を飲む人が減った。今は日本酒が話題になって盛り返して見えますが、若い人がお酒をあまり飲まなくなったように思います」

大天狗の商品 なかのかおり撮影
大天狗の商品 なかのかおり撮影

●震災後、前進した矢先

2011年の東日本大震災の際は、仕込み途中の時期で、酒蔵の一部が壊れた。福島第一原発事故による風評被害で、東京方面の販路が少なくなったという。県内の旅館にも納めていたが、避難所になって宿泊や宴会がなくなった。もともと地元で消費される割合が多く、売り上げは半分になってしまった。そこから通常に戻るのに、数年はかかった。チャレンジを始め、地元の梅を使って特産品を作りたいという話があり、梅酒を作ってみたところ、好評だった。

2014年には娘の小針沙織さん(32)が実家に帰ってきて、活気が増した。新しい商品の開発や飲食店への働きかけを進め、酒造組合のイベントや物販に参加するようになった。ラベルもデザイナーに依頼して一新し、新しいタイプのお酒を作った。台風による被災は、前進してきた矢先のことだった。

梅酒も発売した なかのかおり撮影
梅酒も発売した なかのかおり撮影

●駆けつけてくれた仲間

台風19号時の浸水は、翌朝になっても引かなかった。明るくなって、伊藤さんたちが工場の窓をつたって戻ってみると、蔵の水も引かず、手をつけられない状態だった。「米も麹も湿気を含んで、ダメになってしまっていた。せっかく上にあげたのに…。午前中に水が引き始め、お昼ぐらいには水がなくなった。でも何から手をつけていいかわからなかった」と伊藤さんは振り返る。

そんな中、日頃の縁で、支援者が現れた。付き合いのある酒蔵、お客さん、小針さんの夫の同僚など、30人ぐらいが片付けや手伝いをしに駆けつけてくれた。県外からも何人かいた。

とにかく濡れたものは捨てるしかない。どんどん蔵から運び出した。行政のゴミ集積場が開設されると、車で往復した。泥の掃除も必要だった。酒屋の仲間がバキュームを持ってきてくれて、すごく助かった。10月いっぱいは、片付けと掃除に費やした。

「製品も濡れてしまって、通常は販売できないものを、知人がSNSで呼びかけ、取りに来られる人が買ってくれた。配送もできない状況で、ありがたかったです」

(後編に続く)

ジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員

早大参加のデザイン研究所招聘研究員/新聞社に20年余り勤め、主に生活・医療・労働の取材を担当/ノンフィクション「ダンスだいすき!から生まれた奇跡 アンナ先生とラブジャンクスの挑戦」ラグーナ出版/新刊「ルポ 子どもの居場所と学びの変化『コロナ休校ショック2020』で見えた私たちに必要なこと」/報告書「3.11から10年の福島に学ぶレジリエンス」「社会貢献活動における新しいメディアの役割」/家庭訪問子育て支援・ホームスタートの10年『いっしょにいるよ』/論文「障害者の持続可能な就労に関する研究 ドイツ・日本の現場から」早大社会科学研究科/講談社現代ビジネス・ハフポスト等寄稿

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