一雫ライオン 注目作家が突然ステージⅣのがんと宣告されて――それでも希望を見つけられた理由<前編>
昨年ベストセラーとなった『二人の嘘』が文庫化され、再び注目を集める
昨年、ベストセラーとなり6刷まで版を重ねた、一雫(ひとしずく)ライオンの小説『二人の嘘』(幻冬舎刊)が文庫化され、全国の多くの書店でイチオシ本としてプッシュされ、売れ行き好調だ。最高裁判事になることが確実視されている、十年に一人の逸材の女性判事と、元服役囚との哀しき愛の物語は、幅広い世代の男性・女性両方の読者から支持を集めている。一雫は売れない俳優から人気脚本家、そして小説家になった異色の経歴を持つ注目の作家だ。
『二人の嘘』でスポットライトを浴び、執筆依頼が殺到し注目を集める存在になり、次回作に取り掛かかろうとしていた。その矢先――上咽頭がんステージⅣの宣告を受けた。ようやく小説一本で食えるようになった男に、神様は試練を与えた。しかし一雫は“目の前にいる”家族と編集者の存在と言葉に希望を見い出し、がんと向き合い、闘病。見事克服し、このインタビューに臨んでくれた。改めて『二人の嘘』について、そして闘病の日々をどんな思いで過ごしていたのかを聞かせてもらった。
昨年、上咽頭がんステージⅣと診断される
異変を感じたのは昨年6月『二人の嘘』が発売された直後だった。
「それまでなかった頭痛に襲われて、そのうち右目の奥を針で刺されているような痛みになってきて。7月に金沢の書店にご挨拶に伺った時、ホテルで鼻と口から出血して、何か変だな、頭も痛いし脳に異常があるのかもと思って、東京に帰って大きな病院を紹介してもらいました。でもMRI検査してもらっても異常なし。『ご職業柄、ストレスも多いだろうから』と言われ、頭痛薬だけもらって、もう1ヶ所病院に行っても異常なし。病気って面白いもので病院に行き始めるとなりを潜めやがるんですよ(笑)」。
痛みは一旦収まったが、年末、地方へ取材旅行に行く際には、顔面に我慢できないくらいの激痛がはしり、家族は引き留めたがそれでも出かけた。
「次の小説がすごく大事だと思ったし、気分も変われば痛みも治まるかと思って強行しましたが、全然治まらなくて。目も頬も顎にも激痛が広がって、我慢できなくなって年明けに近所の耳鼻科に駆けこんだら、すぐに大学病院を紹介されました。結果は鼻の右奥の上咽頭がん、ステージⅣの診断でした。顔の三叉神経にもがんが絡みついていて、頭蓋骨にもがんが浸潤して脳に入り込み、首のリンパ節へも転移していました。脳のMRIでは見落とす可能性もあるそうで、病院で『感謝すべきは町のお医者さんです』と言われました。すぐに治療を始めないと春まで持たないと言われました。その先生に小説家で、これまでとこれからのことを話をした上で、5月までに次回作の初稿を上げたいので、痛みを“散らしながら”なんとか治療できないかとお願いしました。自分の中にできたがんだから、もちろん憎いんだけどちょっと憎みきれない、共存していこうと最初は思ったりしました。でも『二人の嘘』の担当編集者からの『そんな考えじゃダメです。あなたはこれからも書かなきゃいけない人なんです。だからがんにヤキ入れて、コテンパンにしてきてくださいという』という言葉をもらい、書くことは中断して治療に専念することに気持ちを切り替えることができました」。
「『楽観視はできないけど、勝ち目のない戦いではない』という先生の言葉が励みになった」
がん治療は世界中の医者同士が情報交換し、日進月歩でその治療法が進んでいる。
「もちろん楽観視はできないけど、勝ち目のない戦いではないので頑張ってくださいと先生に言われて、それが励みになりました」。ただ右眼奥の神経に絡みついたがんが厄介で、でも放射線を当てなければ進行してしまう、しかし放射線を当てれば時間の経過と共に失明の恐れというリスクがついてくる。「先生が必死に僕の命を救おうとしてくださり、言葉を選びながら丁寧に説明してくださって、『生きてなきゃどうしようもないですからやって下さい』と即答しました」。
顔に放射線を当てるとその後遺症で唾液の出が悪くなり、食事もままならない状態で、食べることが大好きだった一雫は意気消沈。しかし夫人が昆布を煮出したドリンクや、山芋をすり下ろしたり工夫を凝らして、“食べた感じ“を得られ、かつ栄養を摂取できる料理を作り続けた。しかし3ヶ月で20キロ痩せたという。
「『二人の嘘』が多くの人に読んでもらえたことは大きな“いいこと”。だから大きな“よくないこと”が起こると覚悟していた。でもまさかステージⅣのがんとは…」
小説家としてこれから、という時がんに襲われ、しかもステージⅣという告知を受けた瞬間、人として、小説家としての思いはどんなようなものだったのだろうか?
「無駄なことをたくさんして、だめな人生を送ってきたからこそ言えるのかもしれませんが、やっぱり人生って何か大きないいことがあったときは、大きなマイナスがある、プラスマイナスゼロになるんだと改めて思いました。これまでそういう人をよく見てきたし、僕も正直『二人の嘘』を評価していただいたとき、『なにか来るんじゃないか』ってまずマイナスのことを考えました。小説というシマがあるなら、僕は土足でそこに入り込んだような人間なので、本来はそこで運が開けるということは考えにくい。本当なら神様は『このまま他の道、まっとうな道を今からでも探しなさい』って言ってくださっていたと思う。でも僕は『どうしてもこっち(小説)の道に行きたい。じゃないと後悔して死んでも死にきれない』と、強引に運命を捻じ曲げたという自覚があったので、デビュー作の『ダー・天使』(2017年)から、覚悟と気合を持って執筆していました。特に『二人の嘘』に関してはこれが完成すれば死んでもいい、それくらいの覚悟を持って執筆しました。その小説がありがたくも評価を得られた時に、何かが起こるだろうと覚悟していました。でもその“何か”が高齢の母親や自閉症で学園に入っている弟、妻や子供たちにふりかかってくるのは絶対に嫌だなと思っていたら、『お!俺か』て思って。変な言い方ですが、ちょっとほっとした部分はありました。ただ『ステージⅣは予期してなかったな』って、神様に向かって文句を言いました(笑)」。
「敵わない相手には絶対敵わない。その中で一筋の光明になるのは冷静でいること」
人生の一大事でも冷静でいられたことについて一雫は「元の性格というよりも48年間、回り道といえばきれいですけど、やっぱり泥水に沈んでいた時代も長かったし、そういう中で培った価値観というか。ステージⅣで外科手術はできないと聞いた時最初は『勝てねえな』と思ったんです。経験上、勝てない相手と喧嘩をしても絶対勝てない。その時一番やってはいけないのが、ただガムシャラになって向かっていくこと。でも敵わない敵には絶対敵わない。その中で一筋の光明とか一穴を見つけられるチャンスがあるとすると、やっぱり冷静でいるしかない」と語ってくれた。
<後編>に続く。