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この男女の関係を、あなたは理解できるか?心をざわつかす!愛の極致の物語へと行き着く理由

水上賢治映画ライター
「愛のまなざしを」の万田邦敏監督  筆者撮影

 この男女の関係を、どう受けとめればいいのか?

 ある意味、社会通念としてある愛情の在り様を根本から覆す、男女のひりひりするような愛の行方が描かれるのが万田邦敏監督の「愛のまなざしを」だ。

 現在公開の続く本作については、先日、ヒロイン・綾子を演じる一方で、プロデューサーも務めた杉野希妃のインタビュー(第一回第二回第三回)を届けた。

 続いてご登場いただくのは万田邦敏監督。寡作ながら心をざわつかす映画を発表し続ける万田監督に話を訊く。(全二回)

プロデューサーで女優の杉野希妃の印象は?

 はじめに、杉野がインタビュー時に語っていることだが、彼女は万田監督作品の大ファン。

 今回の「愛のまなざしを」は杉野の万田監督へのラブコールから始まっている。

 杉野の印象を万田監督はこう語る。

「彼女がMCを務める番組に僕が出演することになって初めてお会いして、その後、2017年の富川(プチョン)国際ファンタスティック映画祭で再会しました。

 その間、彼女は俳優はもとより、プロデューサーとしても、映画監督としても着実にキャリアを重ねていて、いい意味で『すごいやり手だな』と思いました(笑)。

 それから、はじめて会ったときに、僕の映画が好きだといってくれて、それは素直にうれしかったです。

 そして、再会したときに、『ご一緒したい』といってくれて。

 『接吻』以来の、万田珠実とのオリジナル脚本による新作でお願いしたいといわれたら、もう断る理由はないですよ(笑)」

いつもそうなんですけど、脚本はまずは妻がひとりで書くんです

 いま触れたように今回の作品は『接吻』以来となる、万田監督と監督の妻である万田珠実によるオリジナル脚本。共作の脚本はどうやって進められていったのだろうか?

「まず、精神科医と患者というアイデアは杉野さんからの提案で、そこから脚本作りはスタートしました。

 いつもそうなんですけど、まずは妻がひとりで脚本を書く。

 作品の全体像みたいなものが見えると書くのは早いんですよ(笑)。

 ただ、今回はちょっと苦戦していたというか。仲村トオルさんが演じることになる貴志と、杉野さんが演じることになる綾子の人物像がなかなか見つけられないでいた。

 でも、ある日、偶然目にしたドキュメンタリー番組がヒントをくれたみたいで。

 その番組は、両親を早くに亡くした女性を追っていて。大人になるまで彼女は親のことを忘れてたんだけど、あるとき、ふっと思い出して、両親を亡くした哀しみにもう一度襲われてしまう。

 そして、その彼女の哀しみに周囲も巻き込まれていってしまう。

 そういう内容だったようなんですけど、そこで、過去の不幸が現在を蝕んでいくようなアイデアが浮かんで、そこからは一気に筆が走って、ほぼ今の形の脚本が上がりました。

 その後、僕も入って微調整はありましたけど、大筋はもう最初の脚本で出来上がっていました」

「愛のまなざしを」より
「愛のまなざしを」より

今回は、大きく驚かされる意外なことはなかった

 『UNloved』しかり、『接吻』しかり、今回の『愛のまなざしを』しかり、傍から見ると、もはや理解を超えた男女間の愛憎が描かれているように思える(それが万田ワールドでもあるのだが)。

 万田監督自身、かつてのインタビューで、『接吻』の接吻シーンについて「なぜあのようになるのかわからなかった」と明かしている。

 今回の脚本も最初に読んだとき、そういう大きな驚きがあったのではないだろうか?

「いや、今回は、『UNloved』と『接吻』のときのような大きく驚かされる意外なことはなかったですね。

 ただ、はじめは、貴志と綾子の気持ちの流れがいまひとつ見えてこなくて、『これはどういうことなの?』『どうしてこうなんの?』『何で、こういうセリフなの?』と幾つか疑問が浮かぶ点がありました。

 それで妻にその疑問をぶつけて聞いていったら、『なるほど』という答えが返ってきたので、これまでの映画のように『おおっ』というような驚きはあまりなかったです。

 そういう意味で、すんなり読めたかもしれない」

なぜ、万田監督作品は、男女の愛の極致を感じさせる場所に行き着くのか?

 とはいえ、仲村トオル演じる妻の死を受け入れ切れていない精神科医の貴志と、杉野希妃が演じるモラハラの恋人に連れられ患者としてやってきた綾子との間に生まれる感情は愛なのか憎しみなのか。

 考えが及ばない、でもなにか人間の奥底に眠る本心を垣間見たような気になる。『UNloved』『接吻』に続き、物語は、想像もつかない男女の愛の極致を感じさせる場所に行き着く。

 無粋な質問になるが、なぜ、万田監督作品は、このような異例の境地へ至るのだろう?

「その男女の愛の在り様に関しては、たぶん僕が固執しているんじゃないかなと。

 おそらく妻は愛の物語を書こうとかぜんぜん思っていない気がする。

 ただ、その脚本をもとに、僕が映画にしようとするとき、愛に引き寄せるというか。

 男と女がいて、その二人の距離が近づいたり離れたり、なにかしらぶつかり合うと、脚本には書かれていない、文字だけではみえていなかったその人物の感情や性質といったものがにわかに立ち上ってくる。

 僕はそこを映画で描きたいと思っている。そこを描いていくと、気づくと男女の愛憎劇のようになっている。

 だから、出来上がった映画を妻が見ると、だいたい首をかしげている。それは彼女が男女の愛憎をテーマに脚本を書いていないから、たぶん『なんでこうなる?』と思っているんじゃないかと(笑)。

 僕は妻のシナリオを読んだときに、男と女が絡みあってぶつかり合っているイメージにとるんだけど、もしかしたら彼女はもっと違うことを考えているのかもしれない。

 おそらく妻の中では、もう男女という意識もなくて、ひとりの人間と人間のぶつかりあいでしかないようなところがある。

 そういう僕の考えと妻の考えとの間に隔たりがある。でも、それがほどよくブレンドされると、こういう異色の男女の物語になってしまうということでしょうか(笑)」

 ただ、万田監督作品の男女の物語は、愛憎が絡み合いながらもドロドロとしていない。ある種のドライな視点によって、その人間の真意が浮かび上がってくるような余白と奥行きのあるものになっている。

なにか盲目的になって一心不乱にというのに虚偽を感じるんです

 それは今回の「愛のまなざしを」も変わらない。

「その点に関しては、僕も妻もかなりドライな思考の持ち主なのかもしれない。

 僕も、濃密な男女の物語を撮りたい気持ちがある一方で、それを本気でいざ撮るかとなったら躊躇うというか。歯止めがかかるんですよ。

 それは、僕の性格としか言いようがないんですけど、僕自身があることにのめり込んで、前後、まったく周りが見えなくなるっていうところまでいかない。

 臆病なのかもしれないけど、どこかで一歩立ち止まって周りをみちゃう。

 そのあたりは妻もたぶん一緒じゃないかな。

 なにか盲目的になって一心不乱にというのに虚偽を感じるんですよ。

 その自分の性格が作品に現れているのかもしれない」

(※第二回に続く)

「愛のまなざしを」ポスタービジュアル
「愛のまなざしを」ポスタービジュアル

「愛のまなざしを」

監督:万田邦敏

脚本:万田珠実 万田邦敏

出演:仲村トオル 杉野希妃 斎藤工 中村ゆり 藤原大祐

公式HP:aimana-movie.com

全国順次公開中

場面写真およびポスタービジュアルはすべて(c) Love Mooning Film Partners

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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