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【一宮市・起】橋のない時代どうやって川を渡っていたのか。水上交通の守護神「金比羅神社」に行ってみた。

にったようこWebライター・ブロガー(一宮市)

 こんにちは!地域情報エキスパートライターのにったようこです。先回ご紹介した、歴史的建築の古民家カフェ「湊屋」から徒歩1分の所に金比羅神社があります。ここは水上交通の守護神だそうです。一宮市に流れる木曽川沿いのこの神社や渡船場の歴史について調べてみました。

 さて、先回ご紹介した現在の湊屋は、かつて渡船場の管理を行う起宿の船庄屋の建物でした。船庄屋では、船頭は20人程、参勤交代や公家なども利用されて繁栄し昭和31年(1956)に濃尾大橋が完成するまで重要視されました。起渡船場跡(定渡船場跡)は当時の木曽川渡船の歴史を知る上で貴重なことから昭和42年(1967)に愛知県指定史跡に指定されています。

水上交通の守護神

◆金比羅神社

 起宿(愛知県一宮市)は、金比羅神社(定渡船場跡)をはじめ木曽川の3つ渡船場があり、「上の定渡船場(じょうとせんば)」「中の宮河戸(みやごうど)」「下の船橋河戸(ふなはしごうど)」と呼ばれ、上の定渡船場は、この中の1つで最も利用された渡船場でした。渡船場には定渡船2艘、置船1艘、御召渡船1艘が尾張藩(本城:名古屋城)から手配されました。

起渡船場跡

◆馬船や鵜飼船などが停泊し旅人や物資の運送に利用

 ここから美濃国(岐阜)との間に渡し船を行き来させ、多数の馬船や鵜飼船などが停泊し旅人や物資の運送に利用されました。

表通りに分かりやすい解説が掲げられています。
表通りに分かりやすい解説が掲げられています。

イメージ
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さて、一歩敷地の中に入ってみましょう。

中に小さな鳥居があります。右手に手水舎、その奥には待合室のような腰かけ舎があります。

本殿には「金」「金」「金」 の文字が目に入ります。

 あまりにも主張が強い「金」のマーク。参拝した時にはつい「お金」の願い事をしてしまった筆者でありました。

高さ10mの巨大な灯篭

 さて、金比羅神社には、びっくりするくらい大きな灯篭があります。これは定渡船場の灯台代わりとなった常夜塔です。守護神として勧請された金比羅神社は船の往来の名残があり、水上交通の守護神として信仰されていた為、特に渡船場の関係者から崇敬、庇護されてきたようです。高さ10m近い石灯台は、地震などで度々改修され、美濃側(現羽島市正木町荒井)の常夜灯とともに船渡場の面影を伝えています。

ドラマなどでおなじみの「遠山の金さん」の時代

金比羅神社の常夜灯は天保(1830~1844)の頃、寄付金を募って建造されたそうです。

天保の改革

 国内が混乱しているとき、海外の列強が急速に日本との通商を求めて接近し始めますが、幕府は「異国船打ち払い令」を発令し、断固として拒否。まさに日本は内憂外患(ないゆうがいかん:国内の心配事と外国からもたらされる心配事・悩ましいもの)の状況にありました。この事態を憂慮し、老中首座・水野忠邦(みずのただくに)は、急激な改革によって日本を立て直そうとします。江戸時代後半の1830年から1843年にかけて厳しい倹約を中心とする様々な施策を発表し、その実行を幕府に要請しますが、反対派の抵抗により実現しませんでした。しかし、1841年(天保12年)に徳川家斉が没すると、水野忠邦は自らの理想とする政策を実行するため反対派を一掃し、老中・若年寄・勘定奉行・江戸町奉行などには自分の賛同者を着任させました。そのひとりが、ドラマなどでおなじみの「遠山の金さん」こと、遠山左衛門尉景元(とおやまさえもんのじょうかげもと)と言われます。こうして、水野忠邦による天保の改革が始まりました。

かなり大きな灯篭でこれは見ものです!!この常夜灯が対岸から「ともし火」として見えていたのですね。

振り返ってみると灯篭の大きさがわかります☆
振り返ってみると灯篭の大きさがわかります☆

濃尾大橋の眺め

金比羅神社のすぐ横には木曽川が流れていて今でも渡船場の名残があります。

上部は堤防道路となっています。そのトンネルくぐりぬけると・・・

長い、長い「濃尾大橋」が眺められます。

時を経て技術が進み、橋ができて、川を渡るための船はやがて役目を終えて消えていったんですね。

筆者は、トンネルの壁にうっすらと残っている標語を見て「ハッ」としました。

「誘惑に思い浮かべよ母の顔」

親を悲しませるようなことはするな!という意味ですね。技術も人も進化しながら便利な世の中になり、様々な移り変わりを経て今日に至っています。時代の背景と共に、古き良きものを大切にしていき、昔も今も変わらぬ心を育てていきたいと思いました。

トンネルには大きな落書きがしてあります。大変残念なことです。
トンネルには大きな落書きがしてあります。大変残念なことです。

プチ豆知識

 諸説によると金毘羅とは本来インドのガンジス川にすむ鰐(わに)を神格化した水神の名なんだそう。サンスクリット語のクンビーラKumbhiraの漢訳語で、仏法守護神の薬師十二神将の一つ。その金毘羅が海神、水神として信仰され、香川県の讃岐象頭山(さぬきぞうずさん)に鎮座する神と神仏習合し、金毘羅大権現と称されるようになったということです...。

 普段、何気なく通過してしまっている小さな神社ですが、立ち寄ってみると様々な歴史が見えてきて面白いですね。興味のある方はぜひ立ち寄ってみてくださいね☆

概要

金比羅神社 ・起渡船場跡(定渡船場跡)

住 所 愛知県一宮市起字堤町38

アクセス
バス停(濃尾大橋口/名鉄バス)徒歩約5分(道案内) 路線
バス停(みづほ興業前/名鉄バス)徒歩約7分(道案内) 路線
バス停(新栄町/名鉄バス)徒歩約8分(道案内)

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Webライター・ブロガー(一宮市)

日頃、西尾張地区を走り回っている50代ミセス。いつもお出かけするたび、写真を撮って楽しんでいます。グルメやスポット情報など一宮市をもっと深堀し皆様に「行ってみたい・見てみたい」という興味をそそるような情報をお届けしたいと思います。そんな私の座右の銘は「経験は宝」何事もチャレンジ。人生一度きりですもん。

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