【九州三国志】化け猫伝説の始まり!龍造寺家と鍋島家の哀しき運命
天正12年(1584年)、沖田畷の戦いで龍造寺隆信が敗れると、龍造寺家の実権は重臣の鍋島直茂が握りました。
その後、天正18年(1590年)には豊臣秀吉の命令で、名目上の国主となった龍造寺高房が家督を継ぎましたが、実際の国政は鍋島氏が支配する形に。
そして、秀吉の死後も徳川家康がこの状態を黙認し、龍造寺家の力は衰える一方でした。
成長した高房は、自らの立場に絶望し、慶長12年(1607年)に江戸で妻を殺害した後、自殺未遂を図ります。
その後、精神を病んだ高房は命を絶ち、父の政家も後を追うように亡くなったのです。
この出来事を機に、龍造寺家の本家は表向き断絶しましたが、鍋島勝茂が後を継ぐ形で佐賀藩が成立します。
しかし、ここからが奇妙な話の始まりです。
無念の死を遂げた高房の亡霊が、白装束で夜の城下を駆け回るという噂が立ちました。
さらに、高房が生前飼っていた猫が化けて現れ、鍋島家に復讐を企てるという話が語られるようになります。
この猫が鍋島家の忠臣に退治されるまでの顛末が「鍋島の化け猫騒動」として伝説となり、今なお多くの人々の想像をかき立てています。
直茂もまた、晩年には耳の腫瘍に苦しみながら亡くなり、その最期の苦痛が高房の亡霊の仕業ではないかと噂されました。
龍造寺家の物語は、歴史の悲劇と怪異譚が入り混じった一つの象徴として、今日まで語り継がれているのです。