Yahoo!ニュース

【九州三国志】虎寿丸、薩摩を統一す!島津義久、その幼き日々と三州制覇への道

華盛頓Webライター
credit:pixabay

天文2年(1533年)2月9日、伊作城にて島津貴久の嫡男として生を受けた虎寿丸

幼い頃は穏やかな性格だったと言われていますが、祖父・忠良は「義久には三州を統べる器あり」と早くからその才能を見抜いていました。

元服後、忠良の名を継ぎ、後に足利義輝からの偏諱を受け義久と改名

彼は薩摩の歴史に新たな一章を刻むことになります。

初陣は天文23年(1554年)の岩剣城攻め

この戦いを皮切りに義久は数々の戦に臨み、やがて薩摩を統一。

永禄9年(1566年)には父の隠居を受け、島津家第16代当主となりました

さらに大隅、日向への進出を果たし、木崎原の戦いでは弟・義弘が寡兵で伊東軍を壊滅させる快挙を成し遂げます。

天正4年(1576年)、伊東氏を豊後へ追いやり、ついに三州統一を達成。

義久が成し遂げた統一は、一族の才覚と結束の賜物。

彼の歩みは、戦乱の中で薩摩に新たな秩序を築く道筋となりました。

Webライター

華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

華盛頓の最近の記事