その“純愛”を人は“醜聞”という――異色の作家・一雫ライオンが描く哀しき大人のラブストーリーが話題
『ダー・天使』『スノーマン』と注目作が続く作家・一雫ライオンの最新作『二人の嘘』
一雫(ひとしずく)ライオン。売れない俳優から人気脚本家、そして小説家へ異色の経歴を持つ注目の作家だ。2017年に上梓した初の小説「ダー天使」(集英社文庫)は号泣、一気読み必至の感動作として話題になり、続く「スノーマン」(集英社文庫/2018年)は一転して猟奇連続殺人事件をテーマにし、その作品の振り幅の広さは圧巻というしかない。そして話題を集めている最新刊『二人の嘘』(幻冬舎刊/6月23日発売)では、最高裁判事になることが確実視されている「十年に一人の逸材」の女性判事と、元服役囚との哀しき愛の物語を描き、前2作とは全く違う作風で読み手をその世界観に一気に引き込む。この作品に込めた思いをインタビューした。
『二人の嘘』のストーリーは――女性判事・片陵礼子のキャリアには、微塵の汚点もなかった。最高裁判事になることが確実視されてもいた。そんな礼子は、ある男のことが気になって仕方ない。かつて彼女が懲役刑に処した元服役囚。近頃、裁判所の前に佇んでいるのだという。判決への不服申し立てなのか? 過去の公判資料を見返した礼子は、ある違和感を覚えて男のことを調べ始める。それによって二人の運命が思わぬ形で交わることになるとも知らずに――。
作品が生まれた金沢は「妙な色気を感じる街」
まず「構想は5年前、執筆期間は2年」という力作『二人の嘘』がどのように萌芽し、広がっていったのか、その制作秘話を教えてもらった。
「2016年『ダー・天使』を書き終えた後、脚本を担当した映画『パラレルワールド・ラブストーリー』の森義隆監督に誘われて、彼が住む金沢に初めて行きました。本当にいい街で、その日は雪が降っていて、街から山が見えて、用水路を流れる水の音が聴こえて、そんな風景を見ていると、忍ぶ愛というか、金沢の人には不謹慎と言われるかもしれませんが、不倫が似合う街だなと思ってしまいました(笑)。街に妙な色気を感じてしまって。その時にアイディアノートに2~3行、今回の小説の元になるキーワードを書いていました。編集者と話している中で「女性判事が主人公で、そういう異質な存在というか権威的な存在の女性が、不倫をして転落していくさまを描く」というアイディアが出てきて、その時、鳥肌が立ちました。それは、アイディアノートに「元服役囚と女性の愛?」と書いていたからで、そんな偶然が重なってこれだと思いました。これまでの僕の作品を読んでいる編集者からは、同時に『小説の中ではもっとライオンさんを開放していいと思う。ゴールを決めないで書いてみるのはどうですか』と言われました。なので今回は主人公・片陵礼子と元服役囚・蛭間隆也、二人の設定だけを軽く決めて、後は何も考えないまま一行目から走り出しました。僕が見て感じた金沢の風景は、礼子を通して表現しました」。
裁判官という特殊な職業
高校を退学になり定時制に通いながら大学を目指し、その後35歳まで売れない俳優としてもがき、劇団を立ち上げた後、脚本家へ転身。そして小説家一本で生きていくと決めた一雫。迷い道だったかもしれない、回り道だったかもしれない人生だが、その途中途中で感じた思いや経験した痛みを、もっと激しく小説の中で出して欲しいという編集者の言葉に刺激を受けた。そして小説家一本でやっていくという決意とプレッシャーを抱え、全く知らなかった裁判所、法曹界について、元裁判官や弁護士から徹底的に話を聞いたり、裁判を傍聴するところから始めた。
「元裁判官が書いた本を読み漁って、裁判官というのは司法の中で最後にジャッジを下す者として、明確なルールが存在するわけではないですが暗黙のうちに、“仮釈放された服役囚とほぼ同じ制約がある”ということを知りました。慣行として自分を律する部分が増えてくるようで、でもそれくらい自分に厳しくないと務まる職業ではないと思います。元東京地裁の判事だった方にも話を聞きました。やはり感情に流されることを避けるために、敢えて外部との接触を遮断する人達が多いと聞きました」。
「様々な人が集まった定時制高校での経験、感じたことが作品に投影されているのかもしれない」
感情に流されてはいけないはずの“選ばれたエリート”片陵礼子が、元服役囚の蛭間と出会ってしまったために、運命が思わぬ方向に向かってしまう。その濃い“コントラスト”がこの小説の太い芯になっている。しかし礼子と蛭間は不幸な生い立ちという共通項を持っていた。幼い頃から“痛み”を知る二人。そこには一雫自身が過ごした、多種多様な生徒が集まる定時制高校での2年間の経験が投影されていると語る。
「2年間通った定時制には、僕のように通っていた高校を退学して定時制にしか行くところがなかった人間と、いじめられて学校を辞めてきた人、受験に失敗して心が挫けてしまった人、そして経済的な理由から通っている人、大体の人がこの4つに当てはまりました。それまで交流がなかったタイプ同士の交流が始まりました。でも同時に、ほとんどの人が何かが“少し違っていれば”ここに来なくてもよかった、人生が変わったはずだと思いました。その時、人生なんて紙一重と思っていたことが、今回の作品には出ているのかもしれません。あとは僕が自分自身のことを危ういと感じているというか、自分のことを信用していない部分が、登場人物に反映されているのかもしれません」。
不倫とは…
エリート中のエリート女性裁判官と元服役囚が純愛を育む。しかし人はそれを不倫という。不倫の道に走り、破滅へと向かう。でも今巷でよくニュースになっている不倫とは違うという。
「世間的には許されない愛に二人は向います。でも理屈じゃなく人を好きになってしまうことは誰にでもあると思います。それってとても大事なことだと思っていて。芸能人の不倫のニュースを見ていると、あれはただの浮気、ただ肉体的な快楽が欲しくてそこに走ってしまったものだと思っています。昭和世代だからそう感じるのかもしれません。でも不倫って、お互いが滅びていくことを覚悟して、そこに飛び込んでいくものだと思っています。なので不倫を描くのであれば、そこまでは書きたいと思いました。礼子と蛭間がどのタイミングで結ばれるのかは、書き始めた時点では決めていなかったので、自分が一番どきどきしながら書きました。不倫というの名の純愛です。礼子は結婚して裕福な生活をしていましたが、彼女にとって落ちるべくして、納得しながら落ち、二人で“果て”に行ってしまうイメージはありました」。
「寡黙で、誰のせいにもしない蛭間隆也は、憧れ」
蛭間隆也という男に対して一雫は「憧れている部分がある」と教えてくれた。
「蛭間は寡黙で、誰のせいにもせず、それゆえに服役囚になってしまった男です。僕自身が憧れているのだと思います。僕は精神的にボロボロだった時、中島らもさんの『今夜、すべてのバーで』という小説に出会って、救われました。本を読む時間って、非日常に浸れるいい時間だと思うし、蛭間隆也は令和の時代にいないタイプの人間かもしれないけど、そんな男の生き様に触れることで、男性も女性もどこか胸が熱くなってくると思います。こんな時代だからこそ、蛭間という男を描けてよかったと思いました」。
「執筆中の気分転換に音楽は欠かせない」
一雫は、執筆中に煮詰まったり、気分転換の際にはよく音楽を聴き、音楽に救われることがあるという。その“プレイリスト”を教えてもらった。
「音楽ってやっぱり思い出とリンクしているから、泣くために聴いているのかもしれません。泣いてスッキリする。涙が出ると胃のあたりが温かくなって、自分はまだ情緒を忘れてないから大丈夫という感覚が欲しいのだと思います。『ダー・天使』を書いている時は桑田佳祐『君への手紙』をよく聴きました。今回の作品を書きながらよく聴いたのは大好きなザ・イエロー・モンキーの『Horizon』で、小説の中に出てくる、あるキーになるものが、この曲の歌詞にも出てくるんです。それから渡辺美里さん『悲しいね』、Official髭男dismの『宿命』、ボン・ジョビ、ガンズ・アンド・ローゼズ……執筆の時は大好きな音楽が欠かせません」。
ようやく「天職」にたどり着いた小説家が放つ、3作目のエンタメ大作『二人の嘘』。430ページを超える大作だが、様々な感情が次から次へと洪水のように押し寄せてきて、ページをめくる手が止まらなくなる。そんな幸せな時間を提供してくれる。