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マラカナンでの観戦歴を持つエリザベス女王。ペレとのツーショット写真には逸話も

下薗昌記記者/通訳者/ブラジルサッカー専門家
エリザベス女王が死去。世界中に悲しみが広がっている(写真:ロイター/アフロ)

 イギリスのエリザベス女王が9月8日、亡くなった。訃報を受け、世界各地で弔意が示されているが、ブラジルも例外ではない。サッカーの王様ペレは訃報直後にSNSで追悼の意とありし日の女王との思い出を振り返っている。ペレは1968年、満員のマラカナンスタジアムでキャリア通算900ゴール目をゲット。その光景を目撃した10万人の中の一人が、ブラジルを訪問中だったエリザベス女王だった。

王様ペレもエリザベス女王の死を悼んだ

 リオデジャネイロの観光名所、コルコバードのキリスト像はイギリス国旗の色でライトアップされたが、生前、エリザベス女王はブラジルサッカー界の聖地、マラカナンスタジアムでサッカーを観戦したことがある。

 ペレは訃報直後に自身のツイッターにこう綴った。

 「エリザベス 2 世が1968年、私たちのサッカーに対する愛を目の当たりにするためにブラジルに来て、満員になったマラカナンの魔法を体験して以来、私はエリザベス 2 世を心から尊敬してきました。その功績は何世代にも渡って刻み込まれている。この遺産は永遠に続くものです」

 世界各国を訪れてきたエリザベス女王は、一度だけブラジルに足を運んだことがあった。

 訃報直後にアップされた9月8日付けのグローボ紙のオンライン記事は「女王の試合。1968年、マラカナンでエリザベス2世は王様ペレが900得点を決めるところを観た」との見出しで歴史的な一戦にまつわるエピソードを紹介している。

 グローボ紙によるとエリザベス女王とフィリップ殿下の南米訪問は、外交の一環であり、ブラジルやチリなどの南米諸国との関係強化が目的であったという。また、1966年のワールドカップ・イングランド大会でペレが相手のラフブレーで足を痛め、大会を棒に振っていたこともあって、エリザベス女王自身が、ペレと会うことを望んでいたとの噂もあった、とグローボ紙は記している。

 1968年11月にブラジルに降り立ったエリザベス女王はペルナンブーコやサウヴァドール、サンパウロなどに足を運び、11日間の日程の最後にリオデジャネイロにやってきた。

 マラカナンスタジアムで行われたのはサンパウロ州選抜とリオデジャネイロ州選抜の一戦である。

 近年のブラジルでは州選抜による試合が行われることはまずないが、当時は州選抜の対戦は人気カード。そして、海外でプレーするスターが皆無に近かった時代のブラジルだけに、その顔ぶれは豪華そのものだった。

 サンパウロ州選抜ではペレ、リヴェリーノ、ブラジル史上最高のキャプテンとして名高いカルロス・アウベルト・トーレスらがプレー。リオデジャネイロ州選抜にはジェルソン、フェリックス、パウロ・セーザルらが名を連ねたが、その多くが、2年後にブラジル史上最強と言われるメキシコ大会の主力として3度目のワールドカップ制覇に貢献するのである。

 試合翌日のグローボ紙の紙面では貴賓席で双眼鏡を手にし、試合に見入るエリザベス女王の写真を掲載している。

 85000人、一説によると10万人が詰めかけたといわれるこの試合は3対2でサンパウロ州選抜が勝利しているが、ペレはキャリア通算900点目を決めている。

 試合後には両チームのキャプテンが、貴賓席でエリザベス女王に謁見することが決まっていたが、本来、ペレは貴賓席に向かう予定ではなかった。

 サンパウロ州選抜のキャプテンは、かつてブラジルのテレビ局の取材に対して、ペレが貴賓席に迎えるように試合後にキャプテンマークを渡したと話しているが、かくしてペレはリオデジャネイロ州選抜のキャプテン、ジェルソンとともにエリザベス女王の前に立ち、ペレは勝利チームを讃えるトロフィーを手渡されている。

 既にサッカー界の王様の地位を確立していたペレではあるが、当時まだ28歳。頭を下げながらエリザベス女王と握手する光景の写真からも、その緊張具合が伝わってくるが、グローボ紙によると自己紹介しようとしたペレに対して「知っています。貴方のお名前は既に存じ上げています。ご挨拶できて非常に嬉しく思います」と声をかけたと言う。

 ペレは訃報直後、インスタグラムにエリザベス女王とフィリップ殿下と写ったマラカナンでの写真を投稿。「この悲しき日に、私は皆さんとこの思い出を分かり合い、英国王室と英国の全ての友人に親愛の情と祈りを込めたメッセージを送ります」と綴った。

 イギリスで歴代最長となる70年間、在位した偉大な女王は、サッカー王国にも確かな足跡を残していた。

記者/通訳者/ブラジルサッカー専門家

1971年、大阪市生まれ。大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)でポルトガル語を学ぶ。朝日新聞記者を経て、2002年にブラジルに移住し、永住権を取得。南米各国でワールドカップやコパ・リベルタドーレスなど700試合以上を取材。2005年からはガンバ大阪を追いつつ、ブラジルにも足を運ぶ。著書に「ジャポネス・ガランチードー日系ブラジル人、王国での闘い」(サッカー小僧新書)などがあり、「ラストピース』(KADAKAWA)は2015年のサッカー本大賞で大賞と読者賞。近著は「反骨心――ガンバ大阪の育成哲学――」(三栄書房)。日本テレビではコパ・リベルタドーレスの解説やクラブW杯の取材コーディネートも担当。

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