「寺山修司」と「週刊少年ジャンプ」の1968(昭和43)年
50年と聞けば遠い過去か、遥か未来を思ってしまいます。しかし当然ですが、そんなに単純なものではありません。特に「文化」という地下水脈において、過去と現在は確実に、しかも濃密につながっているようです。2冊の近刊がそれを教えてくれました。
●石黒健治『青春 1968』彩流社
ちょうど50年前の1968(昭和43)年に撮影された、俳優、歌手、作家、美術家など130人を超すポートレート。写真集『青春 1968』に並んでいるのは、当時すでに「何者か」であった人たちです。いや、だからこそ写真家・石黒健治はレンズを向けたのでしょう。被写体を選択するその眼は的確で鋭いと言えます。何しろ、私たちは彼らの「その後」を知っているのですから。
巻頭を飾る寺山修司(33歳・以下すべて当時)は、前年に演劇実験室「天井桟敷」を結成したばかりです。女優・大山デブ子の背中に頬を寄せ、レンズを正面から見つめる口元には不敵な笑みが浮かんでいます。寺山の旗揚げ公演『青森県のせむし男』などで主演を務めたのは丸山(美輪)明宏(33歳)。本でも読んでいるのか、その横顔のアップは美青年と呼ぶしかない妖しさです。
翌年に『新宿の女』で歌手デビューすることになるのは藤圭子(17歳)です。特徴のあるおかっぱ頭。パンツスーツの上着のポケットに両手を突っ込んだ少女の表情からは、45年後に自死を決意する天才歌手の運命を読み取ることはできません。また、2年後に当時の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地へと向かう三島由紀夫(43歳)も、セーターにジーンズというラフな服装で何かを見つめています。
この年、フランスではパリを中心に「五月革命」が始まり、チェコスロバキアでは「プラハの春」と呼ばれる民主化運動が起こりました。日本でも、原子力空母エンタープライズの佐世保入港を阻止する闘争や、成田空港建設反対運動などが展開されました。
こうした活動の中核を担ったのが学生たちであり、本書には全学連委員長・秋山勝行(26歳)の肖像が収められています。さらに67年の羽田闘争を取材中のジャーナリスト、岡村昭彦(39歳)の姿も見ることができます。まさに「同時代ドキュメント」というべき写真集です。
●後藤広喜『「少年ジャンプ」 黄金のキセキ』 ホーム社
今年、「週刊少年ジャンプ」(以下「ジャンプ」)は創刊50周年を迎えます。元編集長である著者が、新入社員として「ジャンプ」編集部に配属されたのは創刊から2年後の1970(昭和45)年。発行部数はすでに100万部を超えていました。編集長に就任した86年が450万部。退任翌年の94年には653万部の最高記録に達したのです。
そんな「ジャンプ」の歴史を、どんな漫画家がどのような作品を描いてきたのかという、最も興味深い視点でたどっていくのが本書です。おかげで回想記を超えた漫画家論、漫画作品論、そして漫画創作技術論になっています。
たとえば、創刊当時はギャグ漫画が主流だった「ジャンプ」に革命を起こしたのは本宮ひろ志『男一匹ガキ大将』でした。キーワードは暴力、金力、権力の3つ。著者はアクションシーンの構図や感動シーンの演出などを通じて魅力を解説していきます。
また鳥山明『DRAGON BALL』の面白さの要因はキャラクターの造形と描写であり、人間関係も物語展開もシンプルであることだと指摘。それは言葉よりも「映像の連続で考える」鳥山の姿勢から来ていました。
さらにスポーツ漫画の金字塔、井上雄彦(たけひこ)の『SLAM DUNK』。ワンシーンの細部に宿るキャラクター像が見事ですが、それを支えているのは井上の図抜けた画力だと言います。
この本のもう一つの特色は、漫画家と編集者との関係を明かしていることでしょう。元々「ジャンプ」は後発だったため、新人の育成に力を入れてきました。
著者が初めて担当した新人は『アストロ球団』の中島徳博です。より読者の意表をつくアイデアを求める若い2人は、二人三脚どころか七転八倒。激した著者は、なんと中島の頭をトレーシングペーパーで殴ってしまいます。漫画が最も熱い時代の熱いエピソードです。
よく知られているように、「友情」「努力」「勝利」はこの少年漫画誌の編集方針ですが、漫画家と編集者と読者をつなぐ約束の言葉でもあったのです。